第4話 南部という男

 彼が警備員をしていて、思わず抱きしめてしまったことで、すぐに我に返り、

「あっ、しまった。これで俺も終わりだ」

 と、まずは、

「会社を辞めさせられる」

 ということを考えた。

 しかし、

「待てよ?」

 と思い、それ以上に、

「最悪、警察に捕まるんじゃないか?」

 と考えた。

 しかし、相手も万引きをしたという後ろめたさがあるだろう。お互いに後ろめたさがあるのであれば、自分が助かるには、

「ここは強気に出て、何とか、相手を威圧するしかない」

 と考えた。

「このまま、黙っていてやってもいいぞ」

 と、わざと悪びれたような言い方をした。

 女も、ブルブル震えながら、

「どうやら、俺の言葉に、究極の恐ろしさを感じているのかも知れないな。このまま押しきることだってできるだろう」

 と思い、

「ここは強気で」

 と思っていたところに、相手の態度が、自分の予期せぬ方へと向かっていったのだ。

 何と、女は、抗っていなかった。

 震えてはいるが、南部にしっかりとしがみついてくるのだ。

 震えを感じるのは、がっちりちしがみついてくるのが分かるからで、その震えと、彼女の身体から匂ってくるものに、完全に参っていたのかも知れない。

 甘い匂いだと思ったが、何やら鉄分を含んだ臭い。

 最初は、

「まるで血の臭いだ」

 と思ったが、逆に血の臭いだと思った瞬間、その隠微さに、参ってしまう自分を感じていたのだった。

 血の臭いというと、子供の頃、友達の家に遊びに行った時、友達が階段から落っこちて、そのまま階下で、完全に足をすりむいていた。

 ちょうど何か出っ張りのようなものがあったのか、傷口は深かった。

 急いで救急車が呼ばれたが、出血はかなりのもののようで、床にべっとりと、血糊がついていたのである。

 友達は救急車で運ばれたが、その時に感じた血の臭いがどうしようもなく、大人になった今でもその時の臭いが、

「辛い思い出」

 として、トラウマのように残っていたのだ。

 しかし、同じような鉄分を含んだ血の臭いを、それまでのトラウマとは正反対の、隠微な臭いとして感じるというのは、どういうことなのだろう?

