第21話 物置き部屋?

 ニーナが通路だと思ったのは、近づいてみると壁の一部が崩れたあとだった。

 おそらくは経年劣化による崩壊だろう。

 見た感じ、崩れたのはごく最近のようだ。


 崩れた壁の向こうにも、部屋が続いているようだ。

 松明をかざすと、ぽっかりと穴が開いたような空間が覗いて見える。


「なんの部屋だろ、ここ……」


 がれきをまたげば、向こう側にいけそうだ。

 少し怖さやためらいもあったけど、湧きあがる好奇心がまさった。

 ニーナはそろそろと、崩れた壁の一部を乗り越え、部屋の中に入っていった。


 そこは、ここまで見てきた神殿の様子とはずいぶん様相が違っていた。

 一言で言えば、ごみごみしている。


 古い壺や、朽ちかけた机や椅子、合金製と見える皿やカップが所せましと詰め込まれていた。

 すべて現代のものとはおもむきの異なる、古代の品だ。


「お……おお~!!」


 ニーナの目が、今日一番の輝きを見せた。

 人によってはただのガラクタにしか見えないだろうが、ニーナにとっては宝の山に思える光景だった。


「物置きか何かだよね、ここ……」


 その部屋には、それまでの通路や部屋にあったような飾りっ気はなく、神殿らしい厳かな空気は感じられない。

 おそらく、関係者が暮らすような、一般信徒には見せたくない部分だったのだろう。

 神聖な雰囲気とは無縁な代わり、そこに生きていたものの息づかいを感じさせる、生活感のある場所だった。


 もちろん、ここもとうの昔に無人の廃墟で、ひと気はない。

 すえたかび臭い匂いは、神殿の表側以上で、空気も悪い。

 長い年月のあいだに朽ちてゆき、用途も元の形がなんだったのかも分からない、ゴミとしか呼びようのないものもたくさん転がっている。


 けど、誰も訪れなかったせいか、壊れずに残っているものの保存状態は、表の神殿部分よりずっといい。

 それに何より、どこに何があるか分からない雑然としたありさまが、ニーナの心をかきたてた。

 想像力がかきたてられるのはもちろん、絵の画題になるようなものも、少なくないように見えた。


「お姉ちゃんは、こんな場所があるって気づかなかったのかな……」


 姉にもらった神殿内部の見取り図に、この部屋の記述はなかった。

 壁の崩落は見たところ、かなり新しいもののようだ。


 エリザが気づかなかった可能性は十分あるだろう。

 それに、たとえ壁の穴に気づいたとしても、生真面目なエリザがその向こう側に行こうとするとは、ちょっと想像しにくかった。


 雑然と床に散らばる大小さまざまなものを踏まないよう気をつけながら、ニーナは部屋の奥へと歩いてみた。

 ごみごみとしているのと暗いので分からなかったけど、歩いてみると部屋自体はかなり広い。

 奥にもどんな掘り出しものがあるか、期待に胸を膨らませながら、崩れた壁の辺りから、さらに遠ざかっていく。


「きゃあぁっ!?」


 不意に、ニーナは甲高い悲鳴を上げた。

 同時に、足を宙に浮かせ、飛びすさっていた。

 腰が抜け、尻もちをついてしまう。


 ――だ、誰っ!?


 そう口に出したつもりだったけど、驚きのあまり声が出なかった。

 誰もいないはずの廃墟に、人影が見えたのだ。


 ――も、もしかして、盗賊とかそういう……。ど、ど、ど、どどどどどうしよう!? こ、殺される!? に、逃げないと!? それとも戦う!? いやいやいや、無理無理。お、お姉ちゃん、ごめんなさい! もうこれからは寄り道なんかゼッタイしないから。助けて!!


