艦隊集結

 フリートラント星系は有人惑星を持たない連星系であり、恒星フリートラント1と2を囲む四つの惑星にはそれぞれフリートラント3~6の名がついている。第一惑星フリートラント3は典型的なガス惑星であり、帯状になった雲が無数に重なっていた。その軌道上には銀河帝国海軍の補給ステーションが置かれ、遠方から見ると茸にも見える傘状の巨大構造物が虚空に佇立している。全高百十三キロ、“傘”に当たる円形部の半径は四五キロに及び、同時に五百隻の艦船の補修やそれ以上の艦艇に対する同時補給能力を持っていた。

 フリートラント海軍施設と言う没個性的な名称を持つこの基地は、今や帝国海軍第一軍の集結拠点となっている。

 二年前の戦役で銀河連邦軍の攻勢の前に陥落した資源惑星ゴルトシュタインを含むフィルモア星域一帯を奪還すべく、帝国海軍は第一軍を動員した攻勢作戦を準備していた。四個軍団に属する十三個師団七万三千隻から成る第一軍は全海軍でも指折りの精鋭艦隊であり、万全の補給体制を整備した海軍参謀本部は作戦の成功に万全の自信を持っている。

 第十七戦列旅団も第五師団の一員として戦列に加わるため、このフリートラント3に到着した。

 旗艦デアフリンガーの艦橋から見る光景は壮観であった。二つの恒星に照らされる幾重にも重なる雲の帯とその周囲を囲むリングの上に浮かぶ巨大な基地の周囲に、無数の艦艇が居並んでいる。万単位の大艦隊が無限に続くとすら思える艦列を組んで並ぶその姿は帝国海軍の威容を象徴する光景であった。

 艦橋の窓から外に広がる景色を眺める旅団長リヒャルトの目に、他と違う異様さを持つ光景が現れた。

 「あの艦隊は何だ?」

 彼が差した先に展開する部隊は、驚くべき事に艦体が赤に塗り揃えられている。数十万キロ単位の距離で撃ち合う現代の砲戦では致命的とは言えないまでも、遮蔽率を大幅に下げるような塗装は好まれるものではない。

 傍らの旅団参謀長フリードリヒ・ベートマン大佐がその細い目を更に細めて見やると、合点したように頷いた。

 「あれは第二騎兵師団ですな」

 確かに赤揃えで並ぶ艦艇はリュッツオウ級巡洋戦列艦の群れであり、機動力と打撃力に特化した騎兵師団特有の編成である。その艦体正面にはグナイゼナウ級を上回る四三インチ荷電粒子砲が三五門搭載された猛々しさであり、その正面火力で敵艦隊の戦列を撃砕するための強力な戦艦だった。

 「師団長はリーデンス伯爵。ご存じではないですか」

 名前を聞いて合点したようにリヒャルトは頷いた。

 「例の“血みどろ伯爵”か」

 今年六三歳の老将で、士官学校卒業以来戦争あれば常に最前線に立ち続けてきた。その獰猛な性格に違わず作戦指揮も“突撃”“攻撃”しか知らないような猛撃ぶりで、敵にも味方にも凄まじい損失を出し続ける、“海軍省の泣き所”と言われる指揮官である。

 「海兵総軍にいたと聞いていたが、いつの間に宇宙に出てきていたとは」

 「赤揃えは海兵時代からの彼のトレードマークだとか」

 ベートマンが指した先で巡洋戦列艦の大群はその赤い帆先を揃え、幾千の槍となってその牙を研いでいる。来るべき連邦艦隊との戦いで、その刃が敵の戦列を切り裂くことを司令部も期待しているだろう……

 「閣下」

 後ろから声を掛けられて若年の旅団長は振り向いた。

 「モルトケよりの入電です。作戦説明のため旅団長連隊長及び参謀長は旗艦に参集せよと」

 旅団司令部専属副官ハンス・シュミッツァー中尉が敬礼して伝達した。

 「分かった」

 答礼してリヒャルトは傍らの参謀長を顧みた。

 「アーベントロート提督のお手並み拝見ですかな」

 ベートマンが薄い唇を曲げた。貧相な割に細く整った口髭と、肉付きの薄い顔は、いつ見ても芸人じみた滑稽さを感じさせる。リヒャルトが彼を見出さなければ、平凡な一士官としてその軍人人生を終えていただろう。

 「シャトルを一機準備しろ」

 表面上ベートマンに何も言わず、専属副官に対して指示を下すとリヒャルトはその収まりの悪い髪をかき上げ、軍帽を被った。


 全長三二五二メートルのグナイゼナウ級重戦列艦が宇宙空間で直接接舷して人員のやり取りをするわけにもいかず、艦と艦の間はシャトルで移動する。

 第五師団旗艦モルトケもまたグナイゼナウ級であり、麾下師団五三一〇隻を統率するため指揮通信能力が強化されている。モルトケの右舷格納庫に降り立ったリヒャルトとベートマンに格納庫中の視線が集まった。

