不穏ミミック

 ミモザの花が咲き始めたうららかな春の日、イリスの容態が悪くなった。


 朝からクロウ家の屋敷内は騒然としている。フランキンセンス先生も駆けつけて彼女の治療に当たった。

 私がこの屋敷に来てから彼女の体調は降下の一途を辿だどっていた。時折辛いのを必死に隠そうとする彼女の姿を見るのは心が痛んだ。しかし、とうとう限界が来てしまった。


 シトロネラは母屋で待機、ユズはギルドに呼び出されているので不在。

 私とリンデンは活動部屋で待機していた。彼女は気を紛らわせるために私の髪をもてあそんでいる。くしいて結っては解いてを “心ここにあらず” といった表情でひたすら繰り返していた。


「お姉さん、大丈夫かな……。」

「心配だね……。オリバー先生も到着したから大丈夫だと思うけど……。」


 この言葉で、私の髪を持つリンデンの手がピクリと動いて止まった。……何を話していても生返事で、ひたすら髪を弄んでいた彼女が止まってしまった。


 えっ……?


 私は驚いて振り返ってリンデンを見ると、彼女は俯き膝の上で手を握り締めて震えていた。

 彼女の気に障る事でも言ってしまったのだろうか? ……そんな重く押しつぶされそうな空気の中、リンデンがポロリと本音をこぼす。


「私、フランキンセンス先生が好きになれなくて……。」

「……え? どうして?」


 まぁ……私もミミックを研究して、何を考えているか掴みにくい彼は苦手では有るが、思いつめる程では無い。


 普段、人を悪く言わない彼女にしては珍しい。

 そもそも、友好的で温和な彼女だが先生の名前は、よそよそしくファミリーネームで呼んでいる。

 彼女はイリスにとてもよく懐いているから、彼女が先生に取られて悔しいと思う部分もあるとは思うけど……リンデンの様子を見ると、それだけではなさそうだ。


「イリスお姉さん、ちっとも体調が良くならないの。むしろ悪化していて、ここ一ヶ月は部屋から出る事も少なくなるし……。」


 彼女が鼻をすする音が聞こえた……泣いてる……。

 そして彼女の不安は堰を切ったように溢れる。


「フランキンセンス先生が治療を担当されてからよ! ずっと昔から体が弱かったけど、ここまで悪化することはそれまで無かった!! それに昔はシトロネラと同じ髪色と瞳の色だったのに……今では違う色になっちゃった……。」


 リンデンはこらえきれず声を上げて泣き出した。

 治療してから髪色と瞳の色がまったく別の色に変わった? そんな事あるの??


「一番怖いのは、フランキンセンス先生の見た目が全然変わらないの……何でみんな気づかないの? 10年も同じなんて、あるわけないじゃない……。」


 10年も姿が変わらない?


 涙を流す彼女を抱きしめて無言でなだめた。


「私、ミュウの髪色も段々濃くなっていくのも怖かった。瞳の色も今は真っ青で……。ミュウもいなくなりそうで怖い……。」


 ……。


 リンデンの悲痛な姿を見て彼女の助けになれる事は無いかと考えた。それにイリスも助けたい。窓ガラスに映った自分の姿を見ながら考えた。


 今では毛先まで血の様な真紅に染まっている。そして目もすっかり青くなってしまった。一ヶ月ちょっとでこんなに変わってしまった自分も不気味だが……イリスの身に起っている事も不思議だ。何故もっと早く彼女の不可解な現象に興味を持たなかったのかが悔やまれる。


 ……先生を調べてみよう。胸騒ぎがする。ユズだけでなくリンデンも彼を怪しんでいるのはよっぽどだ。……彼の秘密を暴きに行こう。


「リンデン、イリス姉さんも私もいなくならないよ。大丈夫。」


 私は目の前で逝ってしまった彼等の事を思い出していた。私と同じ思いを彼女にはさせたくない。


 ◇ ◇ ◇


 翌日、イリスの容態は落ち着きを取戻した。


 その日の午後、私は彼女の部屋を訪れた。

 彼女が眠っているのは承知の上で、ただ顔が見たくなって。


 シトロが彼女の傍について居るかなと思い行ってみたのだが……彼女の部屋に居たのはオリバー先生だった。


 一瞬、部屋の空気が張りつめた。私はイリス姉さんの傍に行きたいと願うと、彼は入室を許し私を部屋に招き入れた。


 オリバー氏と一緒で気まずいな……でも、何かヒントが有るかもしれない。よく調べてみよう。

 

