5-5 少女の飴のような恋の病

「ごめん、嫌な話だとは思うけどさ」


 春日部さんは私の顔を見て、申し訳なさそうに身を引いた。

 でもやっぱり、私の手を放してはくれない。


「あの日から、カンちゃんずっと元気がなくて、アタシすっごく心配してた。でもまた活動を再開して、ちょっとずつ元気出てきたみたいで、良かったってホッとしたけど。でも、カンちゃん変で……」

「…………」

「昔のカンちゃんに戻ったって、最初は思った。でも、昔のまんますぎて。香葡かほ先輩がいた時と、同じすぎて。まるでまだ香葡先輩がいるみたいで。それがアタシは怖かったよ。ねぇ、カンちゃん。あの部室には、他には誰も、いないよね……?」

「…………」


 春日部さんはおずおずと、けれどしっかりと私を見据えて尋ねてくる。

 どんなに私が目を背けようとしても、決して逃してはくれない。

 頭の中でフラッシュバックする色々な光景が、私の心を蝕んだ。


「いるよ」


 私は答える。私の思うままを。


「いるよ。私たちの部室には、香葡先輩が、いる。いつだって、今でも、私のことを待ってくれてる」

「カンちゃん、それは……」

「私の香葡先輩が、いるんだ。香葡先輩はいつだって、私のそばにいてくれて。香葡先輩は、私の味方で。香葡先輩は、香葡、先輩はッ……」


 私はいつだって香葡先輩と一緒だから。私のそばには香葡先輩がいる。いつだって私を助けてくれる。

 そう、ただありのままを言葉にする私に、春日部さんは首を振る。


「カンちゃん! それはね……それは────」

「わかってるよ!!!!!」


 頭が真っ白になって、私は思いっきり叫んだ。

 わかりきったことを、今更、言葉にしようとする、春日部さんに。

 どうしようもなく、腹が、立って。


 だって、わかっているんだから。私が、誰よりも。


「香葡先輩は死んだ! そんなの、私が一番わかってる! 香葡先輩は、もう、いないんだ!!!」


 でも、そんなこと受け入れられなかった。一緒にいると思いたかった。

 だからいると思った。信じた。だから私には、いたんだ。

 香葡先輩がいてくれて、優しくしてくれて、励ましてくれて、信じてくれて、味方してくれて、支えてくれて。

 そうじゃないと私はもう、生きていけないから。


「香葡先輩はね、私があの日、チョコをあげた後に死んじゃった。私が本命のチョコをあげたから、香葡先輩は……」

「でも、そんなの……。カンちゃんが悪いわけじゃ……」

「私が、悪いんだよ。私は香葡先輩のこと、よく知ってたのに。優しくしてくれることに甘えて私は、私の気持ちが香葡先輩をどんなに追い詰めているのか、考えてなかったんだから」


 現実を受け入れていないわけじゃない。むしろよく理解している。

 だって私が悪いから。だから目を背けて、望むものを描いていた。

 でももう、あのことを思い出さざるを得ない。


「だって香葡先輩は、恋ができない人だったから」

「それ、どういう……」

「感情は普通にある。好意も抱くし愛情も感じる。でも香葡先輩は、恋慕を抱けなかった。恋愛をすることができなかった。香葡先輩は、恋という感情がわからない人だった。だから、私の気持ちに応えられなかった」


 呆然とする春日部さんに、私は淡々と事実を口にする。

 私が告白を断られた理由を。それでも一緒にいられた理由を。


「私が告白した時、香葡先輩は本当に申し訳なさそうに、そのことを教えてくれて、謝ってくれた。私のことは好きだし大切だし、ずっと一緒にいたいと思うけど。でも恋心がわからないから、私の気持ちには応えられないって」

「じゃあ、カンちゃんの叶わない恋は……」

「香葡先輩が恋を知らないから。だから私の恋は絶対に叶わなかった。でも私たちはお互いを好きだったから、一緒にいられたし、私はそれで満足だったんだ」


 なのに香葡先輩は、逝ってしまった。私を置いて。


「きっと香葡先輩は、耐えられたなくなったんだと思う。私の気持ちに応えられないことに。恋が理解できないことに。私が本命チョコなんて渡すから、それを余計に自覚して。だから香葡先輩は……」


 春日部さんは静かに息を飲んで、今にも泣きそうな顔をした。

 強く、もうそれ以上がないくらいに強く、私の手を握り続ける。


「香葡先輩はずっと、恋を理解しようとしてた。だから、人の恋の話を聞くのが好きだった。それでより濃く、強く、甘い恋をしている、ガールズ・ドロップ・シンドロームに罹った人たちに、積極的に関わっていたんだ」

「わからなくても、感じなくても、知りたかったんだね。香葡先輩は……」

「そう。だから私が能力を得てからは、私がより鮮明にそれを伝えていた」

「……?」


 わからないというように瞳を揺らす春日部さん。

 この際だからと、私は全てを語って聞かせる。


「私の能力。人の恋を食べる、能力。食べたそれは、どこに行くと思う?」

「どこって、食べたら、消えてなくなっちゃうとかじゃ、ないの?」

「消えないよ。食べたら、私の中に残る。その人たちの恋が」

「え……じゃ、じゃあ……」

「だから私は、それを香葡先輩に渡してた」


 口移しで。キスをして、渡していた。私が食べた恋を、香葡先輩に。

 恋を食べないこともあったし、その時は渡すものがなかったけれど。

 でもいつしか、ことが済んだ後のキスは私へのご褒美の側面を持つようになった。

 けれど本質は、香葡先輩が恋を味わうためのものだった。


 きっと私の能力はこのためのものだったんだ。


「でも、それでも香葡先輩は自分の心で恋を感じることは、結局できなかった。私から味わった時、その時は何かを感じたみたいだったけど。でもすぐにそれは凪いでいって、本質的にはわからないって言ってた」

