第7話──6「あなたたちと」


  9


 階段を昇り切った先には、満天に星をちりばめて咲かせた夜空が広がっていた。

 とっくに日は落ち切っていたのだ。塔の中に窓がなかったから気づかなかった。一瞬ふとシザクラの頭に、先ほど夢の中で見た鮮やかな夕焼け空が浮かんだが、すぐに消えた。あれは夢だった。それ以上でも、以下でもない。今の状況に集中する。

 どうやら予想通り塔の最上階、屋上へと出ることが出来たようだ。塔の丸い外周全てが開かれた空間になっていて、広いというより広大と言った方が良さそうだ。端から端まで歩くのも苦労しそうだった。

 そんな空間は、おそらく学校時代庭園として使われていたのだろう。広い長方形の花壇が、規則的に並べられていた。温室もある。まさしく空中庭園だ。

 だがそれはあくまでも残骸といった様子で、花壇には土があるだけで埋められている苗も花もなく、草一つ生え茂っていない。温室はガラス張りだったらしいが、割れてしまっていて元のその優雅な姿は既に失われてしまっていた。

 改めて、ここは廃墟に過ぎないのだと思い知らされるような景色だ。どこか、物寂しい。先ほどシザクラは見せられた、あの夢の中の街並みのように。

「何もないな……。あたし達には見えないけれど。フィー、百合の花の気配ある?」

「はい。この庭園のちょうど中心の辺りに。でも花というよりこれは……」

 フィーリーがやや早足で庭園の中心へと向かう。フィーリーもルーヴたちを連れだって慌ててそれに続いた。罠がここにもあるかと危惧したが、迷いないフィーリーの足取りからして危険は少なそうだ。だが、油断は大敵だ。

「……ここに光が。ぼんやりとですが微かに灯っています。おそらく、私の魔力を込めると……」

 フィーリーはちょうど塔の中心にやってくると、そのままシザクラには見えない光、何もない宙に手を伸ばした。

 すると。

「えっ、な、何……?」

 シザクラは驚く。急に光が現れたかと思うとそれは球体状に大きくなっていき、シザクラたちをも包み込みやがて屋上庭園全体を覆った。眩しさに思わず目を伏せていたが、やがてそれも止んだので目を開ける。

 そして驚いた。

「わっ……!」

 何もなかった花壇いっぱいに。優しい光を帯びた百合の花が咲いていた。薄暗く、寂しげだった庭園の跡を、そっと照らしている。まるで地上にも星々が連なったみたいだ。幻想的な景色に、思わず見惚れてしまう。

「本物の花じゃないようです。母が残してくれた魔法が私の魔力で、開花した、一時の花です。……でも、すごく綺麗」

「そうだね。フィーのお母さんは、これを見せたかったのかも」

 魔法で作られた白く鮮やかな色を纏った、百合の花たち。それらがこの庭園を彩るように咲き渡っている様は、この場所本来の美しさを一時取り戻したようだ。

 時間は巻き戻らなくとも。過去は消えてしまうわけじゃない。ここには確かに色とりどりの花たちが咲き誇っていたのだろう。生徒たちが、一生懸命にそれを育てて手入れしてやっていたのだろう。

 魔法学校だった時間は、確かにここにあることをシザクラは教えてもらった。

「なんと美しい……。祖母は、学校で花を育てるのが楽しかったとしきりに語っていました。少し、祖母の見ていた景色のこと、知れたような気がします」

 ありがとうございます、フィーリーちゃん。ルーヴがお辞儀をすると、フィーリーは恐縮していた。

「私ではなく、お母さんが残してくれたものですから……。お母さんは、次にどこに……」

 フィーリーが言いかけた時、ふと花たちの輝きが強くなって、シザクラたちの視界は白に包まれた。

 ビジョンだ。同じ、塔の屋上。

 フィーリーの人間の母親がいた。こちらを見ている。おそらく、この視点の人物。サキュバスであるフィーリーの母親の方を。

 そっと視界の端から手が翳される。すると今のように、空っぽだった庭園に一斉に白い百合の花たちが咲き誇った。

 人間の母親はそれに感動して、サキュバスの母親の手を取り、踊るように全身で喜びを表していた。二人の笑い声が聴こえてくるようだ。やはり百合の花は、母親が残したものらしい。

