”Mr. President”

 “ブルーリッジ青い峰”が銀河連邦共和国の大統領府の愛称である。これは当初“銀河連邦共和国大統領府”と言う無個性極まりない名称だった建物が、その住所である「連邦首都特区ブルーリッジ通り1200番」からこの名前で呼称されるようになった。

 ブルーリッジが位置するオンタリオ湖に浮かぶ人工島ハドソン島はトロント市街地から伸びる一本の湖上橋によってのみ通行可能であり、四十平方キロメートルの島に政府機関が集中している。これはセキュリティ面において優れた対策であり、この地に首都が建設されてから一度としてテロ攻撃を受けたケースは無い。

 大統領府ブルーリッジはこの計画都市のほぼ中央部、議会議事堂からキャピトルパークを挟んだ反対側に位置し、九階建ての純白色の美麗な建物は銀河連邦共和国政府を象徴している。上から見ると四角形の建物に囲まれた中庭が位置し、歴代大統領によって庭園が築かれ、運営されてきた。

 連邦大統領ジェラルド・H・バニングは松の木に囲まれた石畳の一角で岩間から流れ出る泉水が作り出す人工池に浮かぶ花を眺めていた。

 バニングは現在一期目、連邦党POF出身の大統領である。惑星テラ地球の中産階級の出身で連邦宇宙軍に入隊し、パイロットとして務めた。彼の現役の間には戦争が起きず、退任後は政界に転身して北アメリカ州議会議員、連邦議会上院議員を歴任した後連邦党のシュワルツコフ大統領の下で副大統領に指名された。

 シュワルツコフの下で彼は得意とした国防分野で活躍し、国防指揮権限法の改正などを成功させた。任期途中でシュワルツコフが脳卒中で倒れて死去したため、彼の任期を引き継いで副大統領バニングが大統領に就任したのである。

 バニングの視界の中で一枚の花が落ちて水面が揺らめいた。ハドソン島周辺は飛行禁止空域に設定されているためエンジン音も響かず、大統領の鼓膜に届くのは中庭に僅かに吹き込む風とそれに揺らされる葉と、ビルから聞こえる人の声と、時々居場所を変えるSSシークレットサービスの警護官の足音のみである。

 膨大な執務の中にあって、バニングは時にこの場所を訪れて安息を得る。無数の人間の意思が揺らめくブルーリッジにあって、この庭園は喧騒を僅かばかりでも忘れる事ができる場所だった。

 「大統領ミスター・プレジデント

 彼の安息を破壊する声がかかってきた。無論それに取り乱すメンタリティの持ち主でもないハドソンは虚ろな視界のピントを側にやってきた秘書官に向けた。

 「統合参謀本部議長CJCSがお見えです」

 小さく何度か頷きながらバニングは息を吐いた。

 「お疲れですか?」

 黒い髪をかき回してバニングは破顔した。

 「楽じゃないな、大統領って仕事は」

 バニングが就任してから半年が経ち、休む間もなく彼は働き続けている。連邦人口一七六億人の元首たる彼の責任は非常に大きく、強大な行政府の長として日夜彼は思考し、決断し、発信する事を強いられていた。それは五六歳のバニングにとって決して楽な職務ではない。半年前より頬の肉は薄くなり、白髪が目立つようになっている。

 それでもバニングに自分の役割を放擲する事は許されない。膝を叩いてバニングは立ち上がった。その表情筋はコントロールされ、凛々しい表情が整えられる。

 「私に軍部の調整役を求めてきたと?」

 秘書官は頷いた。

 「統合参謀本部内で意見が割れたようです」

 大統領は肩に落ちた葉を払ってスーツを整えると石畳を歩き出した。

 「ジョンソンは自分で決断しなかったのか」

 「決断の責任を恐れているようですね」

 バニングは舌打ちした。

 「指揮権限法の強化が依存体質を生んだか」

 「軍部が決断を放棄しているなら、閣下に屈服していると言う事になりますが」

 「命令されるのは嫌いな連中だよ、勲章の重みが増すほどな」

 二人は中庭を抜けてエレベーターに乗り込んだ。九階まで上がり、廊下に出るとすぐに執務室へ続く一連の部屋が姿を現す。絨毯が敷き詰められた廊下にはスタッフが行き交い、黒いスーツを纏った警護官があちこちに佇立していた。

 白塗りの壁に囲まれた円形の大統領執務室には統合参謀本部議長ジョンソン元帥と国家安全保障担当大統領補佐官ヘンリク・キラコスキが待っていた。バニングが扉から入ると二人はソファを立って挨拶する。軽く手を上げ応じると、バニングは奥のソファに腰を下ろした。