 イリスは静かに眠っていた。その美しい寝顔はビスクドールの様に儚く綺麗だった。

 その胸が小さく上下しているのを見て、彼女が生きていると安心する。


 治療で使ったのであろう、赤い液体が入った空き瓶がサイドテーブルに置いてあった。私がプレゼントした水晶も置いてある。


 重苦しい空気の中私は先生に尋ねた。


「お姉さんの容態はどうですか?」

「ああ、今は落ち着いて眠っている。だが、もう長くないかもしれない……。」


 長くないって……そんな……。

 私は椅子に座りイリスの傍に近づき彼女の頬を撫でた。


 でもその時、違和感を感じた。

 昔嗅いだことが有る香りが近くから漂ってきたので眉をしかめた。


(この香りどこかで……どこから香ってくるんだろう?)


 私はゆっくり周囲を見渡しながら匂いの元を辿ると、それは薬の空き瓶だった。

 置いてあった小瓶を手に取り残った液体の香りを嗅いだ。


 甘く、そしてどこか鉄臭い……


 香りに引き摺られる様に、過去に味わった痛い記憶が駆け巡った。じわりと冷や汗が浮かぶ。何で、こんな所で……?

 私はサイドボードに置いてある薬についてオリバー先生に聞いてみた。


「先生、この小瓶の中身って……前に先生が姉さんに口移しで飲ませていた薬ですよね?」


 彼は少しの間を置いてゆっくりと答えた。


「やっぱり見てたかい? ……そうだよ。彼女はこの薬が苦手でね。ああしないと飲んでくれないんだ。」


 彼女が甘えて、あのように飲ませて欲しいとせがむ様な人物には見えなかった。

 大人である彼女が飲むのを嫌がる程の薬を……半ば無理矢理飲ませたの? 恋仲の彼からあのようにされたら拒みにくい……それはあまりにも酷い……。


 私がこれを食べた時は焼けるような痛みを伴った。私は無事生き延びたけれど……もし体の弱いイリスが飲んだのなら……もしかして、この薬が彼女に悪影響を与えているのでは? そんな疑念が湧いてしまった。


「先生? 私、先生に沢山聞きたいことが有るの。聞いてもいい?」


「ああ、いいよ。僕も君に話したいことが有るんだ。夕方一人で僕の屋敷においで。ギルドの裏手にある屋敷だ。一緒に話して解決しよう。」


「ここじゃダメ?」

「ああ、込み入った話だからね。じゃあ僕は行くよ。……待っているよ、ミュウ。」


 彼はそう言って部屋を後にした。

 私は次第に緊張で呼吸が荒くなる……目を見開き自分の手の中に有る薬の空き瓶を見つめていた。背中がぞくぞくして全身の毛が逆立つ感じがした。


 モンスターとしてその誘いは危険だと警鐘を鳴らす心と、ミュウとして彼女を助けたいという心がせめぎ合ったいた。


 ◇ ◇ ◇


 落ち着いた私は活動部屋に戻った。もう日が傾きかけている。

 ユズとリンデンが帰った活動部屋でシトロが一人暗い顔で俯き席に座っていた。

 私は彼の隣に座り彼の様子を見る。


「シトロ……。」

「姉さんが……長くないって……先生が……。」


 いつも冷静で気丈な彼が酷く弱っている。悔しそうに口をきゅっと結び、その目にはうっすらと涙が浮かんでいる。彼は私の肩を借りると声も無く涙を流した。私は彼の背中をそっとさする。


 シトロ、リンデン、ユズが慕うイリス姉さん。皆から彼女を奪うなんて……みんなの悲しむ姿は見たくない。それにイリスだって皆から離れたくないはずだ。



 …………私は覚悟を決めた。



 静かに、低くつぶやく。自分自身に言い聞かせるように。



「……イリスを取り戻そう。」



「え?」

「……ごめん、シトロ出かけてくる。何が有っても必ずお姉さん助けるから。小瓶に入った赤い飲み薬は飲ませないで。それだけお願い。後は頼んだよ。……じゃあ行ってくるね。」


 私は口早にそう伝えて、活動部屋から駆け出した。


「おい、ミュウ! ……ミュウまで居なくなるみたいじゃないか……。」


 私は屋敷を抜け出しギルド近くにある彼の屋敷へ向かいひたすらに走った。

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