第6話 悪魔にうってつけの日~A perfect day for Demon.~

 6.悪魔にうってつけの日~A perfect day for Demon.~


「あの後、望と話をしました。なぜ、有美さんや渉さんといつもお話ができるのか分かりました。私には一点だけ理解できないことがあります。それは、どうして望が小夜さんを好きになったかということです」

「それは、私も気になっているんだ。みくりを紹介しなかった理由の一つもそれなんだ。お前、望に聞いたのだろう、奴はなんて言っていた?」

 有美は流石だと思った。あの短時間で私の分析など済ましているのだろう

「高校時代に彼女を略奪されたから、なるべく男が声駆けない人に目が行くって言っていましたが・・・」

 言い終わる前に有美が言葉を挟む。直ぐにでも喋りたい感じが伝わってくる

「同感だ、いくらなんでもあのショートカットはないわ。お前なんか、望のほぼ理想の条件を揃えた女じゃないか、なぜお前を差し置いてショートカットを選んだか分からない。 ところで菫、おまえ、男の方はどうなんだ?」

 特に有美に隠す必要も無い

「もう、4年くらい彼氏はいません」

「何だ、お前、理想が高いのか?」

「実は、私、高校時代は太っていて、最大で70 kg位あったんです」

 有美は私の全身を凝視した

「そうか、辛かったろう、よく諦めずがんばったな。

 それじゃつまらん男で妥協はできないな。

 がんばった人、努力した人が報われない世の中なんて許せないのが私の信念だ。

 もし、望と付き合いたいならば、応援するし、望に改善して貰いたいところはなんとかしてやるぞ、まあ顔が嫌いなら直せないが、菫みたいに努力して結果を出した人には全力で応援する」

 ”がんばった”という言葉は奈緒と同じなのに、随分伝わる内容が違う。そう、望が考察したマクスウエルの魔物の討伐、同じ分子全てが同じ速度で運動していないという根本的な定義にも通じるところがある。言葉は同じであってもそこに宿るエネルギーは同じとは限らないのだ

「私、望が好きなように見えますか?」

 否定ではなく、疑問の口調で聞いた

「望が来たら一緒にアルヌールに行こうか、減量成功のお祝いだ。望の前で存分に甘い物もいいだろう」

 どういう意図かは考えるのを止めた。私はまだ有美のことを知らなすぎる。そういえば望が声を掛けた”すんすん”もぽっちゃりと書いてあった

「望、図書室に来ますかね」

「望は魔物を探しに来る。あいつは菫ほど自分が頭がよくないことを知っている。だから足りない分をちゃんと準備するんだ」

「そんな、なんのために」

 有美は笑って

「その情報は有料だな。後で請求するぞ。

 一つはお前のことを知りたいってことと、もう一つはあいつの調査癖かな」

「調査癖ですか?」

「恋は盲目かな?同情するよ、貴重な高校時代は太っていて恋の舞台に上がれなかったんだろう。あいつの調査癖は異常だ。どうも私の周りには調査癖が寄ってくる」

「私のことでしょうか?」

「菫もみくりもだよ」

 私は次の言葉に困った。困った後に口が勝手に動いた

「私は望に恋しているんでしょうか?」

 有美は優しく微笑んだ。

「私は、渉と別れることがあったら、望と付き合おうと思っていたけど、菫を見たら気が変わった」

 有美は私より数段頭の良い人だと分かった。世間一般の女性との会話ならば別の言葉をいくつか重ねないと出てこない。もっとも、真に受けるつもりもないが

「もしかしたら、みくりさんを紹介しない理由は・・・」

「私がそんな卑怯な女に見えるならショックだな」

「ごめんなさい」

「その理由は、きっと望は分かっている。お前が聞けばきちんと教えてくれる筈だ、多分それで間違いないと思う」

「望は、愛美さんとの一件で小夜さんから身を引く決心したんですね。でも、そんな直ぐに別の人に気持ちを変えられるものですかね?」

「まだ、望のことをそこまでは、分かっていないんだな。望は最初にみくりの話を聞いたときから小夜よりみくりの方が好きになった。でも望は最初に好きになった小夜への気持ちを裏切ったりしない。あいつは自分がどんな損をしても道理を守る男なんだ」

