第30話二つの視点と思い込み


 ユッカとエアテールは、ファルを呼びに行くために飯屋を訪れていた。


 ファルは周囲を威嚇しながら、テーブルに足を上げてビールを飲んでいる。周囲の客は、そのマナーの悪さに顔をしかめていた。だが、ファルは見るからに強そうな冒険者であり、誰も彼に対して注意ができない。


 唯一の身内である妹のテカは、兄の向かいで身体を小さくして座っていた。その姿は、兄の付属品のようだ。


「おい」


 ファルに声をかけたのは、ユッカであった。


 客の誰もが、ユッカの身を案じた。ユッカとファルは、かなりの体格差がある。それこそ大人と子供ほどだ。


 けれども、ユッカは脅えることはない。


 冒険者の一人として、アリテの友人として、ファナを許せないという気持ちで彼と対面していたのであった。


「お前は……アリテのところにいたガキの冒険者だな」


 馬鹿にされたような言葉に、ユッカは唇を噛んだ。自分の力のなさをガキという一言に凝縮されたような気がしたのだ。けれども、こんな言葉では一歩もひかない。


「ガキっていうなよな。俺だって冒険者なんだ」


 町をひいてはアリテを守る力は持っている。そう思って胸を張ったら、ファルはせせら笑った。


「お前の歳ならば、C級だろ。S級の俺には、逆立ちしたって勝てないぜ。さっさと帰って、薬草でも摘んでいればいいんだよ」


 ファルの言葉に、ユッカは「B級だ!」と叫んだ。


 その言葉に、ファルは目を細めた。それは驚きというよりも、なにか懐かしいものを見るような目だった。


「……年齢の割には早いな。このままいけば、A級だって目じゃないって人種だ。一種の天才って奴で……アイツもそうだった。最年少でS級になったんだ。俺とはスタートからして違うし、才能も憎たらしいほど大きく違った」


 懐かしそうに、ファナは『アイツ』という人物のことを語る。誰だかは分からないが、アリテの恋人のような気がした。ファナの言葉が、死人を懐かしむものに聞こえたからである。


「あっという間にS級になった。アイツは戦うために生まれてきたんだ。実家にいれば、大層な騎士になっただろうよ」


 ファルは、しかめっ面でビールを煽る。


 テカも暗い顔になった。


 やはり『アイツ』というのは、アリテの死んだ恋人のことらしい。ユッカは、確信した。


 アリテの恋人の実家は貴族である。家を継げない長男以外が騎士になることは多分にあった。


「……冒険者にならなかったら、ダンジョン攻略中に剣が折れて死んだりしなかったんだ。アイツは親と不仲でも実家にいるべきだったんだよ」


 ファルの言葉に、ユッカとエアテールは顔を見合わせる。アリテは、恋人は殺されたと言っていた。


 なのに、ファルは剣が折れて死んだと言った。ダンジョン攻略中ということは、モンスターと戦っていたのであろう。


 その途中で剣が折れると言うのは、ある種の事故死である。


 ユッカは、薄ら寒いものを覚えた。ファナが遺産のために仲間を殺し、それを事故死だと偽っているのではないかと思ったのだ。横のつながりが強い冒険者にとって、仲間殺しはタブーである。


「やっぱり、お前が殺したんだ……」


 ユッカの手は震えていた。


 アリテは、ファルは強欲故に殺人を犯さないと言っていた。損得勘定が出来るからこそ、損が大きすぎるリスクを負わないのだと。


 だが、それがユッカには信じることができなかった。ユッカには、ファルのことが人殺しに見えていたのである。


「誰が仲間を殺すって!馬鹿にするな!!」


 ビールのグラスをテーブルに叩きつけて、ファルは怒鳴った。あまりの力にビールのグラスにヒビが入って、中身が洩れ出ている。客の数人が、怖くなって飯屋を逃げていった。女将も震えて、旦那に抱き着いている。


「ダンジョン攻略中の冒険者が、仲間を手にかけるものか。互いに命を預ける相手だぞ」


 ダンジョンの攻略は、冒険者の仕事のなかでも最も難しい仕事である。仲間に命をかける覚悟がなければこなすことは難しい。


 ましてや、ファルは前衛の剣士だ。戦闘では一番危険にさらされる立ち位置である。そんな人間が、仕事中に仲間を殺すとは普通ならばありえないことである。


「アイツが死んだとき、俺は別行動をしていた。ダンジョンのトラップに引っかかって、アイツとテカたちとは別行動を余儀なくされていたんだ。アイツが死んだのは、その時だったんだよ。アイツは、テカを庇って……」


