第5話 期限切れ
狭い工房だが、その最奥には親方専用の作業部屋がある。
大型の機械や炉を用いなければ造れないような代物を扱うための部屋でもあった。
ニーナはその金属扉に備え付けられた紐をグイッと引いた。
部屋の内側に備え付けられたベルが鳴る仕組みだ。
親方が大声で「入れ」と返事するのを聞いてから、ぎぎぃと扉を開ける。
天井から吊るしたランプの下で、親方は巨大な鉄塊を叩いていた。
船の補強板だ、とニーナはすぐに察した。
ニーナが扉を閉めても、目も向けなかった。
一心不乱に、鉄塊と向き合っている。
「あ、あの~、親方~?」
ニーナは、おそるおそる声をかける。
けど、けたたましい鉄を打つ音にほとんどかき消えてしまう。
「親方~!」
ちょっとだけ、ニーナは声の調子を上げた。
それでも、相手は振り向かない。
「お・や・か・たー!」
腹の底からだいぶ大きな声を張りあげる。
それでもダメだった。
「親方ー! 今日からまた、みっちりよろしくお願いしますー!!」
仕方なく、そのままあいさつし、頭を下げる。
親方はまだ顔を上げなかった。
何も聞こえなかったかのように、作業に没頭していた。
部屋には、撃鉄の音や轟轟とうなる炉の炎の音が鳴り響いている。
表の工房以上の騒音だった。
けど、ベルに応じた親方が、ニーナの存在に気づかないはずがない。
「あ、あの~、コンテストはダメでしたけど。でも、次こそはがんばりますので! もちろん、工房のお仕事も。だから、よろしくお願いします!!」
もう一度、ニーナは勢いよく頭を下げる。
ようやく、親方と呼ばれた人物は顔をちょこっと上げた。
ニーナに向き合う、というより、ちょっと休憩を思い立った、とでもいうような仕草だった。
「う、うぅぅぅ……」
ニーナは親方のその様子にたじろぎ、それ以上何も言えなくなってしまう。
やっとこっちを向いてくれた親方のまなざしは険しかった。
「おやかたぁ、そのぅ……」
ベソをかきそうになりながら、呼びかけ続ける。
何か親方を怒らせるようなことをしてしまったのだろうか。
休んでいたことを謝るべきだろうか。
そんなふうに頭の中では考えを巡らせるも、結局、ニーナは何も言えなかった。
ただ、蛇に睨まれたカエルのように硬直してしった。
ニーナに親方と呼ばれる女性――この工房の主ナタリア。
年は若いが、工房の主にふさわしい貫禄があり、頭に巻いたバンダナとたくましい二の腕が男勝りな印象を与える。
彼女は、一切笑顔を浮かべず、腕を組んで仁王立ちでニーナを睨みつけていた。
やかましいはずの工房の騒音が、かえって沈黙のときを強調するようだった。
ナタリアはややあって、独り言のようなトーンで言う。
「……ニーナ、あたしが忘れたとでも思ってるのか」
「はっ? え、えっと……な、なんのことですか? わ、忘れた?」
ニーナは、首をかしげてみせる。
けれど、その前に一瞬、ぎくりと肩が強張ったのを見逃すナタリアではなかった。
ナタリアはびしっと三本指を立てて、ニーナに突きつけてみせた。
「三年だ」
「うっ……」
ニーナは思わず目を逸らした。
額からつぅ、と汗がひとすじ流れる。
「そのあいだに結果を出せなきゃ故郷に帰る、って約束であたしはお前の姉貴からお前の身を預かった」
「……あふっ」
今度は、はっきりとニーナの全身がこわばった。
もう、誤魔化しようもなかった。
気まずげに目を泳がせるニーナに、ナタリアはさらに表情を険しくする。
「次のコンテストは、どんなに早いものでも来年の春。――時間切れだ」
「で、でもっ!?」
冷徹な宣告に、ニーナは反射的に声を上げた。
ナタリアは眉ひとつ動かさずに問い返す。
「……でも。なんだ?」
「え、えっと……。わたし、その……ですね。ちゃんと……ちゃんと、がんばりますから……。次……次こそ、万能の聖女になってみせるので……。えっと、ううぅぅぅ」
ナタリアの鋭いまなざしに、ニーナの声はしぼんでいく。
最後には、意味不明のうめき声をあげて頭を抱え込んでしまった。
ナタリアは、はぁ、とため息をつく。
「ニーナ。お前だって、あれが最後の挑戦だと思って、コンテストに全力をかけたんだろう?」
「……そ、それは、もちろん。はい……。けど……」
「もし、あたしが期限を延長してお前を雇ったとして……。あれよりいい絵が描ける自信があるのか?」
「そ、それは……。う、うぅぅ。えっと、あの、だから……」
ニーナは口の中でもごもごと答えるも「できる」とは最後まで言い切れなかった。
それに対して、ナタリアの態度はどこまでもきっぱりとしていた。
「答えられないなら、あたしが代わりに言ってやる。無理だ。このままココにいたって、お前は成長しねえ」
「あぐっ……」
はっきりと告げられ、ニーナは胸にナイフを刺されたように、全身をびくん、と震わせた。
「約束は約束だ。故郷に帰れ、ニーナ」
「…………ッ!」
ニーナは何も答えられなかった。
はい、ともいいえ、とも言えない。
肩をわななかせ、うつむいてしまう。
「う、うう……。わああぁぁん!!」
ただ、泣きわめき、こらえきれなくなったようにきびすを返す。
そして、乱暴に扉を開けて、部屋を飛び出し、そのまま工房からも飛び出してしまった。
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