魔法科の天才留学生に、処女をもらってほしいと懇願した結果

@akagawayu

第1話 卒業の夜

 とうとう、卒業パーティーの日が来てしまった。

 おもに貴族の子弟が通う王立アカデミーの豪華絢爛なホールで、楽し気に踊る同級生や下級生たちの姿を横目に見ながら、私は大きくため息をついた。一張羅の淡いペールブルーのドレスも、卒業生に贈られる胸元のコサージュも、私の気持ちを暗くするだけ。


「ヘザー先輩、一曲どうですか?」


 “壁の花”状態になっている私に気を使ってくれたのか、研究室の後輩がダンスに誘ってくれたけど、適当な理由をつけて丁重に断り、一人でバルコニーに出た。

 心地よい夜風を感じながら、泡の消えかかったシャンパンのグラスを一気に煽る。眼下に広がるアカデミー自慢の庭園には、春の訪れを告げる花々が色とりどりに咲き乱れている。

ただひたすらに楽しかった学園生活。それが今日、終わりを告げようとしている。そして世界一ついていない私に待っているのは、結婚生活という地獄だ。


 15歳で入学してから、22歳で魔法研究科を卒業するまで、私は7年にわたってアカデミーに在籍していたことになる。実は、これはとても異例なことだったりする。

通常貴族の令嬢は、18歳で教養科を卒業したら、そのまま婚約者の元に嫁いでいくものだ。例外があるとしたら、王族の侍女に選ばれて宮廷に仕える令嬢も若干名いるが、それも適齢期の上限とされる20歳には、暇を出されて嫁ぎ先に収まることになっている。


 そんな中で、私は卒業を引っ張りに引っ張り、めったに女性がいくものではない研究科に進学し、少しでも婚期を遅らせようと努めてきた。その理由は、単純。婚約者が――というか、嫁ぎ先の家が生理的にどうしても受け付けられないからだ。


 私――ヘザー・アンジェローゼの実家は、伯爵位を頂く由緒正しい家柄だ。とは言え、先々代の放蕩がたたって、今ではすっかり落ちぶれて、ほそぼそと暮らしている貧乏伯爵家なのだけど…。

それでも、領民のために必死で領地を守り、常に衷心から貴族としての義務を果たす父を尊敬していた。アンジェローゼ家は、貧乏でも幸せに暮らしていたのだ。


ところが、私が10歳のときのこと。領地に記録的な大雨が降り、甚大な被害が出てしまった。伯爵家のわずかな家財を切り売りしても、とても補填できない損害で、父が頭を抱えて金策に右往左往していたことを覚えている。

不運には不運が重なるもので、そんなときに降って沸いたのが、私の縁談だった。長男・トルドーとの婚約を条件に、成金貴族と陰口をたたかれることも多い子爵のリッチー家が、援助を申し出てくれたのだ。

もとより貴族の子女だから、政略結婚は覚悟の上。父は二つ返事で援助を受けてしまったのだけど…。このリッチー家というのが、想像以上の悪徳っぷりだったのだ。


爵位をお金で買ったと自ら吹聴してはばからないリッチー家当主は、表向きは貿易商のような仕事をしながら、金貸しやら賭博場やら、犯罪ギリギリの手法でお金を荒稼ぎしていた。

彼らが、お金の次に欲したのが“地位”。さすがにお金で買えるのは子爵家が限界だと悟ったリッチー家が目をつけたのが、没落寸前で跡継ぎの男子がいない伯爵家・アンジェローゼ家だったというわけだ。


 ちなみに、人が良すぎるゆえにやや考えの浅い父が飛びついた婚約書には、こんな条件がついていた。

1. 両者がアカデミーを卒業次第、すみやかに婚姻を成立させること。

2. リッチー家が水害の損害額を全額援助する代わりに、アンジェローゼ家は伯爵の紋章をリッチー家に婚姻関係が続く限り貸与すること。

3. ヘザー嬢は処女でリッチー家に嫁ぐこと。

以上の条件が守られない場合、婚約は即時に破棄され、アンジェローゼ家はすみやかにリッチー家から受けた援助金を全額返金することとする。


あーもうーーお父様ったら、これじゃ私はどうしたって結婚から逃れられないし、アンジェローゼ家の名前を使って好き勝手に商売されちゃうじゃないの!!…と、15歳のときはじめてまともに婚約書を読んだときは、思わず叫んでしまったけれど。


諦めるしかない。もうどうにもならない。脳裏にでっぷりと太って、狡猾そうに目をぎらつかせたトルドー・リッチーの顔が浮かび、私は再び大きくため息をつく。

明日には、両家で結婚の手続きについての話し合いが行われる予定だ。つまり、今夜が私にとって、伯爵令嬢としてのほぼ最後の自由な夜ということになる。


「ヘザー、浮かない顔だな」


 ふと声をかけられて顔を上げると、魔法研究科の同級生・ユーゴがバルコニーに出てきた。浅黒い肌に漆黒の髪、珍しい深紅の瞳。背が高くがっしりとした体つきなので、よく騎士や衛兵に間違われているけど、王国の叡智が集まる法研究科の中でもピカイチの天才だ。そして私にとっては、とても気の合う、貴重な異性の友人でもある。


「…過ぎ去っていく青春を、惜しんでいるところよ」

「そんなロマンチストだったっけ?」


 いたずらっぽく笑って、ユーゴが私の隣に立つ。横に並ぶと、彼のほうが頭二つぶんくらい背が高いので、自然と見上げる形になった。


「ユーゴも、今夜がこの国での最後の夜なのかしら?」

「まあな。明日の夕方には発つ予定だよ」


 ユーゴは、隣国のハンデンス帝国から来た留学生だ。気ままな貧乏貴族の三男だと言っていたが、研究科を卒業したら帝国の魔法軍に入隊するか、魔法省の役人になるか、いずれにせよ祖国に奉仕しなければならない立場らしい。


――明日には彼は帰国して、私は嫁に行く。きっともう、二度と会うこともないだろう。


 ユーゴは表情を変えずに、頬杖をついて穏やかな目で庭園を眺めている。夜風が、彼のサラサラした黒髪を優しく揺らしている。

 リアリストの私と気取らず飄々とした性格のユーゴとは、入学してすぐに意気投合して、7年間毎日のように顔を合わせてきた。一緒に実験したり、試験前はお互いの苦手分野を教え合ったり、備品を壊して一緒に先生に怒られたり……。そんな何気ない思い出が一気にあふれてきて、つい目頭が熱くなった。


「たぶん、今日で会うのは最後になるかもしれないわね」


 思わずつぶやくと、ユーゴはちょっと驚いた顔をした。


「なんだよ、寂しいの?」

「そうよ、寂しいの」


 ユーゴが、深紅の瞳を大きく見開く。そして、柔らかく目を細めて優しく微笑んだ。


「俺も寂しいよ。おまえのこと、一生忘れない」

「……私も」

「ヘザーと友達になれて、俺は本当にラッキーだった。楽しい7年だったよ」


 彼がすべてを過去形で話しているのが、たまらなく悲しい。私は息を整えて、思い切って顔を上げた。

――やっぱり、彼に頼もう。

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