万能の聖女になれなかったお絵描き少女は、大理石の乙女と未来をえがく

倉名まさ

芸術の都とリスタート

第1話 配達のお姉さん

 町のどこにでもあるような、集合住宅。

 その屋根裏の小さな部屋に、ニーナは住んでいた。


 うだるような夏も終わりを迎え、風に秋の涼しさが入り混じる頃。

 そんな、とある晩夏の昼下がり。


 部屋の外から、ドアをノックする音と「お届けものです」の声が響いた。

 ニーナは一瞬ビクンと肩をすくませてから、玄関へと駆け寄った。


「は、は~い! いま開けます」


 あわててドアを開け、ノックに応じる。

 けど、よほど動転していたみたいだ。

 空き瓶や画材で散らかった床に足を取られ、盛大にバランスを崩した。


「んえぇっ!?」


 悲鳴を上げながら、開いたドアといっしょに倒れ込むように、部屋の外にいた人物にダイブしてしまった。


「へっ? ……きゃあっ!?」


 相手も、ニーナを受けとめきれず「ずで~ん」と後ろに倒れてしまう。

 どしん、と板敷きの廊下に、ふたりの尻もちの音が響き渡った。


「ふきゅう……」


 目を回すニーナ。

 気づくと、ぷにゅっ、と相手の柔らかな胸に顔をうずめていた。

 一瞬息が詰まって、無意識に鼻をこすりつけるように顔を揺する。


「きゃんっ!?」


 相手は、くすぐったげな悲鳴を思わず上げていた。


「ふぇっ? あっ、ああぁっ!?」


 その声で状況を察し、ニーナは急いで起き上がった。

 いまだ尻もちをついてる相手に、平身低頭謝りたおす。


「ご、ごごごごご、ごめんなさい、ごめんなさい、ごめんなさい! ……あの、おケガは?」

「……いえ、ちょっとびっくりしただけですから」


 相手は、ちょっと顔を赤らめ、恥ずかしげにうつむきながらも起き上がった。


「……こ、こほん」


 服のほこりを払って、気を落ち着けるように咳払い一つ。

 それでどうにか、平静さと、仕事の顔を取り戻したようだった。


 どうやら、相手のほうもケガの心配はなさそうだ。


 玄関口に立っていたのは、郵便配達員の制服を着たお姉さんだ。

 女性にしては背が高く、パリッとした上下つなぎの制服がよく似合っている。


 歳はニーナより、二つ三つ上だろうか。

 態勢を崩したニーナが胸にダイブする形になってしまったのも、道理といえば道理といえる身長差だった。


「……えっと、ニーナ・オルネライアさんでお間違いないですか?」

「は、はい。わたしです」

「でしたら、これ、お届けものです」


 そう言って配達員のお姉さんが渡したのは、一枚の封筒だった。

 小さいけれど、上質な紙に、金色の刺しゅうがほどこされている。


 ――ついにきたッ!


 その封筒を目にした瞬間、ニーナの心臓がどくん、とはねた。


「あ、ありがとうございますッ!」


 大切そうに……けれどもどこか、おそるおそるといった感じで手紙を受け取るニーナ。

 それを確認して、配達員のお姉さんは小さな会釈をひとつ。

 すっかりお仕事モードに気を取り戻したようだった。


「それでは、失礼します」

「あっ、待って!」


 きびすを返しかけたお姉さんに、ニーナは急な大声で呼びかけた。


「……はい、なんでしょう? 配達物に何か不備がありましたか?」

「その、そうじゃないんですけど、すみません……」


 不思議そうに首をかしげるお姉さんに、今度はおずおずとたずねる。


「あの、その、こ、このあと、お仕事お忙しいですか?」

「えっと……?」


 まるでナンパの前口上のようなことを聞かれ、ますます配達のお姉さんは困惑する。

 無意識にか、ほんのちょっと警戒するように、半歩あとずさっていた。

 と、ニーナは突然、勢いよく頭を下げた。


「あの、できれば……。手紙の中を見終わるまでいっしょにいてもらえませんか?  

 すぐ済みますので!」

「え、ええ~?」


 配達のお姉さんの目はもはや、奇妙な生き物を見るようだった。

 警戒心があからさまに顔に出ていた。

 ニーナは早口で言い足す。


「あの、これ、大聖堂の絵画コンクールの結果通知で……。それで、その……」

「大聖堂の……、ということは、あなたは“万能の聖女サクロ・ウニヴェルサーレ”さんなんですか?」


 万能の聖女サクロ・ウニヴェルサーレ

 お姉さんの言ったその言葉に、ニーナは思いっきり首をぶんぶん横に振った。


「い、いえいえいえいえ! わたしは聖女じゃないです! わたしなんか……いまはまだ……というか恐れ多いというか……。そのタマゴというか見習いで、あっ、でも万能の聖女を目指してはいて。でもでもコンテストにもいままで落ちてばかりで。あっ、わたしニーナっていうんですけど……」

