第22話

 翌日、学校が終わって帰宅して、お互いの家の前でいつも通りにあっさりと満照と別れた。そして僕が玄関に入る前にポストを見ると、封書が一通届いていた。つい振り返ると、もう満照は玄関を閉めたところで、目が合うには一瞬遅かったみたいだ。何故かおっかなびっくりで僕はそれに手を伸ばして取ると、宛名がちょうど上を向いていて、そこに僕の名前が書かれていたのでさらに驚いた。

 なにこれ、不幸の手紙か何か? 僕の個人情報、どこから漏れたの? やっぱりスマホにはセキュリティロックを掛けておくべきだった?

 いろんな不安が急激に押し寄せてきて、裏返して差出人を見る勇気が出なかった。だから僕はものすごく怖がりなんだってば。裏返したら知らない誰かの名前が書かれていたりして、それは一層僕を恐怖に突き落とすんじゃないかって考えてしまう。

 だいたい人の名前もろくに覚えない僕に、他人の筆跡なんかがわかわるわけがない。だからこの手紙の差出人も想像がつかないんだ。

 気を付けて封筒を裏返しにしないようにしながら玄関を開けて、ひとまず自分の部屋に入って机の上に置いた。もちろん宛名が上になるようにして。

 それから部屋着に着替えて、鞄の中身を明日の教科書に入れ替えるといういつもの作業をする。普通にしよう、普通に。まずは平常心が肝心だ。

 たとえどんな不幸の手紙が入っていようと、実際に不幸になるなんて迷信だ。チェーンメールみたいなものだったとしても、僕には後につなげるべき相手がいないから、結局僕で止めてしまうことになるだろう。それでも、そんなことで死んだりはしないし、それで死ねるならラッキーだ。うんそうだ、ラッキーじゃないか。呪い死にっていうのはなんとなく不快だけど、この際どんなチャンスでも逃せない。

 よし、開けよう。

 半ば震える手でハサミを持ち、丁寧に封筒の上一ミリのラインを切っていく。この時怖くなって満照に電話やメールをしなかった僕を誰か褒めて欲しい。すごーくすごーく怖かったんだけど。

 愛想のない縦長の茶封筒から出てきたのは、相反してファンシーに縁をカットされた便箋だった。案外厚い。そんなにたくさんの呪いの言葉が書き連ねられているんだろうか? お経か何かだろうか? どっちにしても怖い。漢字がいっぱい並んでるだけで多分怖い。怖いからなかなか開けない。

「えーい!」

 見た瞬間死ねたら楽だな、なんて希望を抱いて思い切って便箋を開くと、宛名と違って幼くて丸っこい、ひらがなを多用した文章が書かれていた。そして僕はもちろん死ななかった。

 がっかりしたような、安心したような、奇妙な感覚でひとまず胸を撫で下ろす。死ななかったことにではなく、一応呪われているわけではないと感じたからだ。まだ内容を読んでみないとわからないけど。

 それで、一行目を読んだ途端、身体から力が抜けた。


前略、お兄ちゃん。

あ、前略って何を略してるのかわかんないけど、一応その方がそれらしいから書いておくね。

本当は「拝啓」とかなのかな?

よくわかんないから先に進めます。


 妹だった。そこで初めて封筒を手に取って、差出人を確認してみた。住所はなくて、妹の名前だけが書かれていた。妹から手紙をもらったことなんて当然一度もないから、あいつがどんな字を書くのかも知らなかった。宛名を書いたのも誰だかわからないけど、ちゃんと切手が貼ってあって消印もあるので、母親経由で僕に届けられたわけではなさそうだ。

「……びっくりさせないでよね……」

 誰にともなく、なんとなくその封筒に向かって言った。

 内容は特にたいしたものじゃなさそうだった。


ちゃんと学校行ってますか?

いじめられてませんか?

みっくん以外の友だちはいますか?

彼女はやっぱりいませんか?

……なんて、聞くだけ無駄かな?

