第一軽師団

 海軍省人事局は億で数えられる海軍将兵の人事を一元管理する部局であり、人事局長のポストは軍政に携わる者の間で激しい争奪戦になる。艦隊派と要塞派の間で政争が繰り広げられる現状、人事権の掌握は両派閥にとって重要な事であり、現在では局長に艦隊派の者が就けば、次長には要塞派の者が充てられる事が慣例となった。

 現在の局長は艦隊派で知られるヨハン・フォン・フォーゲル大将、次長は要塞派のアントン・フォン・ヴィットリヒ中将である。

 「卿がかの有名な“重騎兵リヒャルト”か」

 複数人の名簿を持って人事局を訪れたリヒャルトに相対したのはヴィットリヒであった。要塞派の重鎮として有名だが、当然リヒャルトはそのような事は知らない。

 五十代半ばの細く肉付きの薄い男で、検察官を思わせる険しい目と鼻の下を覆う口髭が特徴的である。実戦派の将校と言うより、帝都の官僚界を潜り抜けて来た男のようであり、リヒャルトにとって好ましい相手とは言えなかった。

 「皇帝陛下に取り入ってこのような暴挙を働いているのか」

 暴挙、と言われてリヒャルトの眉がぴくりと動いた。

 「突然人事局に乗り込んできては名簿を寄越せ、今日中に将校を出頭させろなどと、暴挙が過ぎるとは思わんのか」

 正論には違いないが、リヒャルトにも言いたい事はある。

 「五日以内に師団の編成を完了せよと言う参謀本部よりの指令であります。一ヶ月の猶予をいただけましたら然るべき手順を踏んで上申しましたが」

 そのような挑発的な物言いが官僚軍人に受けが良い筈がない。当然ヴィットリヒも非好意的な視線を金髪の青年将校に浴びせかけた。

 「第一卿のような若輩に師団長が務まるのか。参謀本部がどのような考えかは知らないが、然るべき手順も知らない卿に数千隻の艦艇と百万の将兵を委ねるとは考えたくない物だな」

 嫌味と言う他ない。とは言えリヒャルト自身もそう思われる事に無理も無い事は理解している。

 「実績でお見せする所存です」

 「それは良いが、本職に本来の人事秩序を破壊してこのような人事異動を即日で行う義理はない。帝都海軍区総監部や帝都防衛軍団から人員を引き抜くのは、待命中の人員を任命するのと訳が違う」

 上申された書類を机に置いてにべもなく人事局次長は言い放った。

 この頑固な官僚軍人が、と怒鳴ってやりたい気持ちがリヒャルトにある。同じ帝国海軍軍人でありながら、参謀本部の命令の元行われている編成作業を妨害して何がしたいのか。

 もっとも客観的な理はヴィットリヒにあるのだが、リヒャルトにとっても引き下がる訳にもいかなかった。

 「しかし閣下、最前線部隊はともかく帝都駐留での人事異動に困難は伴わないでしょう。代替となる人材は帝都にはいくらでもいます」

 白髪の目立つ中将は嘆息した。

 「卿の視野は狭い。行動力だけが先だって事務方の苦労を理解できないようだ。前線しか知らない戦争屋には分からないものか」

 その前線で戦う部隊を支えるために事務方が存在する。ヴィットリヒの言は安全な後方で勤務する人間の怠惰と責任逃避の産物にしかリヒャルトには聞こえなかった。

 「小官は前線の戦争屋であるかもしれませんが、そこで最大限の成果を挙げるために閣下にお願いをしております。承知してはいただけませんか」

 非建設的な会話に付き合っていられなくなったリヒャルトは踏み込んで決断を促した。激しやすい己の感情を理性に抑え、最大限礼節を保とうと努力している。

 「認められんな。明日中に待命中や省出仕の将校で幕僚人事を整えさせてやるからそれを待て」

 ヴィットリヒの態度は淡々として、感情の揺らめきは微塵もなかった。リヒャルト如き若造など、相手にする必要もないとばかりの振る舞いである。青筋が立ちかかるのを辛うじて制御して、リヒャルトは次長の執務室を出た。

