第7話「”お兄様”」

「よ、米澤エブドキヤです! ふ、不束者ですが……よろしくお願いします!」


 そう言って、俺と父親と母親の前で頭を下げるドゥーシャ。


 彼女の下宿の件はあっさりと纏まった。


 今日からドゥーシャは俺の実家で寝泊まりをする事になる。


「丁度紗良がいなくなって、家が寂しくなっていた所だ。歓迎するよ、米澤さん」


「は、はい! ありがとうございましゅ!」


 今噛んだか。緊張し過ぎだろ。


「嬉しいわ。娘がもう一人出来たみたい」


「あ、そ、そんな! わ、私なんかが武嵐あかつき様の娘だなんて……畏れ多いです!」


 ドゥーシャは母親に恐縮している様子だった。まあ、これでも九輪祭の金メダリストだからな。同じ獣人として尊敬の念を抱くのも当然か。


 俺は打ち解け合っている様子のドゥーシャと家族達に一先ず安堵する。


「ありがとな、親父。急な話だったのに」


「いや、なに」


 俺がお礼を言うと、父親は頬を掻いて、照れくさそうな、そして申し訳なさそうな口調で口を開く。


「すまない。私にはこんな事しかしてやれんからな」


「……馬鹿親父」


 そう言う反応が一番困るんだよ、親父。


 その後、俺はドゥーシャと一緒に彼女の私室を見学する事になった。


「わあ……凄いです……これ、天蓋付きのベッドです……!」


 そう言って、ベッドの上で飛び跳ねるドゥーシャだが、俺の視線が恥ずかしかったのか、すぐに顔を真っ赤にして止めてしまう。


「は、はしゃいじゃいました」


「別に。好きにはしゃげよ」


「う、うう……恥ずかしいです」


 獣耳をぺたんとさせるドゥーシャであった。


「……あれ……このお布団」


 ふと、ドゥーシャがくんくんとベッドの上の布団に鼻を近付ける。


 どうしたのだろう、何か臭うのか?


 俺も布団に顔を近付ける。そして、気が付いた事がある。その布団は俺が日替わりのローテーションで使っている布団の一つだった。


 ドゥーシャは臭いから布団が俺のものである事に気が付いたのだろう。顔を真っ赤にして、尻尾をぶんぶんとさせている。


「一応綺麗に洗ってある奴なんだけど、俺の臭いが気になるなら替えるか、布団」


 俺が気を利かせてそう提案すると、ドゥーシャは困ったような表情を浮かべてから、首を横に振った。


「そんな、悪いです! 私はこの布団で構いません!」


「いやいや、我慢しなくても良いから。そう言う不便を強いたとなると、武嵐家としても不名誉だし。嫌な事ははっきり嫌って言ってくれ」


「い、いえ、本当に大丈夫ですので!」


 本人は遠慮しているようだけど、これはお家の沽券に関わる事だしな。高度に政治的な事案なのである。


「とにかく、使用人に頼んで変えさせるから。あんまり、遠慮するな____」


「良いっていってるじゃないですかッ!」


「ぎょえぇっ!」


 ドゥーシャに腕を思い切り掴まれ、俺は悲鳴を上げた。


「ひゃあ! ご、ごめんなさい! わ、私……私……!」


「あ、別に……ちょっとびっくりしただけだか____」


「ごべんな゛ざい゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛い゛!! わだじのこどぎらい゛にならな゛いでえ゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛え゛!!」


「……え」


 ドゥーシャが突然の大泣きを始め、俺は呆然とする。


 部屋中に響き渡る泣き声の中、俺は我に返って、どうするか迷い、優しく彼女の頭を撫でて上げながら、「大丈夫だよ」と声を掛ける。


「悪い、ドゥーシャ。俺が大袈裟な声を出したせいで。本当に痛くないし、怒っても無いし、嫌いになんてならないから」


 未だ泣き続けるドゥーシャの背中をさすって上げる。しばらくすると、彼女は泣き止んで、俺の事を恐る恐る見上げる。


「……ごめんなさい……困らせてしまって……でも、嫌われたんじゃないかって……凄く怖くなって……」


「こんな事で嫌いになんてならないって」


 ちょっと、大袈裟なんじゃないか、この子は。


「そ、そうなんですか……さ、さすがですね」


 ドゥーシャは涙を拭いて、それから、悪気の無い笑顔と言葉で____


「さすが”獣師”さんです。これしきの事で動揺しないなんて」


 ……。


 ……”獣師”か。


「……おう」


「武嵐家の”獣師”さんなだけあります」


「……」


「あっちの首都……ウラジオストクにいた時、私の周りには”獣師”さんがいなくて……それで皆に迷惑掛けて……嫌われて……だからなんだと思います。武嵐君のそばにいるととても安心します。”獣師”さんがそばにいるんだって……すごく安心します」


 俺は黙り込んでしまう。そして恐らく、あまり良い顔はしていない。


 ドゥーシャを困らせてしまうので、そう言う態度はあまりよろしくないのだろう。


 でも、これでも俺は自分自身に花丸を上げてやりたいと思っている程だ。


 彼女に八つ当たりしないだけ、よくやっていると思う。


 ……ああ、でも……やっぱり……クソッたれ!


 心の中でもやもやが大きくなって、思わず叫びたい気持ちになる。


 色々な事に整理を付けたなんて……そうは言っても、ずっと楔の様に屈辱は俺の中で残り続けているのだ。


 忘れる事は出来ても、それに触れられたら傷口は痛むというものだ。


「武嵐君? どうかしたのですか?」


「いや……何でもないよ。……うん! なんでもないなんでもない! もー、ドゥーシャは可愛いなあ!! この世に舞い降りた天使! 妖精!」


「わわっ! え、えへへ……」


 無理矢理笑顔を作って、ドゥーシャの頭を撫でる。


 気持ち良さそうに頬を緩める彼女は上目遣いで俺を見上げた。


「武嵐君に会えて……本当に良かったです。優しくて……カッコよくて……そばにいるととても安心します」


 お、おう……べた褒めだ。恥ずかしいが……うむ、悪くないな!


 と、ドゥーシャは恐る恐ると言った口調で口を開く。


「あの、武嵐君……お願いがあるんですけど」


「ん? 何かな? 言ってごらんなさい」


 今の俺は機嫌が良いので、何でも聞いちゃうぞ!


 ドゥーシャはぎゅっと目をつむって、それから意を決したように言う。


「武嵐君の事……”お兄様”って呼んで良いですか?」


「……____」


 その瞬間、俺は笑顔を作るのを止めた。


「あの……駄目……でしょうか……?」


 俺は真顔になり、すっと無言で立ち上がる。


「……悪い……ちょっと気分が悪くなったから……一人にしてくれないか」


「え? ……え?」


 立ち去ろうとする俺。その後ろにドゥーシャが縋り付く。


「あ、あの……待って……ご、ごめんなさい……私、変な事……何か変な事言いましたか?」


「……一人にしてくれって言ってるだろ」


 俺は声の震えを抑えながら告げた。すると、ドゥーシャは真っ青な顔で俺に詰め寄る。


「ご、ごめんなさい! ごめんなさいごめんなさい! で、でも……私……何も分からなくて……私……何か変な事言いましたか?」


 ドゥーシャは髪を揺らし、涙目で俺の手を取る。


 俺は歯軋りをして____


「一人にしてくれって言ってるだろ!」


「ひっ」


 俺がドゥーシャの手を払い除け、きつく睨むと、彼女は怯えて身を引いてしまう。


「……大した事じゃないから」


 俺はそう言って、ドゥーシャの前から姿を消した。

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