 「あれがアイゼンシュタイン少将か」

 「まだ大学を出たばかりに見えるぜ」

 「海軍省も貴公子趣味か?広告塔としては効果抜群かもしれねえな」

 若すぎる少将に好奇の視線が寄せられる。特に同格の他の旅団長の視線は決して好意的なものではなかったが、リヒャルトは一切意に関さなかった。

 第二三騎兵旅団、第十七、第四五、第六七戦列旅団、第五兵站旅団が第五師団を構成する五つの旅団である。五人の旅団長とその参謀長が戦艦モルトケの会議室の長机を囲むと、ブリーフィングが始まった。

 第五師団長はヴィルヘルム・フォン・アーベントロート中将。帝国海軍の誇る大海軍に属する三五個師団の師団長の中で傑出した存在と見做されている訳ではない。本人にもその自覚があるらしく、参謀長フォン・クルック少将が司令部の事実上の支配権を握っているような状態であった。

 「明日七日明朝、我々第四軍団を前衛として艦隊は出撃する。我が軍の目的はフィルモア宙域に属する三星系の支配権、とりわけ惑星ゴルトシュタインの制宙権の確保である」

 自分が考え付いた作戦であるかのようにクルック参謀長が語る。銀河帝国海軍の参謀幕僚らは共通してこのような尊大な意識を抱え込んでいるのだが、この参謀長は最右翼であるように見えた。

 「軍主力はゴルトシュタイン星系を制圧し、後続の第二海兵軍団と陸軍第六降下猟兵軍投入まで同地を防衛する。またこの際奪還のため来寇する連邦軍艦隊を撃滅する」

 刻一刻と移り変わる立体映像を長い棒で示しながら参謀長は説明する。拝聴する側にとっても軍人として興奮を覚えるべき場面なのだが、リヒャルトにすれば自分が関わってもいない作戦を、ベートマン以外に信頼に値する味方もほぼいない環境で聞かされても興も覚めると言うものであった。

 「全軍の戦列において我が第五師団は最前衛に位置する。最も重要と言っても良い立ち位置だ。諸君、奮起せよ」

 統裁者でもない一介の参謀風情が他の列席者を圧するその姿はリヒャルトには滑稽に見えた。彼に圧されて上席にありながら縮こまっているようにも見えるアーベントロート中将が哀れに見えて来る。

 「艦隊運動のデータリンクについては開戦前まで継続する。以後の作戦機動は司令部の指示に従え。質問は?」

 その襟に大佐の階級章を付けた一名の連隊長が挙手した。

 「接敵後の作戦計画についてのご説明はないのですか?」

 「それは軍司令部の管掌する事だ。連隊長は命令一下邁進するだけでよろしい」

 それならお前がそれだけ威張る必要もない。リヒャルトはその皮肉屋としての一面を発揮してこのブリーフィングを眺めていた。

 不満はあろうが大佐は上官相手にそれ以上反論できずに手を下げて押し黙った。このような主催者を相手に他に質問が出るはずもなく、自然に散会となった。クルック参謀長は堂々と席に腰を下ろしてぴんと整ったカイゼル髭を指先で揉み、旅団長や連隊長たちが会話もなく退出していく。

 帰還のシャトルの中で初めて旅団参謀長ベートマンは口を開いた。

 「いけ好かない男でしたなァ」

 金髪の青年は肩をすくめた。

 「参謀って生き物は大概ああいう物だろ」

 「海軍参謀大学校ルフトハーフェン出身者は中々特権意識が強いですからな」

 その真反対にいるのがこのフリードリヒ・ベートマンと言う男だった。権威などどこ吹く風とばかりに貧相な中年農夫のような顔つきをしている。虚飾の自尊心ばかりが先行しがちな参謀将校共には異質な存在だが、その素朴さは兵卒たちにとっては親近感を覚えやすい。

 「こんな重い勲章やら飾緒をぶら下げて、歩きづらくはないのやら」

 「そう思っているのは卿くらいだろうさ」

 同意とも非難とも取れぬ口調でリヒャルトは応じると、窓の外に無数に居並ぶ艦艇に向き直った。無限に続くような隊列を組み、その列は惑星フリートラント3の影にまで及んでいた。

 「参謀本部で机上の空論を振り回す参謀連中が作戦を考えるからこれだけの大軍を組んで無為な作戦に兵力を投じ、何割かを浪費する事になるんだろうな」

 「閣下は海軍大学校を出ておられませんからな」

 そう言われてリヒャルトは鼻で笑った。

 「参謀本部キルシュ・シュトラーゼで書類仕事がしたくて幼年学校に行ったわけじゃない」

 「まぁ、閣下は今更ルフトハーフェンで学ばれる必要も無いでしょうな」

 そう言って瘦身の参謀長は薄く笑う。

 小さなバルコニーから瑠璃色の空を見上げていた時から、その向こうの世界を征く事だけを夢見ていた。権威付けのためにわざわざ石煉瓦で重厚感を演出した参謀本部庁舎で書類とデータに囲まれたくてリヒャルトは軍人になった訳ではない。

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