 場面が変わる。人間の母親が、心配そうに視界の主であるサキュバスの母親を覗き込んでいる。

 視界が、頷くように揺れて、開かれた本を見た。どうやら屋上の下、あの図書館のようになった場所のようだ。

 サキュバスの母親が指を動かし、白紙の本のページに魔法で何やら文字を綴っている。一瞬でそれは消えて、読み取れない。どうやらフィーリーが開こうとした本を残したのも、二人のようだ。

 あの本の文字はフィーリーの魔力に反応して現れるようになっていた。やはり娘に何かを残したのだ。でも本は消えた。一体どうして。

 また場面が変わる。洞窟の中か。岩壁に囲まれた、狭くて丸い空間だ。

 だが暗くはない。ちょうど空間の中心に鎮座している台座。

 杖の上部に赤く煌めく宝石があしらわれた杖が、儚げな光を帯びて突きたてられている。

 この場所はシザクラも知っていた。訪れたことはないが、有名な観光名所になっているはずだ。

 かつてこの世界に、魔法という存在を認知させ広めた偉大なる最初の魔法使い。レッテ・ディウェルトが使っていた魔法の杖だ。

 魔法が過去のものになった今、その杖は歴史を象徴する文化財となっていて今も現存されている。不思議なことにその杖は手入れをまったくしなくても痛むことも朽ちることもなくそのままの姿を保ち続けているという。

 むしろ、誰も触れることが出来ないのだ。その杖は今も魔法を帯びていて、他者の手を拒絶している。まるで今も持ち主を待ち続けて何かを守り続けている時間の制限のない騎士のように。

 発見された時の台座に突き立てられたまま、それは観光地の一環にされたのだった。

 そこが、次にフィーリーの母親たちが向かった場所。フィーリーを導く場所。

「魔法の始祖の杖……! 魔法使いの端くれとして、一度は行ってみたいと思っていました……!」

 ビジョンが消えて。フィーリーがやや興奮した様子で両手を握って感激していた。

 魔法の始祖の愛用品が観光地扱いされていることに彼女はどう思うか心配だったが、杞憂だったようだ。そんな視野の狭い子じゃない、彼女は。

 ぽんと、そのとんがり帽子の折れ曲がった先に優しく触れた。

「あの杖があるのは、クラム大陸だね。さ、また海を渡る手段を考えないとね」

「それなら一番近いところに、バビング港がありますわ。あそこなら定期便の船があるかと」

 ルーヴが伝えてくれる。とりあえず、次の目的地は決まった感じだ。

 あと、懸念すべきことは。

「さて、ここからまた一階まで降りるのかぁ。こりゃ朝まで掛かりそうだな……」

 道中の苦労を考えてげんなりしたシザクラの服の袖を、ふとプティが引いてくる。

 彼女が指さす方。温室の傍の開けた空間の床に、大きめの魔法陣が描かれていた。フィーリーが近づいて調べる。

「……これ、一階のエントランスに続いてるっぽいです。そういえば、あの広い場所の床にもこれと同じ魔法陣が描かれてましたね」

「さっすが魔法学校。帰りのことも配慮してくれるとか助かるわぁ」

 これなら夜が更けきる前に、この前の町の宿まで戻ることが出来そうだ。フィーリーが魔力を込めてくれて、光り始めた魔法陣の前にみんなで集まる。

 一階へとワープする前に。フィーリーは改めて、まだ光る百合の花が咲き渡る庭園を振り返った。

 母親が、彼女に見せたかった景色。それを目に焼き付けるかのようだった。

 ぽんとその肩に、シザクラは手を乗せてやる。

「お母さんたちが残してくれた景色。いっぱい見に行こう。きっとまだまだ、二人の旅も続いてると思うからさ」

 笑いかけると、こちらを見上げたフィーリーもふっと気が抜けたように笑い返してくれる。

「……はい、そうですね。一緒に見に行っていただけますか。これからも」

 真摯な響きを帯びたそんな言葉に、どきりとした。その言葉は、まるで、何だか。

「……もちろん。最後まで付き合うよ」

 ぎゅっと彼女の手を握る。握り返してくれた。魔法陣の光が強くなり、ワープが発動した。


  10


 新鮮な朝日が満遍なく降り注いでいた。

 シザクラはそれを浴びながら、あくびを噛み殺しつつ大きく伸びをする。すると隣のフィーリーもあくびを手で隠していたから、お互い顔を見合わせて笑い合う。何だかくすぐったい気持ちなのはどうしてだろう。たぶん彼女もそうなのかもしれない。