 南部という男は、最近までずっと彼女もおらず、だからと言って、

「彼女がほしい」

 というほどであったわけではない。

 もちろん、童貞ということもなく、大学時代は、それなりに彼女がいたりして、普通の学生時代を過ごしてきた。

 しかし、それが急に、これほど彼女への執着がなくなったのは、就職活動中だったかも知れない。

 その時付き合っていた女の子がいたのだが、就職活動をしていると、なかなか一緒にいることもできない。その子は、まだ1年生で、今大学に入ってきたばかりの、

「今が一番楽しい時期だ」

 と言ってもよかっただろう。

 そんな彼女が4年生の自分とつき合うようになったのは、

「私、同年代の男の子とでは、つき合えないの。どうしても年上がいいの」

 と言っていたのだ。

 当時の南部は、自分でいうのもなんだが、

「結構モテた」

 と言ってもよかった。

 実際に、好きになった女の子に告白して、断られたことがなかったので、思いあがっているというのも、無理もないことだっただろう。

 ただ、まわりもそれを認めていた。

「南部が相手だったら勝ち目ないよな」

 と言っていたので、有頂天になっていたのも確かだったが、それが、逆に自分を孤立させているということに気づかなかったのだ。

 それは、

「南部は一人でやらせとけばいいんだ。俺たちは俺たちの仲間を作っていればいいんだ」

 ということで、いつの間にか、南部は、

「周りからハブられていた」

 と言ってもいいだろう。

 だが、そのことも、途中から分かってきていた。

 それでも、

「彼女ができるんだったら、友達なんかいらないや」

 とばかりに、思っていた。

 だから好きな人ができれば、そちらに必死になり、友達などどうでもいいと思うことで、

「俺の好きなようにさせてもらう」

 と思うようになった。

 だから、まわりが認めてくれているのでなく、ハブられているということを感じていると、一人でいるのが、そんなに苦痛というわけでもなくなってきたのだった。

 だから、

「大学時代というと、友達といるよりも彼女といる方がいい」

 と思っていたのだが、途中から、

「彼女といるのも、何か億劫な気がする」

 と思うようになり。次第に、

「俺は一人でいる方がいいのだろうか?」

 と思うようになった。

 しかも、就活の時の彼女というと、

「相手は、まだこれから大学生活を謳歌する年齢で、こっちは、そろそろ、大学生活に見切りをつけなければいけない年齢だ」

 ということが、身に染みて感じられるようになってきたのだ。

 そうなってくると、

「俺は、一人取り残された」

 という風に、彼女に対してまで思うようになった。

 友達に対しては、最初からそう思っていたので、せっかくの大学生活の終着点で、自分が何を得たのかということが分からなくなったのだ。

 これがトラウマのようになって、おかげで、就職してからというもの、

「友達も彼女もいらない」

 と思うようになっていた。

 かといって、趣味があるわけでも、仕事を一生懸命に頑張ろうというわけではない。

 とにかく、何をどうしていいのか分からず、

「ただ、一人でいるというのが、一番いいんだろうな」

 と感じるようになっていたのだった。

 就職した時は、最初から警備会社だったわけではない。

「就職には、法学部が一番有利だ」

 というような勝手な理屈で、大学は、高校が大学の付属高校だったので、受験勉強もすることもなく、いわゆる、

「エスカレーター」

 で入学したのだった。

 最初から、他の高校から、正規の入試を経て入学してきた連中に、コンプレックスを持っていて、

「俺はいつも、彼らの後ろから背中を見ているだけなんだな」

 と思っているだけだった。

 彼らとしては、エスカレーターで入学してきた連中を、あまり心よくは思っていなかっただろうが、明らかに嫌っているわけでもない。

 ただ、中には明らかに嫌っているやつもいて、

「俺たちが必死で勉強して入学したのにな」

 と妬ましいことを言っているのを聴いたことがあったが、そんなやつとは最初から絡む気にはなれなかったのだ。

 そんな学生時代だったが、その頃からできたコンプレックスで、

「友達も彼女もいらない」

 という時期があった。

 普段なら、

「友達と一緒であれば、いけるのに」

 というようなところも、

「友達と一緒だと、自分が楽しめない」

 ということもあり、普通なら一人で行かないようなところに、一人で行くようになったというのも、何か皮肉なものであった。

 大学時代までは、彼女ができても、いつもすぐに別れていた。最初は、人当たりがいいからなのか、結構、最初はいいのである。

 しかし、大学2年生の頃までは、何人かで

「ナンパをする」

 という、大学生としては、ベタなことをしていたので、最初に行くのはいつも、南部だったのだ。

 しかし、途中から、気が付けばいつも一人になっていた。

「南部は仲良くなるための、最初のきっかけを作ってくれて、後は俺たちで、それぞれ好きな相手と仲良くなって、おいしいところだけを貰っていく」

 というようなことになっているようだった。

 大学3年生くらいまでは、そのことに気づかなかった。

「俺は、仲良くなるために必要な人間だ」

 ということで、おいしいところを持っていかれているという印象もなく、

「まだまだ、俺は童貞でいる運命なのかな?」

 と漠然と感じていたのだ。

 だが、四年生になって、実際につき合ってくれる彼女ができたことで、有頂天になっていたのだ。

 実際に、喋りも、

「マシンガントーク」

 といわれるようになっていて、

「俺の話を教務深く聴いてくれる女の子がいたんだ」

