怪しい色彩

森本 晃次

第1話 世知辛い世の中

この物語はフィクションであり、登場する人物、団体、場面、設定等はすべて作者の創作であります。似たような事件や事例もあるかも知れませんが、あくまでフィクションであります。それに対して書かれた意見は作者の個人的な意見であり、一般的な意見と一致しないかも知れないことを記します。今回もかなり湾曲した発想があるかも知れませんので、よろしくです。また専門知識等はネットにて情報を検索いたしております。呼称等は、敢えて昔の呼び方にしているので、それもご了承ください。(看護婦、婦警等)当時の世相や作者の憤りをあからさまに書いていますが、共感してもらえることだと思い、敢えて書きました。ちなみに世界情勢は、令和4年12月時点のものです。いつものことですが、似たような事件があっても、それはあくまでも、フィクションでしかありません、ただ、フィクションに対しての意見は、国民の総意に近いと思っています。


 最近は、都心部に行くほど、ビルの建て替えが頻繁のようだ。

「老朽化によるものだ」

 ということであるが、実際には、ビルの建て替えだけではない。

 昼はほとんどやっていないが、信号機が押しボタン信号に変わるくらいの深夜時間帯となる頃には、道路工事が頻繁になっているようだ。

 当然、騒音も結構なもので、

「こんなに騒音を出して、誰も文句を言わないのだろうか?」

 と思ったが、たぶん、2、3月くらいの、いわゆる、

「年度末調整」

 の時期の煩さに慣れているということではないだろうか?

「年度末調整」

 というのは、国土交通省だと思うが、

「道路工事の予算を、その年度分を使いきらないと、翌年には減らされる」

 という、

「訳の分からない理由」

 のせいで、年度末に予算が残らないように、

「帳尻合わせのための、工事」

 というのを慌ててやるようなものだ。

 まるで、小学生が、

「夏休みの宿題を、終わりに近づいたので、慌ててうやる」

 というのと似ているだろうか?

 状況は違うかも知れないが、見ている限り、五十歩百歩としか思えないではないか。

 官公庁でも何でもないスーパーに、

「年度末調整」

 などは関係ないはずなのに、不思議と、年末や年度末に、スーパーなどが夜中、工事しているように思うのは気のせいだろうか?

「もっとも、新店ができるということで、その予定が、ちょうど年度末にかぶる」

 というのであれば分からなくもないが、やはり表の道路を工事している騒音を思えば、スーパーの改装が重なっているように思えるのは、スーパーとしても、近所から苦情が来ないという意味で、便乗しているのかも知れない。

 だが、逆に住民の中には、本当は道路の騒音がひどいはずなのに、スーパーの方に恨みを持つ人もいるようで、そういう人は、改装なったとしても、そのスーパーで買い物をしたりしないだろう。

「今の時代、スーパーで買い物なんかしなくても、ネットで注文すれば、翌日には届くという便利な宅配サービスもある」

 ということであった。

 そのようなスーパーは、実は昔からあった。

 昭和の昔から存在していて、なかなか軌道に乗らないのは、

「サービスに、システムや物流が追いついていないからではないか?」

 と思われていた。

 確かに、画期的なサービスであり、一般商品なら、それほど苦労はないが、日配、生鮮食料品のように、日持ちしない商品は、その手配が大変だった。

 その日の早朝から、急いでパック詰めまで行って、他の食品と一緒に届けることになるのだ。

 最初は、システム開発が追いついていないという問題もあり、どうしても、配達できるものに制限があったかも知れないが、システムが、革命的に進化すると、ほとんど、客の要望に応えられるように、やっと追いついてきたのだった。

 その画期的なシステムというのは、

「デジタルピッキング」

 というものだった。

「ピッキング」

 と聞くと、ちょっと怪しい犯罪用語と勘違いするかも知れないが、物流関係の専門用語としては、おおざっぱに言うと、

「出荷のための、品出し」

 というものである。

 従来であれば、お客さんから注文があったものを、客ごとに出荷のリストを出し、倉庫の作業員がそれを見ながら、台車を転がして、一つ一つ、棚に置かれている商品を集めてまわることになる。