 ニーナは一瞬のうちに、激しく思考を空転させる。

 けど、ちらりと見えたはずの人影は、一向にこちらにやってくる気配がなかった。


 ニーナはおそるおそる明かりをそちらへと向けた。

 そして、人影の正体を知る。


「なんだぁ……」


 腹の底からどっと息を吐いた。

 まだ、心臓がばくばくと鳴っている。

 肌寒いこの季節に、額には冷や汗を浮かべていた。


 誰かが潜んでいると思ったのは、まったくの勘違いだった。


 そこにあったのは、大理石で掘られた彫刻だった。

 女性の姿で、実際の人間と等身大の作品だ。

 ぱっと見た感じ、ニーナよりも頭ひとつ分は背が高い。


「って、彫刻!?」


 ニーナは、さっきとはまた違った驚きの声を上げた。

 痛むお尻をさすりながら、立ち上がる。


 いままでこの部屋で見かけた、壺や皿なども好奇心を大いにかきたてられる掘り出しものだった。


 けど、彫刻となると別格だ。

 それも、ぱっと見た限り、目立つ破損も見当たらない。

 奇跡的なレベルで、完璧な状態だった。


「すごい……」


 感嘆の吐息を漏らしながら、もっとよく見ようとニーナは彫刻へと近づいていく。

 状態が良いのみならず、遠目から見ても分かるくらい、精緻で美麗な作品だった。


 いまニーナが身につけているような、古代の貫頭衣を身にまとった乙女の姿だ。

 両腕を頭の上へ上げま先立ちになったポーズで、四肢のラインを強調しながらも、あくまで自然に身体を伸ばしているような軽やかさも感じる。

 もとが大理石であることを忘れさせるような、衣服の自然なしわのラインやふわりとした広がりが、その印象を深めていた。


 フロレンティアの聖堂や広場で見かけたとしても、まったく違和感がなかっただろう。

 それと同時に、現代の万能の聖女たちでは再現不可能な、古代の技法と特徴も感じられる。


 信じられないほどの掘り出し物だった。

 ニーナは、まるで夢を見ているような思いがしていた。


 吸い寄せられるように、ふらふらとした足取りで近づく。

 もう、目の前にある彫刻の他に、何も見えていない。


 それがいけなかった。

 人ではなかったと分かって油断したのもあるだろう。


 彫刻があるあたりは、他にも大きな物が雑然と詰め込まれていた。

 その一つが、ほとんど腐り落ちかけた木製の棚だった。

 高さはニーナの倍近くあった。


 暗さもあって、ニーナはそれに気づかず、肩がぶつかってしまう。

 それだけで、棚がぐらりと揺れた。


 めきっと音を立て、その土台が割れる。

 もともと、崩れかける一歩手前だったところを、ニーナがそのきっかけを作ってしまった形だった。


「きゃっ!」


 事態に気づき、ニーナは短い悲鳴を上げた。

 逃げなきゃ、と思ったときには遅かった。


 大きな棚が、ニーナをめがけて倒れてくる。

 ニーナはとっさに腕で頭をかばい、目をつぶった。

 どさり、と大きな音が響く。


 けど、覚悟していた衝撃は襲ってこなかった。

 重くもない。


「…………?」


 おそるおそる、うっすらと目を開ける。

 と、至近距離で誰かの顔と目が合った。


「大丈夫? あなた、おケガはありませんこと?」

「へっ?」


 白百合の花が香るかのような、上品な声音が、ごく至近距離からニーナの耳に響いた。

 見れば、誰かがニーナをかばって、背中全体で棚を受けとめていた。


「あ、あなたこそ、その、だ、大丈夫……?」


 ニーナはかすれた声を漏らし、震える手で相手が背に負った棚を指さした。

 


「ああ、これのことですの? どうということありませんわ。……よっと」


 相手は、棚を支えたまま振り返り、言葉どおりなんでもないように、棚を押し戻した。

 特に力を込めたようには見えなかったが、どぉん、と重い音を立てて、大きな棚が向こう側に倒れた。


 どう見ても、人の重量を遥かに超える代物だ。

 怪力自慢の男でも、こんな芸当ができるものとは思えなかった。


「う~ん……少し散らかしてしまいましたわ。まあ、あとで考えるとしましょう」


 軽い運動をした、というようにぱんぱんと手の埃を打ち払っている。

 ニーナは、まんまるに目を見開き、相手の姿をじっと見つめていた。


 いったい、この人はどこからやってきたんだろう。

 とにかく、助けてもらったお礼を言わないと。


 そう内心思いながら、口を開きかけ――気づく。


「え……えええぇ~!?」


 さっきからいろんなことに驚かされてばかりだ。

 けど、これが間違いなく、一番の驚きだった。


 いまさらながら気づく。

 ニーナを助けてくれたのは、さっきまで見ていた彫刻そっくりの女性だった。

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