2.

「おはよう、白翔」


 白翔は同じクラスの男子で、偶然にも深緋の家の三軒向こうに住んでいる。バスケ部のエースで、やたらと人当たりのいい男子だ。


 他人とは一定の距離をおき、深く関わらないをモットーにしている深緋でさえ、話ぐらいはしてもいいかと思わされる。


 深緋が高校生をのは、これで十回目だ。十六歳から二十歳までの四年間をこれまでに九回繰り返し、その都度、引っ越しも兼ねてきた。


 高校生を繰り返す生き方には、女吸血鬼特有の、『年齢ロジック』が関係している。


 一年一年、年老いていき、寿命と呼ばれる年齢に達してから死を迎えるのが人間だが、女吸血鬼は生まれてから成長し、ある程度の年齢、『上限姿じょうげんし』と呼ばれる歳に差しかかると、条件次第で老いるスピードがかわる。


 ようは異性の血を飲んでいるかどうかで見た目が変化する、という訳だ。


 深緋の上限姿は十七歳なので、吸血さえ怠らなければ、いつまでも女子高生でいられる。


 そしてこれ以上大人っぽくなりたければ、日に一回の吸血を我慢するより他はない。断食それだけで十歳、老いることができる。


 白翔と等間隔をあけて歩きながら日傘をしまい、ホームへの階段を昇った。親しいクラスメイトさながら会話はするのだが、話題を振ってくるのはたいてい白翔だ。


 部活動のバスケ部で、夏のインターハイは予選落ちしたけれど、近々他校で練習試合があるとか、夏休みには合宿があるといった彼自身の話を色々としてくれるので、深緋は聞き役に徹して、いつも「うんうん」と相手をする。


 よわい十七の彼は深緋から見ればかわいい坊やに違いない。歳を重ねるたびに数えるのが面倒になってきたが、深緋は今年で五十三歳になる。


 人間の年齢でいうところの、中年やおばさんで括られるが、女吸血鬼のなかではまだまだ若輩者ひよっこだ。


 ホームに滑り込んだ通学電車に乗り込み、白翔の真後ろで扉が閉まる。


 毎朝のことながら、満員状態にうんざりとなる。湿気と人間の体温で車内の温度は相当上がっているはずだ。まだ六月だというのに、今年はやけに暑い気がする。きたる七月、八月が今から憂鬱でならない。深緋は平たいため息をこぼした。


 走り出しの電車が重厚な音を響かせ、ガタン、と一度大きく揺れた。油断していたせいか、慣れていたはずの揺れに足元がふらついた。


「おっと!」


 他の乗客にぶつからないように、白翔が肩を支えてくれる。


「ありがとう。白翔」

「おう」

「さすがは男の子だね」


 深緋より三十センチほど背の高い彼は、やや唇を尖らせながら、どこか不服そうに眉をしかめた。


「前から思ってたけど。深緋って……時々俺のこと子供扱いするよな?」

「そうかな」


 まぁ、五十三歳だからね。内心でつぶやき、かすかな笑みをもらす。


 白翔とこうも自然に話すようになったきっかけを挙げるとしたら、あの日、焼却炉のそばで猫を助けたからだ。


 **


 掃除の時間、教室から運んだゴミを捨てた帰りのことだった。


「朝比奈っ」と慣れ親しんだような声の出し方で、同じクラスの大路 白翔が言った。


「なぁ、朝比奈って猫好き?」


 言いながら、どこか焦ったような表情で白翔が手招きしている。特別親しいわけでもなければ、これまでに話したこともない。それなのに、早く早く、と言わんばかりに深緋を急かした。


 いきなり何、と不快に思うのも束の間で、彼が注意を向けている地面を見て、合点がいった。


 白翔の視線は、幅広で深さ五十センチ以上もある側溝に据えられており、その中で痩せぎすの茶トラの猫が、力なく座り込んでいた。成猫とはまだ呼べないぐらいの大きさだ。時おり、か細い声で、ミャーミャーと鳴き、深緋たちを見上げている。


 落ち葉や枯れ枝、泥などのゴミが多少溜まってはいるが、水は流れていないようだ。


「ついさっき見つけてさ、蓋を開けたんだけど……。俺が助けようと手を入れたら警戒して逃げちゃって」


 側溝の猫から深緋に目をやり、白翔がハァ、とため息をついた。


「猫だからこれぐらいの高さは跳べるかなと思って見てたんだけど、それも出来ないみたいでさ」


 どうしたものかと困り果てていたところへ、偶然通りかかったのが深緋だと言う。


「俺、思ったんだけどさ。そのゴミ箱を下ろして、中に入ったところを引き上げればいいんじゃね?」


 同意を求める彼の瞳が爛々としていて、ごくりと喉が鳴る。嬉々とした異性の血は、とりわけ美味しいのだ。

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