 しかし、デジタルピッキングというのは、便利なもので、

「その日、どの商品が、いくつ出る」

 ということを、コンピュータが集計し、まず、棚に入れておく数を確定させる。

 そして、今度は、実際に品出しをするのに、倉庫の中で、今まで人が台車を押していどうしていたところに、ベルトコンベアを設置するのだ。

 そして、それぞれの棚に番号を振っておき、実際のピッキング作業の時に、実際に出荷するデータを基幹のシステムがピッキング作業用のデータを作成し、それを、

「マテハン」

 と呼ばれる、

「ピッキングをするための、専用のシステムに送り込む」

 ということになるのだ、

 マテハンの中で、共通のシステムがあり、ベルトコンベアと連動させることで、ベルト混んであの上に客にお届けるために、プラスチックの容器を流し、その容器の中に、ちょうどお客さんが注文した商品がある棚の前に来た時に、棚には、箱にいくつ入れればいいかの数字があり、それを取っていれると、表示ボタンを押す、すると、ボタンの数字が消える。それをその会員の注文アイテムに達すれば、そのエリアは完了ということになり、すべてのエリアの箱入れが終了すれば、ストッパーが下りて、次のエリアに流れていくという仕掛けである。

 これは、デジタルピッキングの基本動作で、ちょうどデジタルピッキングが始まった頃の1990年代くらいからの、初期型システムのおおざっぱな流れである。

 実際には、一つのエリアに、いくつもの会員のピッキングを可能にしたり、在庫と連動し、品切れ機能などを追加することで、どんどんカスタマイズされ、洗練されたシステムになって行ったのはいうまでもないことだった。

 さらに、ピッキングだけではなく、配送に関しても言えることだ。

 地図データと連動させて、

「いかに配達員が、効率よく商品を配って回れるか?」

 ということが大きなテーマとなり、

「配送計画」

 なども、システム化されて行った。

 本当に最初の頃は、システムも煩雑だったので、手作業部分も若干あったが、それはシステムだけの問題ではなく、地域の情報を収集してきて、地図データを、市販のものには限界があるので、それだけではない独自のデータを生成させる必要があったのだろう。

 要するに、システムだけでは限界がある。

 マテハンシステムというのは、あくまでも、

「標準パッケージ」

 というものであり、それぞれの会社の特徴など、最初から加味できるはずもなく、

「それぞれの会社で実用化できるような、手入力というものも、用意されたシステムである」

 ということが重要なのかも知れない。

 だからこそ、

「その日中に注文した商品が、翌日には各家庭に届く」

 などという宅配システムが出来上がってきたのだ。

 それまでには、いろいろな状況を加味したシステムであったり、運用側のノウハウを生かしたものとして、改良がくわえられることで、いろいろな便利なシステムが出来上がっていったのであろう。

 そんなシステム開発も、当時はある程度急がれたのかも知れない。

 何しろ時代は、昭和から平成へと移り変わり、その後迎えることになる、

「バブル崩壊」

 それにより、リストラなどの深刻な社会不安もあり、流通関係の会社も、結構痛手だったりした。

 特に問屋などは、中小企業などでは軒並み倒産ということもあり、大きな商社が、末端のスーパーを受け持つことになったりした。

 従来であれば、直送などで、下請けのような問屋に卸し、そこからそれぞれのスーパーに小分けをして持っていくという形で、大手商社は、下請けをたくさん持つことで、直送手数料で食ってきたものが、それができなくなり、末端からは、

「商品がこない」

 などというクレームがあり、

「営業お物流も、管理部門も、大混乱の中の業務となった。

 営業社員は、潰れていった下請けから、数人を雇い入れ、そのノウハウを生かすことになるだろう。

 それまでの小売りと下請けの交渉を、大手問屋が分かるはずもなく、いかに対応していくかということが大きな問題ではないだろうか?