 これが帝国海軍の官僚機構か。最前線では将兵が血を流して戦っているのに、カイゼルブルクの石煉瓦造りの海軍省では塵一つない綺麗なオフィスで官僚的粉飾で装丁された書類を右左させるだけ。権威と秩序と規則を楯に取り、最善の解決策を取ろうともしない。

 百の罵詈雑言が飛び出しそうな勢いだが、リヒャルトの頭脳はその生産性の無さを理解していた。あのヴィットリヒ次長が人事局ににらみを利かせている限り、リヒャルトの異動の上申は却下され続けるには違いない。それを打破する方法はないものか。


 帝国海軍中佐ユリア・フォン・ホーネッカー男爵令嬢は彼女が率いる大隊の教練中に隊付将校に呼び出された。

 「海軍省人事局から、至急の呼び出しです」

 「今すぐ行かないといけないって?」

 「はい。到着は深夜になるだろうが、そのまま七三二号室に出頭せよと」

 事情も知らないままに出頭を命じられ、困惑しながらも三三歳になったばかりの中佐は帝都ブラウメン星系第四惑星ミズガルズ軌道上で演習中の部隊を離れて惑星カイゼルブルクの海軍省へと向かった。

 眠気を表に出さない事に神経を注ぐ衛兵の捧げ銃に軽く敬礼し、リンデン・シュトラーゼに面した石造りの重厚な庁舎に入ったのは一月二五日に日付が変わった後の二時十三分である。

 殆どの職員が退庁し、静寂に包まれたロビーで彼女を一人の将校が待っていた。

 「ユリア・フォン・ホーネッカー中佐殿でありますね」

 金髪の若い副官飾緒を付けた中尉が彼女の姿を認めると敬礼した。帽子を取って頷くと中尉は姿勢を正し、エレベーターを示した。

 「お待ちしておりました。こちらへ」

 出迎えがあったのは彼女を呼んだ人間の厚意であろうが、この真夜中に呼びつけて何をさせようと言うのか。全く分からないまま短く切り揃えた赤毛の中佐は副官の後について行った。

 七階に上り、七三二号室の扉の前に立った中尉がボタンを押すと扉がスライドして開き、室内の煌々とした明かりがホーネッカーの目を細めさせた。完全防音のため無音の廊下に比べ、この部屋だけはえらい喧噪ぶりである。

 そこまで広くもない部屋に数人の将校が足早に歩き回り、書類をめくり、立体映像を操作し、会話している。一つの机に向き合ってホーネッカーに背を向けていた長身のやや長めの髪の男の姿は彼女にも見覚えがあった。

 「る、ルート?」

 振り向いた男は鍛え上げられたすらりとした長身に、端麗な眉目とやや長く伸ばしたダークブラウンの髪が特徴的だった。その右目の片眼鏡モノクルも、彼女の記憶と全く変わっていない。

 「ユリア」

 男の低い声はイェーガーシュタット豆のコーヒーのような酸味交じりの苦味をホーネッカーに覚えさせた。ホーネッカーが続けて何を言うか困るより前に、横合いから声がかけられた。

 「ユリア・フォン・ホーネッカー中佐」

 歩み寄って来たのはまるで無作為な美しさに広がった豪奢な黄金色の髪に、瑠璃石を差し込んだように真紅に輝く瞳を併せ持った白皙の美青年だった。つい直前に彼女が再会した男に負けず劣らずの美麗さである。そして明らかに彼女より若いのに、濃紺のジャケットの袖の金線は彼が中将である事を示していた。そうなれば該当する人物は——

 どうやらここでは彼女が想像した以上に何か大きな事が起きるらしい。瞬時に膨れ上がった未知の世界への期待とそれに押し潰された不安感をシェイクしたカクテルの味を舌先に感じながら、ホーネッカーは敬礼した。

