感想の価値

彩霞

前編

 夏の日の夕暮れどき。


 僕は、取引先からタクシーで直帰するところだった。冷房の効いた車内ですずむと、スマホをカバンから取り出し、『書いて読んで』という小説投稿サイトを開く。


 だが開いてみると、朝まであったはずの僕のページが開けなくなっていた。


 最初はログインが切れたせいかもしれないと思い、ログイン画面に自分のメールアドレスとパスワードを入力した。だが、「ページはありません」としか出ないのである。


 どうやら『書いて読んで』にあるはずのアカウントを、強制的に消されてしまったらしい。


 念のため、以前レビューを投稿した作品にとんでみると、僕のレビューはすっかり消えていた。僕がいた痕跡こんせきは跡形もなくなり、ちまたに聞く「BANされる」というのはこういうものかと実感する。


 アカウントを淡々と削除する運営さんの働きに、僕は手に冷や汗をかくのを感じたが、その一方で、いつかこうなるのではないかということは、何となく予想していた。


 何故なら、僕は『書いて読んで』に、アカウントを二つ存在させていたからだ。


 一つは、書くためのアカウント。

 もう一つは、レビューを書いたり、コメントを書いたりするためだけのアカウント。


『書いて読んで』では、一人が二つのアカウントを持つことを認めていない。


 前に、毒親を持ったという作者さんが、同じ苦しみを持つ人と気持ちが共有できるようにと、作品を載せいていたことがある。


 だが、それはあまりにも重い話で、さらに内容も具体的であったことから、「自分のことが分かってしまうのはけたい」ということで、アカウントを別にしていたのだ。

 運営さんに許可を得ているのかまでは分からなかったが、その人の作品はまだ消えていない。単に見つかっていないだけなのかもしれないが、もしかすると例外もあるのかもしれない。


 だが、僕の場合は違ったということだ。


 レビューを書くためだけのアカウントは、確かにいけないことだろう。

 仮に、書くためのアカウントをAとして、レビューを書くようをBとしたとき、誰かの作品をAとBで評価したら、その作品が得をすることになる。

 そういうことは絶対していないとはいえ、可能性がある限り、許してはならない行為だろう。


 そこまで分かっていて、何故二つのアカウントを作ったのかというと、半年前に「ある人」のコメントを見たせいだ。


「ある人」を仮に、「野口さん」としよう。

 野口さんとは、二年近く交流があった。


 野口さんは作品を趣味で書いている人だったけれど、いつか書籍化したいとプロフィール欄には書いていた。


 そう言うだけあって、気の利いた文章の中に、物腰の柔らかさがうかがえて、文章から野口さんの人の良さを感じた。


 また書き手同士の交流でも、誰にでも分けへだてなく接していて、コメントも丁寧に返すような人である。だから僕も、安心してコメントを書いていた。


 というのも、僕は前に、一所懸命に書いたコメントを作者にないがしろにされたことがあるのだ。


 その上、「創作ノート」というみんなが閲覧できるところに、僕の名前と共に「コメントの返事にも書きましたが、あなたが書いたコメントのせいで私の筆がとまりました。私は許しますが、他の人はどうか分からないので気をつけたほうがいいですよ」というコメントを書かれたことがある。


 正直、何故そんなことを言われなければならなかったのか、僕には謎だった。仮に「普通にコメント」というのがあるならば、唯一違っていたことは、感想の最後に入れた一つの質問だったように思う。


 だがそれは純粋にその作品をより理解したいという気持ちなだけで、もし答えられなかったらそれでいいとも書いた。


 それなのに、その人は誰もが閲覧できる「創作ノート」に、僕だと分かるようにその一言を書いたのだった。


 ――自分は被害者で、あなたは加害者なんですよ。


 一方的に突き付けられた関係性に、僕はとてもショックを受けた。


 それ以来、作品にコメントを残すときはとにかく慎重に、慎重に、相手を見極めて、コメントを返してくれる人かどうかを見て、書いても大丈夫な人かどうかを考え、さらに失礼のないように、とにかく気を付けて内容を書いていた。


 また、コメントを一度書いたことのある人でも、すぐには慣れず、何度かやり取りをしてようやくのことで長いコメントが書けるようになってくる。それでも、また期間が空いたらやり直しになるという状況になってしまった。


「創作ノート」に僕のことを書いた作者は、まさか僕が傷ついたということはつゆとも思っていないのだろう。


 そんな中、野口さんは、多くのコメントを優しく受け止めてくれる人だった。

 そのため野口さんの優れた作品を楽しんで読んだ僕は、いつも安心してコメントを残し、レビューを書いていた。――はずだった。

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