 背筋の凍るような恐怖が私を襲った。もし、有美の見解が正しいとするならば、今日の飲み会で小夜が望を拒まなければ、望は小夜と付き合うことになるはずだ。

 私はここに来て自分の正直な気持ちに気付いた。中学生の私は、容姿はともかくとして望のような一途な男が理想だった。でもそれは私が中心の世界での観測に過ぎない。望は私のことが好きであるという前提での考察なのだ。元々望が好きだったのは小夜で、望が小夜への思いを貫いて、小夜が望を選らんだならばその気持ちに素直に応えることが道理に適っている。でもそれは私の理想ではない。

 どんなことをしても望は私を選んで欲しい。小夜が望を選んでも、それを断って私を選んで欲しい。酷い矛盾だ。私が4年の間抱えていた怨念は単なる私の利己主義だったのだ。

 私は勘違いしている。望が私のことを好きかも知れないが、優先順位は一番ではないのだ。受け身でいたら必ず逃げられる。迷っている場合ではない、私は自己評価が甘すぎる。全力で落としにいかないと望は落ちない。

 有美が言った”人生は慈善事業ではない”という言葉を思い出した

「望は小夜さんに何か同情があったのでしょうか?」

「さあな、あいつはどうして小夜が好きになったかは絶対口を割らなかった。短い髪の毛が好きみたいだけどそれだけで小夜は選ばないだろう。あとは昔惚れてた女に似ているとかかな」

 望との会話の中では3人の女性が出てきた。紫は会ったことがあるが、小夜の印象はまったくない。量子も望が書いた似顔絵とも違う感じがする。

「高校のときの彼女がいたそうですが、別の男に略奪されたと言っていたので、多分感じは違うでしょう」

 有美は笑って

「菫、結構はっきり言うな」

 有美に望が化学薬品過敏症であることは言えない。望と私の最初の約束だ。化学薬品過敏症であるならば一応筋は通るが、望程の観察力がある人が、小夜を選ぶ理由としては十分とは思えない。ふと、5月に紫と話したことを思い出した。紫は「素粒子」を学びたいといっていた。小夜は化学科でありながら量子力学に詳しい。いや、そんなことは無い筈だ。私は有美より強敵と対峙しているのだろうか?いやそうではあるまい。

「さっきの有料分、茶番芝居に付き合え、望の本音を暴いてやる。スケベな話、しても顔を赤くするような初心じゃないよな」

「多分、大丈夫だと思います。さっき望に渡したモノくらいの話なら対応できます」

「じゃあ、菫は別れたい彼氏がいて、もうすぐ別れを告げる設定な」

「望に嘘を吐くのは嫌なんですけど」

「あいつは今、みくり攻略中だ、お前に彼氏がいなければ本音は言わない。後で無理に私に威されたといえばいい」

 そうはいっても望に嘘は吐きたくない、自称名探偵が笑わせる。黙っていると有美が

「お前は今、望の3番手だ、きれいごとだけで世の中が渉れると世間知らずで猜疑心の強い教師どもに洗脳されたか?」

 有美も望同様教師に憎悪を抱いているようだ。発言には気を付けなければならない。

「有美さんが望と付き合ったらどうですか?」

「それでいいのか?」

 動揺するところではない、太っていた頃に味わった侮辱感は私の心を乱れさせない

「いいに、決まっているじゃないですか」

「なら、望に嘘を吐くのは平気だな」

 有美は笑っただけで話題を変えた。有美の表情は穏やかだった。有美の視線が私の手に届く

「それ、望の手帳だな。お前達、手帳を共有する程仲良くなったのか?」

 からかうような口調だった。奈緒の言い方とは随分違う

「電磁誘導のところ、有美さんの字でしたよね」

「望は副題はつけないが、電磁誘導だってよく分かったな」

「高校2年までは理科2科目の大学を志望していましたから、少しは物理も勉強しているんですよ。化学科では相対性理論系はやらないんですけど、化学科と言っても実際は物理科化学班みたいな感じで、結局物理の理解を求められます。そんな事情から物理も少々勉強しています」