 と思うようになった。

 それだけ、最初は、控えめだと思っていたが、途中から、

「俺は貧乏くじを引いている」

 と思うようになると、最初は、

「それでも、皆の役に立っているんだから、それでいい」

 と思っていた。

 だが、やはり、いいところはなかなかなく、どうしても貧乏くじだった。

 次第に、自分の中にある自尊心が、傷つけられているという意識を持つようになると、

「これじゃあ、嫌だな」

 と思ってるところに、やっと4年生になって、彼女ができたのだ。

 その時は、

「神は見捨てないものだよな」

 と思い、自分の日ごろの行いの良さを感じたが、次第に付き合っていくと、どこかぎこちなさがあるように感じられるのであった。

 そのぎこちなさがどこから来るのか分からなかったのだが、

「俺にとって、彼女って本当にいるのだろうか?」

 と感じるようになったのだ。

 というのも、マシンガントークを、聴いてくれている時はいいのだが、たまに、急にあからさまに、

「面白くない」

 という態度を取ることがあった。

「ああ、嫌がっているんだ」

 と思うと、言わなくなってきた。

 すると、ぎこちなさがさらに激しくなって、話をするのが怖くなってくる。

 それが、

「億劫なのか、怖いという思いからくるものなのか?」

 ということで悩むようになってきて、会うということすら、考えようと思うほどになってきたのだ。

「俺って、本当に彼女にとっての彼氏なんだろうか?」

 という思うと、

「彼女も、本当に彼女なのだろうか?」

 という思いの両方が交錯しているのだった。

 そんな時、

「身体と気持ちは別なんだ」

 と感じるようになったのだが、そのせいなのか、身体がムズムズしてくることがあった。

 普通なら、恥ずかしくて買うことのない本であったりを、恥ずかしいという気持ちがありながら、本屋の前を行ったり来たりしたものだった。

 だが、ふと自分の行動を顧みると、

「中学生にしか見えない」

 という思いに至るのだった。

 それだけ、

「自分を客観的に見ることができるんだ」

 というものであったせいもあって、そこにいるのが、どうしても自分ではないようにしか見えてこないのだった。

 というのも、そのことをなぜなのかと考えていると、

「俺が中学の頃、そんな経験をしたことがなかったからだろうな」

 という思いであった。

 あの当時なら、きっと、本屋の前でウロウロしていたとして、その姿を想像すると、そこには、ウロウロしている自分の姿が重なって見えるはずなので、

「これが俺の本当の今の気持ちなんだ」

 ということが分かるはずだった。

 しかし、中学時代は、

「そんな恥ずかしいこと、できっこない」

 と思い、思春期は、自分の思いを押し殺し、考えていることすら、自分の考えではないという気持ちで、押し殺す感覚だったのではないだろうか?

 だから、まわりの友達が、群れをなして楽しんでいるのを冷めた目で、

「何が楽しいんだ」

 と思っていたのだが、それは、自分の正当性を表すことに終始するような気持ちになると、今度は、

「こんな団体と同じだと思われるのも嫌だ」

 と感じるのだろう。

 そう思うと、

「大人になってから、子供の頃に、しておかなければいけないと思うことを、相当逃してしまったのではないだろうか?」

 と思うようになったのだ。

 というのも、

「確かに、中学時代に、皆が見ていた、エッチな本を、俺一人カッコつけて、そんな本なんか見たくもない」

 とでもいうかのように無視するかのような態度でいると、

「見逃がしてきたことが、かなりあったに違いない」

 と思うのだった。

 ただ、今後悔しても、遅すぎる。

「だったら、今から、遅いと分かっていても、やればいいじゃないか?」

 とも思うのだ。

 だから、大学を卒業してから、友達を変につくると、

「彼らの手前恥ずかしい」

 と思うことを思えば、

「一人で、やりたいことをやる」

 と考えた方が、気も楽であるし、それ以上に、

「できないことや、何かをするのに遅いという余計な考えをしなくても住むのかも知れない」

 と感じるようになった。

 だから、風俗デビューも、自分一人でであった。

 普通なら、学生時代に、

「先輩が連れていってくれる」

 というのが、普通のような気がするが、南部の場合は、

「一念発起」

 だったのだ。

 何も、

「誰に気兼ねなどする必要がない」

 という思いと、

「こっちの方が、格好いいではないか?」

 という思いとの2つがあるのだった。

「人間には、羞恥心というものがある」

 ということであるが、その時の南部は、

「自分には、羞恥心なんてない」

 と思っていた。

 羞恥心というのは、

「恥ずかしい」

 と思うことで、思いとどまるための過程をいうのであって、彼の場合は、

「恥ずかしい」

 と思っても、思いとどまることはなく、

「その先を見てみたい」

 という感覚になるのだという。

 本来であれば、

「恥ずかしさというものが、我慢させる原動力になるから、羞恥心なのであって、その羞恥心が、

「我慢はするが、なぜ我慢しなければいけないのか? 我慢することで、自分がどこまで自分のことを分かるというのか?」

 ということを考えると、

「我慢だけが、正義ではない」

 と思えるのだった。

「先を見たい」

 という思いが、羞恥心という考え方からすれば、

「戒め」

 として、自分を諫めることに繋がっているだとすると、

「何も我慢をする必要などないのではないか?」

 と思うと、とにかく、

「恥ずかしいからやめなさいという言葉の、恥ずかしさ」

 というものが何なのか?