 それに、下請けお営業と、小売りのバイヤーとの、それまでに培われた、

「信頼関係」

 というものもある。

 いくら、倒産した会社だといえ、個々の営業の技量は、それなりのものがあったはずだからである。

 それを考えると、その後に起こる、

「吸収合併や、大手企業同士の合併」

 などというのも、

「理にかなったことではないか」

 と言えるのではないだろうか。

 ネットスーパーには、ある意味、一長一短があるだろう。

 確かに慣れると便利でいいのだろうが、いくつかのデメリットもある。

 まずは、

「いつも実際に目で見て買うことで、新鮮なものを選べる」

 という自負を持っている人には、どうしてもネットスーパーというのは、自分でものを選ぶわけではなく、たくさんの中から最初に掴んだものという感覚なので、新鮮さというのは、望みのものが来るとは限らない。

 また、

「掛けで買うのは嫌だ」

 と思っている人も少なくないだろう。

「お財布ケイタイ」

 などの、電子マネーを含む現金や、プリペイドカードなどであればいいのだが、

「一か月分をまとめて、その合計を、決まった日に引き落とし」

 というやり方であれば、

「ついつい余計なものまで買ってしまう」

 という、

「クレジットカードあるある」

 というものになってしまうだろう。

 クレジットカードというと、どうしても、値段の上限を意識せずに買ってしまうという人も多く、

「これこそが、クレジットカードの罠で、特に買い物依存症などという人にとっては、天敵といってもいいかも知れない」

 宅配サービスをまだ、

「銀行引き落とし」

 にしている人はまだいいが、つまりは、

「購入の翌月の10日引き落とし」

 という程度でいいが、もし、それをクレジットカード支払いなどにしていると、それが、

「翌々月の10日」

 などということになるのである。

 何かといり用の、年末など、ギフトや、クリスマスケーキやオードブル。さらには、お正月準備やおせちなどとなると、値段が一気に跳ね上がる。

 普段の月が二万円くらいであっても、12月などになると、10万まではいかなくても、7万、8万くらいは普通にあるのではないだろうか?

 今までは12月の給料と、冬のボーナスを当てにしてできたことが、実際の支払が2月ということで、その時に、銀行に入っていないといけないわけで、意識せずに買っていると、その引き落としができなくなり、下手をすると、

「カードをストップ」

 ということになるかも知れない。

 そういう意味で、金銭感覚の弱い人は、クレジットというのは、一歩間違えれは命取りになりかねないだろう。

 それを思うと、売掛という形での、宅配などというのは、

「諸刃の剣のようなものだ」

 といってもいいだろう。

 ただ、

「絶対に必要な人」

 というのもいるだろう。

 例えば、車で移動しないとスーパーまでいけない人が、年老いてしまい、運転ができなくなり、

「免許の返上」

 をした人に、毎回、買い物のために、バスなどに乗って、街まで出てこいというのは無難しいことだ。

「第一、出てくるだけで大変なのに、購入した荷物を持って、また家まで戻るのがどれほどきついかということを分かっているというのだろうか?」

 そもそも、宅配系のサービスが出てきたのは、

「これからの相思高齢化によって、さらに、田舎の過疎化によって、買い物ができない人、つまり、買い物弱者、が増えてくることを見越して考えられたサービス」

 だったのだ、

 さらに、今度は、

「共稼ぎなどにより、買い物が次第に大変になってくる」

 ということも見越して、考えられたものであった。

 そもそも、このサービスというのは、おおっざっぱなシステムではあるが、

「まずは、会員制ということで、サービスを利用したいと思った人が、宅配会社に連絡を取り、入会の手続きを取る。連絡の取り方は、以前は電話、今はスマホやパソコンから、決められたフォームに入力するだけだ。もちろん、個人情報の問題もあるので、できるところまでの入力になるが、それでも個人情報が必須な場合は、当然のことながら、セキュリティをしっかりとしていることが前提である」

 ということだ。

 そして、会員になるためには、いくつかの登録が必要で、氏名、年齢、性別、住所、電電話番号などの基礎情報はもちろん、引き落としかクレジット関係の情報、さらに、マンションであれば、オートロックの有無、自宅であれば、ペットの有無などの配達に必要なものである」