ちょっとあんた、一応私のお兄ちゃんなんだから、もっとしっかりしてよね。


 呪いの手紙ではなかったけど、嫌味とお叱りの手紙だったのかも知れない。先は続く。


私はもう暇すぎて死にそう。

読書とか全然趣味じゃないし、携帯もつながりにくいし、ホントに超暇なんだよ。

年中暇人のお兄ちゃんと代わってあげたいくらいだよ。

ご飯は味が薄くて少ないし、これもお兄ちゃん向きかも知れないね。

いいなぁ、お兄ちゃんはあんまりこだわりがなくて。

っていうか、もっとこだわり持った方がいいよ!

お兄ちゃんはいつも何にでもどうでもよすぎ!


 妹にまで僕のこだわりのなさを見抜かれていた上に、説教までされてしまう。

 確かに僕は何にでもどうでもいいけど、それで妹に迷惑は掛けてないつもりだったんだけどなぁ。兄にこだわりがないというのは、妹からするとよろしくないことなんだろうか? 僕はたとえ妹にこだわりがなくても多分困らないんだけど。「あんたのお兄ちゃんってこだわりないよね」なんていういじめはないと思うし、だいたいあの妹がそんなことに屈するわけがない。それは既に幼い頃に実証済みだし。相手はもうこの世の人ではなくなってしまったけどね。

 ついついまた瑞慶覧のことを思い出しそうになったので、僕は意識を持っていかれる前になんとか妹の手紙に視線を落とした。危ない危ない。昨日満照と過ごした一日が無駄になるところだった。


そうそう、この前みっくんがお見舞いに来てくれました♪

ていうか、私が来てってメールしたんだけどね。

お兄ちゃんももうみっくんから聞いてると思うけど、アドレス帳を見ちゃったことは謝っておきます。

ごめんね。

でも他は何も見てません。

ホントだよ?

それにしてもお兄ちゃんのアドレス帳はシンプルで見やすかったなぁ。

もっと友だち増やさないとダメだよ?

まぁ、みっくんがいるからもういいかもだけどね。

別に友だちなんて見かけだけ多ければいいってものでもないし。

私にもちゃんと大事な友だちがいるので心配しないでください。

今度紹介してあげるよ。

りっちゃんって言ってね、すごくかわいくて性格もいい子。

さすが私のことを選んだ! って感じでさ。


 云々。その後、〈りっちゃん〉についての描写が続いた。やっぱり満照のことは書かないつもりらしい。二人だけの思い出、ってやつですかね。兄は嫉妬するよ。どっちにもね。

 それにしてもその〈りっちゃん〉について、「さすが私のことを選んだ!」って感じるあたりが妹らしい。普通なら、「さすが私が選んだ子!」って言うんじゃないだろうか? そういう点は謙虚というか、控えめというか、自分を過大評価しない奴だ。逆にもっと自信を持ってもいいのに、って思うくらいに。

 今でも妹は、友だちについては〈量より質〉という考え方を崩していないらしく、〈りっちゃん〉についての紹介の端々にそれが見て取れた。きっとすごくいい子なんだろう。親友なんだろうな。僕と満照のような関係ではないんだろうけど、女子は女子なりの付き合い方があるんだろうし、別に妹の対人関係にうるさく口出しするつもりはない。そんな権利もないし、経験値でいうならあっちの方が上に決まってるんだから、僕が口を挟むまでもないだろう。

 しかし、なんで妹はわざわざ病院から僕宛に、わざわざ郵便局を使ってまで、手紙を送ってきたんだろう。これくらいのおしゃべりなら多分、この間満照がお見舞いに行った時にでも話しただろうし、メールでなしに手紙という、今となっては古風な手段をもってしてまでする話じゃない。それともよっぽど暇で、駄文でも書かずにはいられないほどなんだろうか?

 けれどそんな疑問は、間もなく打ち砕かれることになる。


ああそうだ、話脱線しまくりでごめんね。

もう暇で暇で、書いてる手が止まらないよー。

どうでもいいことって、書き始めるとだんだんどうでもよくなくなってきて、すごく詳しく書きたくなっちゃうみたいだよ?