 シザクラたちは塔の近くの村まで戻り、そこの宿で再び一泊した。魔法の罠が張り巡らされた塔を昇るのがだいぶ堪えていたらしい体が、ベッドの感触を喜んでいた。あんな場所を一日足らずで昇り切ったのもすごいことだ。

 同行してくれたルーヴとプティのおかげだ。彼女たちがいなければ、おそらくあそこまでトントン拍子に事は進まなかった。元々塔の場所を知れたのも彼女たちと出会ったからだし、まさしく僥倖と言う他ない。

 だから出来れば、自分たちの旅にこれからも付き合ってもらえると、ありがたいのだけれど。昨日フィーリーに確認すると彼女も同意見のようだった。

 彼女は夫であったアンドロゼンという男に追われているという。捕まれば彼女だけでなく、プティにも危険が及ぶ。

 シザクラたちが傍にいて守ることが出来るなら、それに越したことはないだろう。というよりは、シザクラたちも彼女たちと一緒に過ごしたかったというのが本音だ。

 ここ数日、旅をともにして。やっぱり別れるのは惜しいな、と思ったのだ。二人と一緒にいたい。それがシザクラたちの思いだった。

「お待たせいたしました。ごめんなさい、遅くなってしまって」

「いえいえ。私達も今出てきたところです。こちらこそお疲れ様のところ、出立が早くてすみません」

 ルーヴとプティが宿屋から出てきた。

 次のクラム大陸に渡るためのバビング港がとりあえずの目的地。そこに行くまでの行程を考えて、朝早めの出立になってしまった。

 疲れていないか少し心配だったが、ルーヴは思ったよりもスッキリした顔をしていた。プティもやや眠そうにしていたものの、最初に出会った時のような陰りや不安そうな雰囲気はこころなしか薄らいでいるように感じる。

 二人はこれからどうするのか。シザクラたちはあえて聞いていなかった。あとは二人の判断に任せる他ないだろう。

 もちろん彼女たちの状況は心配ではあるが、無理にこちらに付き合わせるわけにもいかない。こちらの旅も、昨日の塔のように危険が伴うのだ。

 どう切り出そうかとシザクラが迷っていると。ふと、プティがルーヴの傍らから、とてとてと駆け出して、フィーリーの傍にいく。

 そしてその手をぎゅっと掴むと握りしめ、引き寄せた。目を丸くするフィーリーに対し、プティはどこか照れくさそうに、それでも必死そうに何かを訴えかける表情をしていた。

 その顔が、言葉なんか介さずとも何と言いたいのか。シザクラにもわかるほどに伝わってきていた。そうなのだ。彼女は今まで抑圧させられていただけで、こんなにも感情豊かな子だったのだ。

 それを見ていたルーヴも、ふっと力が抜けたように笑う。まるで今までその細い肩で背負っていたものがほんの少しだけでも軽くなったような。そんな笑顔で、シザクラたちを見た。

「……厚かましいお願いではありますが。わたくしたちも、あなた方の旅に同行させていただけませんか。きっと、ご迷惑を掛けてしまうとは思うのですが……」

 答えなんて、もうとっくに決まっていた。シザクラはフィーリーと目を合わせ、ルーヴとプティに笑い返した。

「ぜひお願いします!」

 声が二つ、揃った。


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「リオネルト王、ご報告が。旧ザウバスタヴ魔法学校の塔に仕掛けていた禁断魔法が発動しました。何者かが、あの場所を探っていたようです」

 側近のオルゲンが玉座の前に膝を突くと、頭を垂れたままそう簡潔に伝えてきた。

 玉座に座すリオネルト・フレアラートは、苦い顔をしそうになるのを何とか堪えた。厄介ごとはいつでも立て続けに起こる。

 この世界の中心にある大地、メイテル大陸に存在する王都、フレアラート。その城内の、謁見の間である。

 フレアラートはこの世界唯一の王都であり、この国に属する騎士団を各地に配置し統治していた。今や人々の生活に欠かすことが出来ない魔石の供給もフレアラートが主体で行っている。文字通り、この世界の中心地である。

 そんな王都に君する現国王リオネルト。齢、現二十八。先代の王たちの中でも比較的若い王であった。

「あの場所には魔法の罠を張り巡らせていたのではなかったのか。……魔族の連中が、密かに探っている可能性は?」

「現在探らせていますが、その可能性が高いかと。あの場所は魔力を持たぬ者が足を踏み入れることは不可能です。そして昨今、そんな人間は稀有な存在です。ですが魔族は、みな魔力を有している」