 それが、プロローグで、基本は、営業が行って、入会手続きの用紙を記入ということになる。

 そうしないと、個人情報をネットに晒すのは恐ろしいということである。

 そして、入会手続きが終わると、今度は注文のやり方のレクチャーをしてもらうのだが、昔であれば、プッシュホン型の電話で、

「音声対応」

 という形でボタンを押すことで、注文するのだ。

 たとえば、最初に繋がった時など、

「会員番号を入力し、♯を押してください」

 と言われるので、その通りに乳六する。

 つまり、音声の言う通りに入力すれば、最後には注文が完了しているというわけだ。

 今ではネットやスマホでの注文が多くなっているが、会社のホームページ内にある、注文のページから、会員ログインして、クリックして最後に確定ボタンを押すというやり方だ。

 最近では、ファーストフードのお店でも、タッチパネルなのでの注文が増えてきている。宅配サービスを利用している人は、タッチパネルの利用もさぞやスムーズに行ったことであろう。

 それを思うと、宅配サービスは、実にうまくできていて、ある意味。

「時代の先端を行っていて、やっと他のサービスがおいついてきた」

 といってもいいだろう。

 特に、ここ数年前から、いまだに猛威をふるっている、

「世界的なパンデミック」

 というものであるが、

 伝染病の流行ということであり、最初の頃は、ただ、

「よくわかっていない」

 ということで。世間も政府お、

「ただ、怖がっていて」

 そのせいで、

「人流抑制」

 を余儀なくされ、自宅から出てはいけないというような宣言であったり、店などに対しては、

「休業要請」

「時短要請」

 などを行い、スーパーも、人がいるので、入場制限をしていた次第だ。

 それを思うと、ネットスーパーや、ウーバーイーツなどのサービスが注目されるのは当たり前のことであった。

 ウーバーイーツというのは、元々はタクシーなどの、配車システムから構築されたもので、

「会員が、カタログにある食べたいものを注文すれば、その情報が、各ファーストフード、ファミレスなどに、注文が入る。その注文を店が作っている間に、今度は、配達員に対して、配達するための会員の情報と、注文内容が入ってくる。そして、配達員は、その情報を見て、それぞれのダースとフードやファミレスを回って、出来上がった食事を持って、会員に届けるというシステムである」