 「それで、私は何を決断すればいいんだ?」

 「第二艦隊の一部を割いて膠着しているタウンズヒル戦線に派遣する案に、ハント提督が反対しています」

 大統領は足を組みなおした。

 「貴官が制服組のトップだ。決められなかったのか?」

 「ハント提督の言では本国の予備兵力が不足するため反対しております。運用細則では担当の軍種トップが反対すれば私の一存では決められません」

 「それで私に回ってくるわけか」

 バニングは肘掛けに腕をかけて頬杖をついた。

 「リックは何と言っている?」

 国防長官Secretary of Defenseリチャード・マクモリスを指している。大統領に次いで国家指揮権限を持つ、国防を担う閣僚であった。

 「部内が対立しているなら、大統領に裁断を仰ぐべきだと」

 誰も彼も彼に責任を押し付ける。私の事を神か何かだと思っているのか。自嘲的な笑いを一瞬だけ煌めかせ、バニングはキラコスキ補佐官に目を向けた。

 「どう思う?」

 「第二艦隊は先の戦闘のための出動準備態勢を崩していません。出動とあればすぐに行動できるかと」

 補佐官はその特徴的な愛嬌ある顔を崩さず答えた。

 舌打ちこそ止めたが、バニングは嘆息せざるを得ない。補佐官の言動は完全な責任放棄だった。結局大統領が自分で決断する他ない。

 「分かった。第二艦隊を割いてA統合軍に入れ、戦線を押し戻せ」

 「了解イェス・サー

 頷いてジョンソンは席を立ち、扉へと向かった。続いて役目を終えたキラコスキも席を立って参謀本部議長の背中を追う。

 来客が去った執務室でバニングは一人席に背中を預け、目を閉じた。

 自分が大統領に不適だとは思わない。決断力もそのための思考力も経験もある。だが日々の決断の連続はバニングを疲弊させるには十分だった。高い給与もこの困難さを思えば微々たるものである。

 ゴールドスタインでの勝利は国民を歓喜させ、国家元首たるバニングには両手で抱えきれない程の賛辞が寄せられた。だが一度でも敗退すれば期待の分だけ罵声が浴びせられる事になるだろう。そして彼の双肩にかかる重しを分け合えるような存在は政権内にはいなかった。


 銀河連邦共和国は”第一次銀河大戦”によって旧地球連邦が解体された後に成立した同盟評議会において、自治惑星による緩やかな連盟国家を主張する連邦派と、中央集権的な統一政府を求める統一派との対立の中で誕生した。

 連邦派が主導し、統一派にも配慮して作り上げられた銀河連邦共和国は、惑星を複数に区分した州自治体を持ち、その連合体としての連邦国家であった。大統領を元首とした中央集権的な政府が構成されたが、今度はその首都が地球に置かれる事に統一派は反発した。

 統一派が軸足を置いたのは地球の専横に対して旧独立星系同盟を発足させた地球連邦にあって辺境の星系たちであり、自分たちが新国家の主導権を握ろうと画策していた。だが一度は敗れたとはいえ地球を中心とした旧地球連邦側星系の経済力、政治力は力強く、統一派が主導権を握る事は叶わなかった。

 これには人種的対立も根強く存在していた。地球連邦政府は宇宙植民に当たって言語の違いからの衝突を避けるため惑星単位で同一言語のコミュニティでの植民を行った。統一派の中心はゲルマン語圏の人種であり、国際連合、地球連邦と連綿と続いた英語圏の支配への反発と言う意味合いも多分にあった。

 反発した統一派が銀河連邦を脱退して建国したのが銀河共和国であり、その公用語はドイッチュとされ、本来別の言語を母語としていた全国民にもその使用が強制された。後に銀河帝国となる国家である。極めて中央集権的、統一民族的な国家形態であり、後に専制帝国となる萌芽は共和国の時代において育まれていたと言えよう。

 一方変わらずイングリッシュを公用語としつつ、各言語コミュニティの文化基盤を尊重する方針を取った連邦は、“自由・寛容・民主”を旗印とした。民主政のシステムを基礎とし、どの文化的基盤を持つ人も何人にも権利を侵されず自己決定権を持つ。民族的アイデンティティを持たない連邦が国民統合のシンボルとしたのはまさしく自由民主主義と言うイデオロギーであった。

 銀河連邦が成立し、共和国が銀河帝国となり、それに続く”第二次銀河大戦”の中で独立した連合との三国が並立した銀河秩序の中にあって民主主義を奉ずるのは連邦のみである。国民が民主主義の正義を信じる限り、連邦は強固な結束を保って専制主義と戦い続けるだろう……

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