 そして塔に足を踏み入れた者はかなりの手練れです、とオルゲンが顔を上げて、真摯な眼差しをリオネルトに向けた。

「禁断魔法の罠が仕掛けてあるのは、あの塔の最上層部。道中に仕掛けられた罠を掻い潜ってそこまでたどり着くだけで大した実力者です。……そしておそらく、禁断魔法の罠も破られました。仕掛けた魔導士がそれを感じ取ったようです」

「……そうか。その侵入者は、あの場所に隠されていたものを見つけ出したと思うか」

「調査中ですが、あまり楽観的な考えは出来ないかと。そもそもあの塔に出向いている時点で、それが目的だった可能性は極めて高いです」

 オルゲンの報告を受けて、リオネルトは深くため息をつく。頭を抱えたくなる。

 あの魔法学校であった塔に、隠されているものがある。

 魔石についての秘密、すなわち、これまでフレアラートが隠してきたこの世界の真実だ。王となった以上、リオネルトは何としてもそれを隠匿しなければならない義務がある。誰にもそれは、知られてはならない。

 調査団を派遣し、塔の中を虱潰しに探したが、結局それを見つけることは叶わなかった。そもそもあの塔の上層部には、星の数を上回るほどの蔵書がある。最後にそこに辺りをつけ、一冊一冊まで確認したが結局発見できなかった。

 だから先代の王、リオネルトの父はあの場所に魔法の罠を張り巡らし、魔術師の力を借りて禁断魔法にまで手を出して秘密を守ることにしたのだ。

 それが、破られた。何よりも守るべき秘密。それも、魔族の連中に握られたのだとしたら。状況は、思った以上に悪いかもしれない。

「……このタイミングで、奴らがあんな提案をしてきたのは偶然ではないな。塔を探るために注意を逸らすためと考えるべきだ」

「そうでしょうね。……陛下。あやつらを侮ってはなりませんよ。今回のことも含めて、何やら企んでいるに違いありません。充分に警戒を」

「重々承知だ。元より、魔族など信じるに値しない。奴らは畜生だ。それ以上の何物でもない。だが、しばらく乗った振りをしてこちらからも探りを入れてみる。オルゲンは引き続き、塔の件を探れ」

「仰せのままに」

 オルゲンが立ち上がり、足音を立てずに素早く謁見の間を後にする。影のような男だ。いつの間にか現れ、いつの間にか消えているような。だからこそリオネルトは、彼を側近として従えていた。

「陛下。例の連中が謁見に来ています。応接間で見張らせていますが、いかがなさいますか」

「通せ」

 やってきた衛兵の顔も見ずに、リオネルトは即答する。

 何にせよ、すぐさま事態が悪化することはない。乱れかけた心を落ち着けようと、息を吸い、吐く。

 魔族が実在することは、まだこの世界に知れ渡っていない。ただの伝説上の存在だと語られているだけだ。そんな奴らが何を語ろうが人々は耳を傾けるどころか恐れおののくばかりだろう。

 魔族は邪悪なものだからだ。

(……奴らがどんな手を使ってこようが、大した脅威にはなりえない。ならばこちらから先手を打つ)

 謁見の間の入り口が開く。衛兵に囲まれて入って来たのは、額に一本の長い角を生やした、色白の背の高い男。こちらを見て細められた目は、瞳孔が横縦筋に割れて赤く光っている。

 見るからに人ならざる者。魔族というのにふさわしい男だ。格好ばかり上等な礼服を纏い、繕っているのが可笑しい。獰猛な獣に服を着せているような悪い冗談だ。

「陛下。再びお目に掛かれて光栄です。例の件ですが、ご検討いただけましたでしょうか」

「……ああ、もちろんだ。こちらとしても前向きに考えている。どうだろう。こんな堅苦しい場より食事でもしながら、今後のことを語り合わないか。新しい世界には、新しい秩序が必要だ。それを深く、貴殿と掘り下げていきたい。ゲレティー殿」

「ぜひ。お招きいただき、身に余る光栄でございます」

 ゲレティーという魔族の男は、再び横割れの目を細める。そこに人間とは違う計り知れないものを見て、リオネルトは苛立つのを堪えた。

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