 ファルは、何かに気がついたようだった。


 ユッカとエアテールも言葉を失う。


 これは、謎というほどの謎ではない。自分の打った剣を持った恋人が、モンスターに殺されるわけがない。そんな確証を持った人間が話を聞いた時に、真っ先に犯人が分かってしまう。


 誰もが、テカを見た。


 ユッカは、アリテに剣を修復してもらったことがある。その剣は切れ味が鋭く、どんなものよりも長持ちした。刃こぼれこそはしたが、折れることはなかった。


 そんなふうに修復できるアリテが、一から作った剣である。


 簡単に折れるとは思えない。


 そのようにアリテも考えて、恋人が死んだときに近くにいた人間こそが犯人であると推理したのである。


「テカ……」


 ファルは、妹の名を呼んだ。


 この単純な事件に、ファルは気がついていたのかもしれない。だが、妹を殺人犯だとは思いたくはなかったのだろう。


「テカ……。お前なのか。お前が、アイツを……」


 兄に名を呼ばれて、テカの肩が跳ねる。


 テカは前を向き、兄と視線を合わせた。その瞳には、涙が溜まっていた。


 突然、テカは立ち上がる。


「兄さんのせいよ。なんで、兄さんは……あの人が私に気があるだなんて言ったのよ!!」


 大声で叫び、テカは泣き出した。


 ファルは戸惑った顔をして、やがて飯屋の床を睨んだ。悔しさが横顔に刻まれており、彼らの間にどうしようもない食い違いがあったのだということは明らかだった。しかし、それは彼らにしか分からないことである。


「アリテの恋人は、ファルの妹に殺されたということなのか?」


 確認が必要だとユッカは思った。


 事件が古い故に立証できるかは分からないが、これは殺人事件なのである。第三者が分かるようにしなければならない。


 アリテの恋人は、かなりの手練れだったようである。ファルの口ぶりから言って、S級であってもおかしくはないないかもしれない。


 しかし、魔法使いの攻撃は特殊だ。多数の魔法を使いこなせるような熟練の魔法使いならば、S級の冒険者だって殺せる可能性があった。


「ちょっと待て……。アイツが、アリテの恋人なわけがないだろ。アイツの恋人は、アリテの姉だ」


 それは、アリテの唯一の嘘だ。


 病弱な姉がいる。


 そんな嘘をついた理由が、ユッカには分からなかった。


 嘘というのは何かを隠すためにつくものだ。架空の人物を作り出すほどのややこしい嘘をついて、アリテは何を隠そうとしていたのだろうか。


「どうして、姉の恋人なんだよ。アリテの恋人なら女で……」


 アリテの姉の存在は嘘。


 その嘘の人物の恋人が、アリテの恋人。


「ちょっと待て。アリテの恋人って……性別はどっちなんだ?」


 アリテの姉の恋人ということは……男ではないのか。


 アリテの恋人ということは……女ではないのか。


「アイツは……男だ。そして、アリテの姉と婚約しているとも聞いた。その姉の存在が嘘だということは……俺たちにまで嘘を付きとおしたということは——」


 フォルは苦々しく言った。


 アリテの恋人にとって、それは何よりも隠したいことだったのである。


 ——貴族出身の自分が同性愛者であるということ——


 貴族の価値観では、同性愛は忌み嫌われることだ。彼は貴族という身分は捨てたが、自分が育った価値観までは捨てることが出来なかった。だからといって、愛を捨てることも出来なかった。だからこそ、周囲に自分が同性愛者であることを隠そうとしたのだ。


 それには、アリテの協力が不可欠である。


 アリテは、自分には病弱な姉がいると嘘をついた。恋人は姉の婚約者ということにして、逢瀬を重ねても誰もが不審に思わないようにしたのだ。


 たとえ彼らが親しげに話していたとしても、未来の義兄と義弟の関係性ならば怪しまれないと考えたのであろう。


 そして、互いの家にも気軽に行き来することも出来る。


 ユッカは、ようやくアリテの秘密に勘づいた。


「そうか……。そんな単純なことだったのかよ」


 互いに互いの存在を隠す。


 かつてのアリテは、そのような寂しい恋愛をしていたのである。



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