「電磁誘導が分かっていて、少々もないだろう。その手帳にマクスウエルの魔物の頁があったら、他はみないからそこだけ見せてくれ」

 有美は、奈緒と違ってきちんとした人だと思った。私は望との共同作業の頁を見せた

「なるほど、望もやはり量と不揃いか、この綺麗な字は菫の字か・・・準備なしにいきなりここまで分かるのは見事だな。まあ、3人の中では意見はまず一通り批判せず聞くことになっているから、遠慮無く好きなことを言ってくれ。

 あと、渉の前では望と付き合っている設定にしてもらうと助かるんだが、アルヌールに行ったら望を交えて相談させてくれ」


 入り口を見ると丁度、望が入って来て目が合った。望は早足でこちらに来た

「菫さん、体調大丈夫?」

「ありがとう、でも仮病なの」

「そっか、なら良かった」

 望は私が仮病を使ったことになんの驚きもないように見えた。有美が口を挟む

「お邪魔かしら?」

「有美さんは図書室にいると思いましたよ」

「ごめんね、逢瀬の邪魔しちゃって、でも渡したもの、ここで使っちゃダメよ」

「有美さん、菫さんはまともな人なんで、僕みたいにからかわないで下さい」

「まともな人?さっき話して分かったが、菫も、お前の大好きなぶっ飛んだ女だったぞ」

 心外である。まあ、今は有美の脚色の出演者だ。作品を壊す気は無い。


「字が汚くて申し訳ないんだけど」

 望はドイツ語の授業で黒板に書かれたものをコピーして渡してくれた。丁寧に望が書き足した箇所は丸で囲んである

「ありがとう」

「災難だったね」

「いいのよ、私が原因なんだから」

有美が笑って

「望、上手くやっているじゃん。図書館で話もなんだから、アルヌールに行こう。がんばった菫に祝福だ、菫の分は私が持つ」

「珍しいですね、有美さんがこんなに楽しそうに話すなんて」

「菫はもう私達の仲間だ

 菫、高校の話、望にしてもいいだろう」

 正直なところ嫌だった

「望の前では…どうも」

「じゃあ、望の秘密を一つ教えてやるから、共有しろ、高校の話は3人だけの秘密だ、渉にも言わない」

「なんで、僕の秘密なんですか」

「菫だけ、恥ずかしい思いさせる訳にいかないだろう。望は昔、彼氏持ちの女に声を掛けたんだ、ケツのデカさに発情して」

「人をサカリのついた猫みたいに言わないで下さいよ」

 先ほど聞いた”すんすん”の話だと直ぐ分かった

「あ〜あ、望ごめん。菫の前で言っちゃったよ。終わったな」

 そういえば、望が尻好きだと望の口からは直接聞いたわけではない

「今日は、

 悪魔にうってつけの日。

 2人の彼氏持ちの女性をデートに誘っちゃいました。人生で3回だけの出来事を、今日2回起こしてしまった」

 図書館にいる人達の視線を感じる、望と有美は気になっていないようだが、私には刺激が強すぎる。私はまだこの2人のように他人の視線に無頓着になりきれていない

「とりあえず、図書室を出ましょうか」

 私は2人に提案すると、有美は望をつついて笑っていた

「ユミサンニモコエカエタノヒドイ。って言われて望はなんて答えるかな~」

 2人を置いて視線から逃れるように図書室から出た。エレベーターの前で2人を待った。望が先に来た

「図書室に来る前に奈緒と話した?」

 望に確認したいことがあった

「話していないよ、酷いな、もう忘れちゃったの、デートに誘ったのは菫さんと有美さんだよ。寂しいな。僕にとっては大学受験ぐらい重要なのに、菫さんには些細な出来事だったのですね」