お兄ちゃんも暇だろうからやってみて。

どうでもいいこととか、いっぱいあるでしょ?


 大きなお世話だよ、と思いながらも、今度やってみようかなっていう気にもなった。


私さぁ、少なくとも宇宙人の存在よりは、お兄ちゃんのこと信じてるよ?

だから隠さないで欲しかったなぁ。

まぁ、私はまだ中学生だし、子供扱いされても仕方ないけど、みっくんの次くらいには長いことお兄ちゃんのこと見てきてるんだからね。

お父さんもお母さんも気付かないことでも、私にはわかるよ?


 うん? 何を言ってるんだろうこの子は。まるで僕が家族に隠し事をしてるみたいじゃないか。


あのね、本当は秘密なんだけど、みっくんから聞いちゃいました。

あ、でもみっくんを責めないでね。

聞いちゃったっていうか、私がカマをかけたっていうの?

ユードージンモン的なアレで、みっくんをだましちゃったようなもんだから。

みっくんは悪くないんだよ。

ていうかさ、もう私は小学生の頃くらいからうすうす気付いてたんだから、何を今更って感じなの。


 えーっと、何のことかな?


何のこと? とか言わないでよね。

お兄ちゃんはいつもそうやって逃げるんだから。

お兄ちゃんが私のお見舞いに来ない理由、って言えばわかるでしょ?


 ……僕が妹のお見舞いに行かない理由。そんなの、一つしかないじゃないか。

 それを、妹は知ってるっていうわけ? 満照をうまいことそそのかすなんて、さすがにお年頃女子だな──なんて言ってる場合じゃなくて。多分自分の知ってることを話して、満照に認めさせたんだろう。あいつはさすがに後ろめたくて僕に打ち明けられなかったのか、だから昨日はあんなにぼーっと過ごしてたんだろうか。

 でも僕が思うに、多分妹にこの手紙を書かせたのは満照で、よく考えたらあの宛名の文字は満照のもののような気がする。ハッキリと確信を持っては言えないんだけど。

 満照が妹のお見舞いに行ったのが土曜日。たくさん話をしたって言ってたっけ。きっと妹の話をひたすら聞かされてたんだろうけど、そんな中で女子中学生にカマをかけられたわけだ。まぁ、実の妹に小学生の頃から気付いてた、なんて言われたら、もう白状するしかないよね。もちろん、僕だって満照を責める気はないよ。妹もね。

 それから暇な日曜日、僕たちがぼーっとしてる間に妹は病室でせっせと長い手紙を書く。夜にポストに投函すれば、すぐ近くに家があるんだし、配達区域を考えると今日届くのは予想がつくだろう。満照も多分、そう予測したのかも知れない。郵便が届くのは昼間で、両親は不在。学校から帰宅する僕が最初に自分宛の封筒に気付くのも、想定の範囲内じゃないかな。うちの妹は僕と違って賢いから。

 まさか開封までにものすごく怖がって、なかなか中身を読めないだろうなんて想像もしなかっただろうけど。


お兄ちゃん、昔からよくテレビに出てる人が死ぬの、言い当ててたよね。

私が絶対違うって言っても、「え? だって死ぬよ?」とかさらっと言っちゃうしさ。

何の根拠があって、って思ってたけど、そういう体質なら仕方ないよね。

今ならわかるよ。

子供の頃は、お兄ちゃんは超能力者だからわかっちゃうのかも、なんて思ってたけど。

そんな都合のいいものじゃないんだってね。

お兄ちゃんは苦しんでるって、みっくんが言ってた。

でもお兄ちゃんはそれを人に見せないから、いつ緊張の糸がプツンと切れて死んじゃったりしないか心配なんだって。

でもみっくんにはお兄ちゃんの辛さが、本当の辛さがわからないから、無責任なことは言えないって悩んでるみたいだったよ?