「知ってますよ。さっきお荷物の宛名、たしかめたじゃないですか」

「あっ、そ、そうですよね!?」


 お姉さんは、ニーナの落ち着かない様子に苦笑した。

 ちょっとだけ、警戒心もゆるむ。


「私はマリカと言います。見ての通り、郵便局に勤めています」

「はっ、はい、よろしくお願いします、マリカさん!」


 ニーナは一瞬だけ笑顔を返したけど、すぐにせわしげな表情に戻ってしまう。


「そ、それでですね。その、今回のはちょっと……その、けっこう自信があって。あ、今回っていうのはコンテストのことなんですけど。で、でも、やっぱりひとりで、結果見るのが怖くて。自信ある分よけいに怖いっていうのか、それで、その……」


 もじもじしながら、ニーナは声をすぼませてしまう。


「……ほんとに、ただいてくれるだけでいいので」


 泣きそうな声で、そうすがるのが精いっぱいだった。

 けど、マリカにも、だいたい事情は分かった。


 正直に言えば、彼女にはこのあとも郵便が残っていて、ヒマとは言いがたい。

 でも、このままこのニーナという少女を置いて立ち去るのは、後ろめたいような気がした。

 この少女には、妙に放っておけないような雰囲気があった。


 手紙を開ける前から、すでに目じりには涙が少し浮かんでいる。

 まるで、道端で迷子になった幼い子どもを見つけたような気分になるマリカだった。


「分かりました。立ち合うだけでいいなら、少しのあいだ、ごいっしょします」

「ほ、ほんとですか!? あ、ありがとうございます! ありがとうございます!!」


 胸を叩いて請け負うマリカに、ニーナは大げさなくらい感謝して、何度も何度も頭を下げた。


「で、では、開けます!」


 上ずった声で宣言し、けれどもなかなか封を破けない。


「う、うぅぅ……」


 手が震えて、いまにも手紙を取り落としそうだった。

 見ているマリカのほうまで、緊張してきてしまう。


「あ、あの……やっぱり、代わりに開けてもらえませんか?」

「……申し訳ありませんが、それはできません。規則ですので」


 上目遣いに懇願するニーナに、マリカは苦笑しながらやんわりと断った。

 けど、ニーナをせかしたりはせず、玄関口に立って、優しいまなざしで彼女を見守る。


 これ以上、配達の仕事があるマリカを待たせるわけにはいかない、とニーナもようやく覚悟を決めた。

 目をぎゅっとつぶって、えいやと封を破る。

 中の用紙を取り出し、おそるおそる薄目を開けた。


 “落選のご連絡。“


 大きく書かれたその言葉が、ニーナの目に飛びこんできた。


「はぅッ……!」


 目の前が、ぐるんと回転した。

 誰かから、頭を激しく揺さぶられたみたいだった。


「ニーナさん!」


 いまにも卒倒しそうな様子のニーナに、マリカは切羽詰まった声をかけた。


「あぅあぅあぅ……」


 ニーナは「大丈夫です」と返そうとして、けれど言葉にならない。

 ただ「あぅあぅ」と、口をぱくぱくさせるばかりだった。


 手紙の通知は、この上なく明快な内容だ。

 なのに、彼女の頭はそれを受け入れることを拒んでいた。

 心臓をぎゅっとつかまれたみたいで、呼吸ができない。


 たずねなくても、マリカにもその内容は推測できた。

 ニーナの顔色は、見るからに蒼白になっていた。


「その……残念なお知らせ、だったんですね?」

「は、はい……」


 かろうじて、喉の奥からしぼり出すような、かすかな返事があった。

 マリカはなんと声をかけていいか分からず、いたわるような微笑を浮かべる。


「あの、あまり気落ちしないでくださいね。大聖堂のコンクールなんて、私なんかからしたら、参加できるだけでとってもすごいことだと思います」

「はい……」

「良かったら今度、ニーナさんの絵も見せてくださいね」


 マリカの優しい声に、ニーナはほんの少しだけ気力が湧くのを感じた。

 やっぱりいっしょにいてもらってよかった、と動転しきった心のどこかで思う。


「は、はい。……そのいっしょにいてくれてありがとうございました。……とっても助かりました」


 ニーナは消え入りそうな声でだが、精いっぱいの返事をした。


「いえ。お安いごようです」


 マリカとしても、生気を失ったようなニーナの顔を見ると心配ではあった。

 このまま放っておけない気持ちもある。

 けど、いまは部外者がいるより、そっとひとりにしてあげたほうがいいだろう、と判断した。


 それでは、と短く声をかけ、今度こそ部屋をあとにする。

 ニーナは、階段を降りるマリカの足音を耳にし……。

 ひとりになると、限界とばかりに膝から崩れ落ちた。


「はうっ……」


 気絶したように、ベッドに倒れ込む。

 指先から力が抜けた。

 手から手紙がはらはらと落ちる。


 目の前が真っ暗になったような気がした。

 思考力がゼロになる。


 落選、落選、落選……。

 ただ、その二文字ばかりが頭の中でぐるぐると回っていた。


「終わった……。ぜんぶ、何もかも……」


 しおれきった声でつぶやく。

 呆然とし過ぎて、涙も出てこなかった。

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