 今回は望のペースに合わせる訳にはいかない

「そうじゃなくて、”悪魔にうってつけの日”の方」

 望はきょとんとした顔のまま

「奈緒さんと話すの面倒だから、教授が退室するより先にコピー取りに生協に行ったけど」

「そう」

 望に私の声が聞こえていなかったのは残念だが、どうして同じ言葉が出てきたのだろうか?有美が話に乗ってきた

「サリンジャーの小説か?”バナナフィッシュにうってつけの日”じゃなかったか?確か原題はA perfect day for Banana-fish」

「懐かしいな、”バナナ魚日和”ももちんに無理やり読まされて、感想を聞かれたな」

「ももちん?初めて聞く名前だな、よく菫の前で次から次へと女の名前が出てくるな」

「彼氏持ちの女性の前では言ってもいいでしょう」

 会話から薄々感じていたが、望は、私に付き合っている人がいると思っているようだ。これならば、望に嘘を言わずに済みそうだ

「みくりは許してくれるかな?内緒にしてやるから詳しく話せ」

「女性の前では自慢話をしない主義なんです。まあ、主語が大きすぎますね、少なくともお2人の前で自慢話はしたくないのですが・・・ああ、みくりさんも入れて3人ですね」

 私は、確認と念を押したかったが、有美の言葉の方が早かった

「なんだその前口上(まくら)、喋る気満々じゃないか」

「言いませんよ」

 突然有美が私のお尻を撫でた

「わっ」

 私は軽い悲鳴を上げた

「ひっ、ひっ、ひっ、言わないと、菫がどうなっても知らないぞ」

 有美の目が怖い

「有美さんの右手になりたい」

 さすがに噛み合わない望のこの言葉には血の気が引いた

「有美さんの掌に頬ずりしてもいいですか」

「死ね」

「死ね」

 有美と私の声が共鳴して、私の拳が望の脇腹に炸裂した。

「僕じゃなくて、有美さんだろう、その拳は」

「何が悪いか胸に手を当てて、よく考えなさい」

「胸に?」

 にやつく望に、私は咄嗟に両手で胸を隠した。望の手は有美の胸を目がけて延びていく。有美は動じることなく、望の手は有美の胸の直前で止まった

「なんだ、触らないのか?私の胸じゃ物足らないか?」

 私は、避けない有美にも、その言葉にも唖然とした。

「分かりました、ももちんの話、します」

 

「世の中には不思議な女性がいて、付き合ってもいないのに、僕のことを好きな人がいたんです」

「言いたいことがあるが、そのまま続けろ」

 ”右翼の魔女”と呼ばれる有美は、話の腰を折られるのが嫌な人だと思った。

 望の話では、

 ももちんこと小野桃香は、国立文系志望の人達が集まって放課後勉強会をしているメンバーの1人で、望が入会する前は、男2人、女3人の構成だった。口には出さないが2つの恋愛の芽が芽生えていたそうだ。望は男の1人に数学を教えて欲しいと誘われた。

 望はどうして呼ばれたか直ぐに察しがついた。

 桃香は1ヶ月前に彼女と別れた望を快く思っていなかったようで、望曰く最初の頃は“愛美さん位、感じが悪かった”とのことだ。

 転機が訪れたのは”バナナフィッシュにうってつけの日”の話題が上がった時、作者のサリンジャーは翻訳に当たり、

 ”原文に忠実に訳すこと”

 ”解説を書かないこと”

 を和本発行の条件としたことを桃香から聞いた。残念なことにこの5人は肩書きのある著名人の解説がないものを理解するのが苦手らしく、”理系の見解を知りたい”という名目で望に感想を求められたのだ

「主語が広いぞ、僕を標本にして理系発言の代表にされるのは心外だ」

 と望が言っても微笑んだのは桃香だけだったという。


 望の解説を聞いた桃香は明らかに望に対する態度が変わった。望曰く“鈍感な自分にも解る位だった”とのことだ。

 私が聞きたいことは有美が聞いてくれた。

 望は1度だけデートはしたが、恋愛に発展しなかったという。

 さらに有美が追求したが、複雑な話だから、後でちゃんと話すと言った。

 有美は

「このあとアルヌールで話せ」

 と詰め寄った

「菫さんの歓迎会には不釣り合いの話ですよ」

「菫も聞きたいだろう?」

 私はエレベーターの1階ボタンを押すと、思っていることを口にした

「何が不満だったの?」

 望は遠い目をして誰かと会話しているようだった

「ももちんは和泉式部になれなかった」

 <つづく>

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