「そん、な……」


 途中から私たちも、それでどうにかなるとは思っていなかったと思う。

 それでも、やめることはできなかった。香葡先輩は少しでも恋を味わおうとして。私はご褒美が欲しくて。

 ガールズ・ドロップ・シンドロームに触れてきたのは、私たちのエゴに他ならない。

 もちろん、助けたい、寄り添いたいという気持ちだってあったけれど。

 でもそれは、言い訳なのかもしれないと、思うこともあった。


「だから、ガールズ・ドロップ・シンドロームって言うんだよ」

「え?」


 私が不意にこぼした言葉に、春日部さんは首を傾げる。


「香葡先輩にとって、恋は全て甘いものだった。叶わぬ恋に陥るほどのものは特に、ドロップのように甘く輝かしい。恋を知らない香葡先輩が、焦がれるほどに求めた感情。その中でも深みに堕ちて、異能力を生むほどに熱烈で甘露な恋に、香葡先輩が『少女のガールズ飴のような・ドロップ・恋の病シンドローム』と名付けた」

「香葡、先輩が……」


 噂自体は、この学校に昔からあったものだという。

 香葡先輩が入学してその手の噂を知ってから、調節を施し名前をつけて流行らせたのが、今の噂。

 その噂が強い影響力を持てば、より強い恋の話を聞けるかもしれないと、そう思ってのことらしい。


「香葡先輩がいなくなって、私がガールズ・ドロップ・シンドロームに関わる必要は無くなった。でも、森秋さんの件に関わった時、その恋を食べた時、思ったんだ。私はこうやって彼女たちの恋に触れていくことで、香葡先輩を感じ続けていられるんじゃないかって」


 そうすれば、香葡先輩と過ごしていたあの日々に、戻れるんじゃないかと思った。

 気のせいでもいい。幻でもいい。妄想でもいい。

 一緒にいたあの温もりを、どんな形だっていいから、感じたかった。

 香葡先輩が私に何を言って、どう触れて、どう優しくしてくれるのかを、考えていたかった。


「わかった。わかったよ、カンちゃん……」


 私が吐き出した言葉を受けて、春日部さんは噛み締めるように言った。


「ううん、ごめん。カンちゃんの気持ちがわかるなんて、そんな知ったようなことは言えないや。でも、カンちゃんがどんな想いで今日まで来たのかは、わかったと思う。ごめんね、辛い話させちゃって」


 春日部さんは申し訳なさそうに眉を落とし、ようやく私の手を放した。

 そんな萎らしくする姿を見て私はゆっくりと、ぐちゃぐちゃしていた気持ちが落ち着いていった。

 香葡先輩のことは私の中であまりにも大きくて。彼女の思わぬ発言に、つい心が弾けてしまった。

 でも初めて人に話したからか、思ったよりも心は穏やかになっていた。


「私も、ごめん。怒鳴っちゃったし、当たるような話し方を……」

「ううん。話してくれてありがとう。アタシ、何もわかってなかった」

「……?」

「そんなカンちゃんに、アタシを選んでなんて、やっぱり言っちゃいけなかったね」


 そう言って春日部さんは、寂しそうに微笑んだ。


「今回のカンちゃんはいつもと違ったし、もしかしたらって思っちゃたのかも。カンちゃんはいつだってカンちゃんで、きっと今までだってずっと、そういう思いを抱えてたんだよね」

「えっと、春日部さん……?」

「でも今の話を聞いて、やっぱり迷ってるよ、アタシ。このままでいいのかって。カンちゃんは今、カンちゃんなりに前を向こうとしてるのに。私がそれを断ち切っちゃっていいのかってね」


 春日部さんの言っていることがさっぱりわからなくて、私は眉をひそめる。

 私が抱えているこの気持ちと、彼女の迷いに一体何の関係があるんだろう。

 香葡先輩の話になってしまって、彼女が今抱えている悩みの本質をまだ聞けていない。


「春日部さん、あなたの迷いって何? あなたは何に苦しんでるの……?」

「自分の能力のことだよ」


 春日部さんは簡潔に応えて、私をまっすぐ見る。


「ごめん、カンちゃん。あんな話聞いた後なのに、意地悪な気持ち、出ちゃってる」


 そう前置きをしてから、春日部さんは言った。


「私の異能力、なんだと思う?」

「え……」


 突然そう言われ、戸惑う。けれど春日部さんの言わんとすることはわかった。

 彼女が持っている能力を、私なら予想できるだろうということだ。

 私に恋をしているという春日部さんの能力は、私の望みを体現しているはずなのだから。


 私の望み。それは香葡先輩。香葡先輩に会いたい。

 お喋りをして、笑い合って、甘えたり、支えてもらったり、励ましてもらったり。

 抱きつきたいし、膝枕もしてほしいし、頭を撫でてほしいし、キスだってしたい。

 私は今だって、香葡先輩に会いたい。ずっと一緒にいたい。

 あの幸せな時間を取り戻したい。できることなら私は────


「もしかして……春日部さん、まさか……」


 思い至った私の願いに、たどり着いた結論に、けれど納得しきれない。

 でも突き詰めれば、私が望むことはそれしかなくて。

 けれど流石にそんなことは、できるわけがないと思ってしまう。


「春日部さん、あなたの能力は────」


 根拠はない。でもそれしか浮かばなかった。

 春日部さんは、静かに私の言葉を待っている。

 私に気づいてほしいと、答えてほしいと、そう言うように。

 その瞳に、私は応えるしかなかった。


「過去に、戻ること……?」


 震える唇で発した言葉に、春日部さんはにこりと微笑んで、頷いた。

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