 「第十二騎兵連隊第二大隊長ユリア・フォン・ホーネッカー中佐であります」

 「リヒャルト・フォン・アイゼンシュタインしょうしょ——中将だ」

 今日変わったばかりの自分の階級に慣れないように金髪の青年は言い直した。間違いなく海軍中将とはとても思えない若々しさである。

 やっぱりか。ホーネッカーは内心で頷いた。あまりにも若すぎる海軍提督の存在は、海軍将校らの間でも有名な話であった。

 「ここは今日できたばかりの司令部だ。貴官もその一員となる」

 突拍子もない発言に面食らってホーネッカーは問うた。

 「司令部と言うと、一体どう言う部隊なのですか」

 「第一軽師団Leichte Divisionだ」

 軽師団。これまでの帝国海軍には存在しなかった部隊名称であるが、予定する編成規模のほぼ半数と言う軽微な編成からリヒャルトが付けた名前だった。実験目的の部隊などと内外に公表する事ができるはずもなく、正規の部隊編成と銘打つ必要がある。

 「貴官は司令部の作戦主任参謀として迎えられることになる。本日付けで人事局にも許可は得た」

 ベートマン“参謀長”が一枚のデータパッドを差し出した。空欄まみれの司令部人員名簿の作戦主任参謀の欄に彼女の名前が差し込まれている。

 「失礼ながら、小官をお呼び立てされるのに、内示もなしに即日で人事局の決済が下りるとは、とても人事局が裁可しないでしょう。どのような魔術を使われたのですか」

 データパッドをスクロールしながらローズヒップで染め上げたような赤毛の女中佐はリヒャルトに問いかけた。

 「“皇帝陛下の御名である”と言えば良いだけです」

 ホーネッカーの真後ろから声がかかった。振り向いた先で扉から入ってきたのは長い黒髪を後ろで纏め、美しいヘイゼルの瞳が印象的な女士官だった。侍従武官特有の純白の軍服はホーネッカーにとっても異質の存在である。

 「師団特務参謀を拝命した、ジークリット・フォン・ヴァイトイフェル少佐であります」

 「特務参謀?聞いた事のない肩書ね」

 「人事異動でアイゼンシュタイン閣下が苦戦されているようで、小官は皇帝陛下から“貸し出された”立場です」

 笑ってヴァイトイフェルは軍帽を取って赤毛の中佐に向かって一礼した。

「編成や運用面においてアイゼンシュタイン閣下を陛下の御意思に従いサポートするのが小官の任務です。侍従武官が皇帝陛下の錦の御旗を持てば、人事局も従わない訳には行かないでしょう」

 何か大きいどころじゃない。ホーネッカーの常識からして相当“ぶっ飛んだ”部隊であった。帝国海軍史上類を見ない過程で編成される類を見ない部隊である事は間違いない。

 しかしそれ以上にホーネッカーには気になる事があった。

 「どうしてここにマティアス・アドルフ・グラーフ伯爵・フォン・ルートヴィヒ少将閣下・・もおいでなのですか?」

 非好意的な口調の槍をホーネッカーは投げつけた。それが許されるくらいには彼女を呼びつけたこの環境は常識外れの空間であった。

 称号まで含めてご丁寧に名前を呼ばれた当の本人は何も言わず泰然としてホーネッカーの前に立っている。その顔立ちの美しさにかつてどれだけ惚れていただろうか——

 「貴官とルートヴィヒ少将が幼年士官学校の同期と言う関係であり、共に成績優秀で実戦指揮に優れている事が人事のデータにあったからだな」

 リヒャルトよりも先にベートマンが応じた。

 「ならそのデータには不備があるようですね」

 口先を尖らせてホーネッカーはまくし立てる。

 「過去はともかく、現在小官とルートヴィヒ閣下には何らの個人的関係もございません。私的縁故を理由に小官が当部隊への所属を命じられたのでしたら、お断りさせていただきたいのですが」