もう、私の大好きなみっくんを困らせるとはいい度胸ですな。

私が退院したら覚えておくように。


 冗談を交えてくるとは、高等な手段を身に着けたものだな妹よ──なんて余裕ぶってる場合じゃない。

 そうか、満照もやっぱり僕のことで悩んでたんだなぁ。二歳下の女子中学生に漏らしてしまうくらい、心が弱ってたのかも知れない。僕は申し訳ない気持ちでいっぱいになるけど、それをどう表現したらいいのかがわからない。言葉にするなら単純に「ごめんね」になっちゃうし、態度で示すならお菓子でも持っていくしか思い浮かばない僕の役に立たない頭。何のために付いてるんだ。


とりあえずさ、私のお見舞いに来てよ。

妹からのお願いだよ、お兄ちゃん。

私は死なないし、病棟に入るのが嫌なら中庭で話そう。

池の前は日当たりが悪くてジメジメしてるから、案外穴場なんだよ。

だって病気で気が滅入ってる人の行きたいようなところじゃないからね。

だからそこならあんまり不健康な人もいないと思う。

私は残念ながら、もう少し退院は先になるそうです。

でも死ぬような病気じゃないからね!

肺気胸なんかで死ぬかっつーの!


 そこで初めて僕は、妹の病名を知った。肺気胸っていうのか……後で調べてみよう。

 妹本人からお見舞いに来てくれなんて頼まれたら、断りにくいじゃないか。多分これは満照の入れ知恵なんかじゃなくて、妹本人の意志なんだろうけど、それでもやっぱり尻込みせざるを得ない。場所とかもいろいろ考えてくれてるのはわかるんだけど、死ぬのは入院してる人だけじゃないんだよ。お見舞いに来てる、一見元気そうに見える人の方が先に死んだりするんだよ。

 でもそこまで妹に知らせるのは酷だし、一度満照に言ったおかげで少しは肩の荷が下りたから無視するけど。

「お見舞い、かぁ……」

 そのまま手紙を放り出すところだったけど、よく見るともう一枚あった。なんだろう。


あとね、これは兄に誓って言うけど、あ、みっくんには絶対内緒だよ?

兄に誓って言うけど、私、高校生になったら、みっくんにちゃんと告白する!

今は中学生だからやっぱり恋愛対象としては見てくれないかもだけど、女子高生になったらどうかな?

年下なのはどうしようもないからもういいんだけど、中学生と付き合うってなんか犯罪のニオイがして嫌でしょ?

だから高校に入ったらみっくんに告白するから!

よろ!


 何が「よろ」なのかは不明だけど、ふぅん、そうか。やっと妹も一歩踏み出す決心をしたんだ。もしもフラれたら、幼馴染でもいられなくなるかも知れないっていう不安もあるだろうに。まぁ、相手が満照ならそんなことにはならないだろうし、下手したらうまくいっちゃう可能性も低くはないんだけどね。

 そうかぁ、告白かぁ。それはアレかな? 妹も勇気を出すから、僕にも勇気を出せっていうメッセージなんだろうか? それとも本当に単純に「兄に誓った」だけなのかな? 神に誓わないところがなんかやっぱり僕の妹らしい。そんないるかいないかわからないものに誓っても意味ないもんね。

 で、結局お見舞い。

 本人に直接頼まれたら、しかも行かない理由まで知られちゃってたら、行かないわけにはいかないんだろうな。しかも、妹は僕のこの変な能力のことを、疑いもしないどころか、昔から薄々気付いてたらしいし。うーん、やっぱり子供の頃は家で問題発言しちゃってたか。母親はどう思ってるんだろう。子供の絵空事だって思ってくれてると楽なんだけどな。まさか僕以外の家族全員ご存知、なんてことだけはやめて欲しい。今まで隠してきた僕がバカみたいじゃないか。

 うーん、ひとまず考えよう。今満照に相談するのはフェアじゃない気がするし、たまには自分の頭で考えないと脳が鈍る気がする。

 要するに、僕は自分の殻に閉じこもった。

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