 つまりは、配達員というのは、昔からの宅配サービスでいえば、

「デジタルピッキングのシステムと、宅配のための配達員の両方をしている」

 というようなものである。

 それに、今では、GPSという機能がついているので、

「配達員の誰がどこにいて、今は配達業務をしているのかいないのか?」

 ということまで分かるのだ。

 だから、それが分かったところで、本部の方で、人が手動であてがうのか、それとも、コンピュータが自動で割り振るのかは、その会社の形態によるだろう。

 この本部のシステムこそが、元々の、

「タクシーの配車システムの発展形だ」

 ということになるのであろう。

 何しろ、客から見れば、

「昔でいうところの、出前」

 であった。

 出前であれば、食べ物によって、それぞれに電話しないといけない。

 例えば、

「ピザであればピザ屋、すしであれば寿司屋。丼物やそばであれば、そば屋」

 などという感じである。

 それを、一か所に、しかも、ネットでの予約でできるというのだから、考えてみれば、

「まるで、このパンデミックというものを最初から分かっていたとでもいうかのようなシステム」

 という意味でも、ありがたいものであった。

 おかげで、パンデミックの時期に、ほとんどの会社が、ひどい目に遭い、中には、業界全体が全滅に近い状態になっているにも関わらず、

「特需」

 として、儲かった、希少価値の業界だといってもいいだろう。

 ウーバーなど、同じシステムで動いていたタクシー業界などは、本当に悲惨だったようだ。

「緊急事態宣言」

 なるものを政府が発令したが、あの宣言もいい加減なもので、

「目の前に見えているところにしか、補助金を出さない」

 という不公平なシステムでもあった。

 というのは、

「休業要請をする店舗に対しては、決められた範囲で補助金を出す」

 ということであった。

 しかし、問題は、それだけではなかった。

「店舗に休業要請を出すということは、店が閉店することで、そこがもし、飲食店であれば、店が仕入れる食材や、お酒の業者はどうなるというのだ?」

 国は、そこに関しての補助金までは考えていなかった。つまり、不公平な補助金だったのだ。

 さらに、その金額も、

「一律」

 ということであった。

 都会のように、家賃もバカにならないということで、回転率で営業しているところにとっては、自治体からの補助金などというのは、

「鼻糞にもならない」

 というものである。

 しかし、逆に、田舎のお店などは、そうではなかった。

「うちのお店だったら、店を開けても、閉めても、元々客がたまにしか来ないくらいなので、自治体から補助金が出るんだったら、喜んで閉める」

 というところも多かったようだ。

 何しろ、

「仕事をしなくても、自治体が食わせてくれる」

 というほくほくの人もいたことだろう。

 それこそ不公平だというものだ。

 そんな時代が、2年くらい続いただろうか、今では、ワクチンに頼り切っているのか、それとも、ウイルスの変異株が、

「感染力は強いが、重症化や致死率に関しては、かなり弱い」

 ということもあって、経済対策の方に舵を切ってしまったことで、果たしてそれが、今後どうなるか実に見ものである。

 ただ、今までの政府の政策は、

「すべてが裏目」

 だったので、今回も、そうならないという保証はない。

 むしろ、

「悲惨以外の未来が、誰の目にも見えてこない」

 というのが、本音に違いない。

「まあ、あの遣唐使がソーリをやっている間は、少なくとも、亡国の一途でしかないんじゃないか?」

 と、国民のほとんどは思っていることだろう。

 今のこの時代において、今回の、

「世界的なパンデミック」

 というものが、

「国の行く末を示している」

 といっても過言ではないだろう。

 そんな今の時代に、

「以前は24時間営業だった」

 という店も、今は、

「経営不振のため」

 ということで、深夜の営業をしないところが増えてきた。

 それも無理もないことで、パンデミックが起こった2年目くらいまでは、

「宣言を出して、その期間が終わったと思ったら、また宣言を出したり、延長したりするではないか」

 ということで、まったく、計画を店側も立てることができない。

「どうせ店を開けていても、すぐに、時短要請が出るんだから、それくらいなら、最初から時短にしとけばいいんだ」

 ということで、店は早く閉まるようになった。

 それに便乗して、鉄道会社も、終電を早める。

 そうなると、今まで、

「眠らない街」

 と呼ばれていた繁華街も、どんどん寂れてくるようになる。

 もちろん、それでも、夜中ずっと営業しているところもあるが、微々たるものだ。

 そんな街なので、宣言が出たり解除したりした時期には、犯罪が横行していた、

 その一番が、

「空き巣狙い」

 のようなもので、店を閉めたまま、たまにしか様子を見にいかないところは、行ってみると、やられていたということも少なくないようだ。

 真夜中は、基本営業をしていたので、警備会社と連結していないところは、やられ放題だったかも知れない。

 ひどい時には、強引に店を壊してでも、盗みに入る連中もいて、その強引さは、ひどいものであった。

 それを思うと、どれほど世の中が乱れているか、そして、

「眠らない街」

 というものが、本当に閉まってしまうと、どんなゴーストタウンになり、一気に、無秩序になるかということが分かるというものであった。

 そんな街において、今までは、空き巣などが多かったが、最近では、殺人事件などという、

「物騒な世の中」

 という言葉で言い表すには、不謹慎な状態になってきているということを、まだ、マスゴミは世間に伝えてはいなかった。

 新聞などの小さな記事や、ニュースフラッシュなどの、状況を伝えるだけの、数十秒くらいのニュースに埋もれてしまって、大きなニュースとしては取り上げられていない。

 それだけ、世の中というものが、

「全体的に物騒になり、そのせいで、少々おことでは驚かない世の中になってきたのではないか?」

 ということであった。

 それを考えると、

「どこで誰が殺されても、驚きもしない。それだけ、伝染病で毎日のように人が死んだというのを聞かされ、最初の頃などは、芸能人が、バタバタと亡くなっていったではないのか」

 というものである。

 伝染病も、最初は、

「風邪の一種だ」

 という話もあり、あまり実感が湧かなかった人も、芸能人が次々に犠牲になっているのを見て、ほとんどの人間が、やっとその恐ろしさに気づき、国が出す、

「緊急事態宣言」

 というのも、それほど大きな混乱もなく、国民が従ったのも、その恐ろしさを感じたからだったのだ。


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