 それを考えさせられるのだ。

「何でもやりたいことをやってみればいいんだ」

 ということであった。

 ただ、それでも、風俗に行くことだけには、南部には、

「自分なりのこだわり」

 というものがあったのだ。

 それは、自分が感じたことではなく、人から言われたことに対して考えた時、

「ああ、その通りではないか?」

 と感じたことであった。

 それが、いわゆる、

「賢者モード」

 というものであり、

「男は、一度達すると、次の欲情までに時間が掛かる」

 と言われているものであり、よく昔のドラマなどで、

「ベッドシーンがあったりすると、男と女が達した瞬間、女は、男にしがみつくが、男の方は、冷めてしまって、タバコに火をつけて、放心状態になりながら、そのタバコを咥えながら、ただ、天井を見つめているというシーンを思い浮べるだろう。

 何とも男は冷めた態度であるが、それこそが、いわゆる、

「賢者モード」

 というものであり、男は、そこで、我に返るというべきか。

 それだけに、精神的にも上の空になってしまう。

 その男の習性を分かっているオンナであればいいが、それを知らないと、

「この人何よ」

 ということになってしまう。

 確かに男が賢者モードになってしまうと、すぐには立ち直れない。そこが、男と女の一番の違いだと言われている。

 それでも、性欲の強さでいけば、男の方が強いのか、もちろん個人差はあるだろうが、個人差の問題以上に、この賢者モードと呼ばれるものは、奥が深いものなbのかも知れない。

 そんなことを考えていると、風俗で最近では、あまりガツガツした男がいないと言われるのも、分からないものでもないだろう。

 昔だったら、

「性風俗があるから、犯罪が減る」

 だとか、逆に、

「性風俗のせいで、風俗嬢が狙われる」

 などというのがあり、その理由が、

「性欲にある」

 と言われているが、どうなのだろう?

 最近、思うこととしては、意外と、

「草食系男子」

 などと言われて、性欲に走るという人が少ないように感じた。

 以前であれば、男も女も、

「結婚適齢期」

 というものがあり、その年齢くらいになると、本人たちの意思とは別に、

「そろそろ結婚しないといけない」

 であったり、

「結婚しないと、できなくなる」

 などという意識が強く、女性は、特に結婚を焦り始めると言われていたが、今ではそうでもない。

「そもそも、結婚しないといけないというのは、どうしてなのか?」

 というところから、考えてしまう。

 今の時代に、

「家系の存続」

 などというのは、正直ナンセンスである。

 逆に、

「結婚しないといけない」

 などというのは、決めつけであり、却って結婚を焦らせてしまって、ロクでもない相手を選んでしまうということもないとはいえない。

 昔みたいに、

「許嫁」

 であったり、

「お見合い」

 などというので結婚して、

「本当にうまくいくのだろうか?」

 と考えたことがあったが、逆に、

「お見合い結婚の方が長続きする」

 と言われるくらいで、ただ、今であれば、平成の頃にあった、

「成田離婚」

 などというのも分かる気がする。

 確かに、

「お付き合いしている時と、結婚してからでは、まったく相手の見え方が違う」

 というのは当たり前のことだが、考えてみれば、付き合っている時は、

「相手のいいところしか見えない」

 いや、

「いいところしか見ようとしない」

 ということが大きいのではないだろうか?

 さらに、今までは、

「結婚すれば、ずっと好きな人と一緒にいられる」

 ということで、有頂天なのだが、それはあくまでも、

「自分が想像する好きな相手であり、その人は従順であり、逆らうこともなく、自分のいうことに逆らうことはない相手だ」

 と思い込んでいるからそう思うのであって、それまでは従順であっても、結婚したとなると、もっと現実的になるだろう。

 相手の悪いと思うところは、

「悪い」

 と指摘し、その指摘が的を得ていると、本来なら、反省すべきなのだろうが、自分に従順だと思い込んでいるので、

「逆らった」

 と感じるであろう。

 そういうちょっとした行き違いが、お互いに反発し合うという火種を残しているのかも知れない。

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