「もはや海水」編 (シュールコメディ)

 

 ぶふっ。



 新婚である妻の作った初めての味噌汁を、俺は思いっきり噴いた。

 新居の白い壁に散る、薄茶色の液体の飛沫。

 普通なら一気に妻の機嫌や愛情を損なうありえない大失態だ。


 普通なら、な。


「なんだよこれ! しょっぱすぎる……っていうかもはや海水の塩分濃度だろ! 何やったらこんなになるんだ!?」


「ん?」


 妻は自分のお椀の中の液体(それを味噌汁とは呼びたくない)を少しだけ舐め、変な顔をした。


「……あー、ごめん。砂糖と間違えて塩を入れてたみたい」


「はあ!?」


 ふざけているのかと思ったが、妻は至って真面目な様子でいる。


「なんで味噌汁に砂糖なんだ!……ていうか砂糖だとしてもそんなに沢山入れちゃダメ! 死んじゃうだろ!」


「やだー大袈裟だね。味噌汁で人が死ぬわけないじゃない」


「死ぬから! 高血圧と血糖値なめんな!」


「わぁ、旦那くん怖~い。結婚したら人が変わるってやつ? 釣った魚にエサをやらない的な?」


 笑顔で言う妻に余計に怒りが湧き、拳をグッと握った。

 それはこっちのセリフだ。まさかこんな非常識な料理を作る女だったなんて聞いていない。

 付き合っている時に何度か手作りのお弁当を持ってきてくれた事があり、それは旨かったので騙された。あれはお義母さんか誰かが作ったものだったのか。


 くそう、笑顔が可愛くなかったら絶対に許さないのに! めちゃくちゃ俺の好みなんだよな。

 許さないのに!……くそかわいい。


 ……まぁいい。どうせ共働きで家事は折半だ。

 俺は拳を解き、手をおろした。そのままキッチンに立つ。


「どうしたの?」


「いや、俺が作りなおすわ」


 独り暮らしが長かったのでこれくらいならすぐ作れる。

 ネギを刻み、豆腐と顆粒だしと水を入れた小鍋を火にかける。その間にお椀とまな板を洗い、沸騰したら火を止めて味噌を溶き入れる。

 再度弱火で少しだけ火を入れて、豆腐とネギの味噌汁の完成だ。


「さあどうぞ召し上がれ」


 俺が出した味噌汁を真顔で飲む妻。真顔ってか無。完全な無表情。


「……普通だね」


 おい普通がいいんじゃないか!


「もうちょっとパンチが欲しいところ……例えば」


 おいおいやめろ、オリーブオイルをも●みちさんの様にお椀の遥か上からドバドバ垂らそうとするな!!

……って、あれ?


「お前、"普通"の味、わかるのか?」


「わかるけど。前に作ってあげたお弁当、普通だったでしょ? あとそれも」


 妻が食卓の上の料理を指差す。肉野菜炒めと卵焼き。

 見た目はまともだが味噌汁がヒドイ味だったので、てっきりこっちもそうなんだと思い込み箸を付けていなかった。おそるおそる食べてみる。


「……旨い」





 あれから半年。俺達はまあまあ仲良くやっている。

 妻は、何故か味噌汁にだけはエキセントリックなこだわりを持つ女だった。

 他の料理は普通に旨いのだが、味噌汁が普通なのはつまらないらしい。

 帰宅したら食用花エディブルフラワーの浮いてる味噌汁や、青い着色料で色を付けた味噌汁を出された時はげんなりした。


 実は見た目でわかるのはまだましだ。赤出汁だと思ったら味噌とケチャップが同量入ってるとか、チューブの生姜が丸々一本入ってたとか、水の代わりにリンゴジュースで作ったなんてのもあったな。


 その度に俺は味噌汁を噴いた。

 それを見てキャッキャと喜ぶ妻。何がしたいのかわからんが、喜ぶ顔が可愛いのと、そのマズイ味噌汁は後で妻自身が完食していたので許していた。

 普通の味噌汁が飲みたければ自分で作るか、インスタントにお湯を入れれば良いんだから。


「あ、ねえねえ。遂にこれが仕事になったよ!」


「は?」


 じゃーん! と言いながら、妻が見せてきたスマホの画像SNS。そこにズラリと並ぶのは、食用花やら寒天やらが浮く奇っ怪な味噌汁の写真達。

 そのフォロワー数が軽く5万人を超えているのに気づき、目玉が飛び出るかと思った。


「なんと、味噌メーカーさんから案件の依頼が来たんだよ!」


「……嘘だろ。世の中どうなっているんだよ」


 俺は頭を抱えた。





 この数年後、彼女は味噌汁アーティストとして小さな個展を開くまで有名になる。その個展にはうちの壁の写真が飾られている。

 白い壁紙に、俺が噴いた薄茶色の飛沫が散っているのが芸術的なんだそうだ。


 俺には全くその芸術が理解できないので、今日も味噌汁を自分で作って妻に「普通だね」と言われている。

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