 リヒャルトは一瞬意外そうにルートヴィヒを見た。やや長いダークブラウンの髪の男が表情を変えずに首を横に振ると、代わりにベートマンが口を開いた。

 「ルートヴィヒ少将は戦闘団指揮官グルッペンフューラーとしての配属だよ。コンビを組ませるために呼んだわけではない」

 参謀長はホーネッカーの手元のデータパッドを示した。画面では二つある戦闘団の内、A戦闘団指揮官に確かに彼の名前がある。

 「それで、私が納得するとお思いで?」

 ホーネッカーは変わらず目を三角にして食って掛かった。彼女とルートヴィヒを今更呼び寄せるなど、無神経もいいところである。

 黄金色の髪の青年が手を口元まで持ち上げて応じた。

 「私は見ての通り二五歳で、艦隊派にも要塞派にも縁故が無い」

 リヒャルトの言葉に赤い髪の中佐の弾劾が止まった。

「だから私が師団長をやっても経験豊かな先輩方は真面目に指示に従ってくれない」

 リヒャルトの自嘲じみた言種はホーネッカーを納得させるのに十分だった。美麗で傷一つついていない二五の青年から命令される側に立っては、数十年のキャリアを積んできた熟練の指揮官たちは唯々諾々とは従いたくないだろう。

 その意味で三〇代に入ったばかりの少壮のホーネッカーやルートヴィヒを取り立てるのは合理的な選択とも言える。だがこの青年に事情があるのなら、ホーネッカーにだって言いたい事があった。

 「お言葉ですが閣下、小官は一前線指揮官たる身であります。参謀将校としての専門教育を受けてきた訳でもありません」

 八歳も年下の青年に命令される立場になると言うのは、若きホーネッカーにとっても決して愉快な気持ちではない。これは理性より感情の問題だった。

 「嫌なら帰るか?最前線で武功を挙げて出世の機会だと言うのに」

 平然とリヒャルトが言い返した。

 その言葉は超硬度の槍先のようにホーネッカーの肺腑を突き刺した。

 彼女の活力は最前線においてこそ発揮される。首都防衛軍団の一大隊長と言うほとんど閑職と言っても良い立場に彼女は半年に渡ってあり続けていた。元々跳ね返りの強い性格だから、有能であっても上官と馬が合わなかったのである。この半年は彼女の戦意の炎に水を掛け続ける日々であった。

 「この師団は次期作戦において恐らくは最前線に投入される事になる独立部隊だ。思うままに采配を振るう事の出来る絶好の機会だぞ」

 そう言われると弱くなるのがこの赤毛の中佐の本性である。彼女は何より戦いたかった。戦場こそが彼女の魂が光り輝く場だと知っていたから。

 感情を整理して行動に移すまでに五秒ほどの自覚が必要だった。複雑な思いを輩出するように息を吐き出して謹直な表情を整え、姿勢を正して敬礼する。

 「——慎んで拝命します」

 リヒャルトは微笑した。

 「猶予は短く、やることは膨大だ。手伝ってくれ」

 リヒャルト麾下に新たに編成された第一軽師団司令部は、参謀長ベートマン大佐や特務参謀として加わったヴァイトイフェル少佐らの手助けもあり、極めて迅速に編成が進んだ。

 帝都に帰還して待命の中にあった元第十七旅団司令部の人員も引き抜いて人員を整え、艦艇の補充を済ませて形ばかりの陣容が整ったのが一月二七日。参謀長フリードリヒ・ベートマン大佐以下に首席副官ハンス・シュミッツァー中尉以下二名の副官と副官付下士官、作戦主任参謀ユリア・フォン・ホーネッカー中佐を始めとして作戦、情報、航海、運用、後方、通信の各参謀チームに加えて医務、法務、主計、監察と言った各担当が充当され、陣容が整った師団司令部は割り当てられた師団旗艦の重戦列艦ラインラントに場所を移した。

 第一軽師団は引き抜かれた兵力を再編成した第五〇一と五〇二装甲連隊、第一猟兵連隊で編成が完了した。また麾下にマティアス・フォン・ルートヴィヒ少将のA戦闘団とエーリヒ・フォン・シェーラー大佐のB戦闘団司令部が編成され、その戦力も整いつつあった一月二八日、前線より急報が入る。

 連邦軍第七艦隊が大挙して惑星タウンズヒルに襲来し、同地の第二軍と交戦状態に入った、と言うものだった。

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