TRACK8 軽トラ

「さあ来い! ふもとにある軽トラに乗せてやろう!」

 何はともあれ、くーちゃんたちは男の人もといお兄さんの車へ乗ることができました。おじさんというと「お兄さん」と食い気味で返されたので、ここからは男の人をお兄さんと表現します。

 そんなお兄さんの軽トラの助手席には、たくさんの工具に枝、それに薪があったので、とてもじゃありませんが、くーちゃんとハナちゃんが座れるスペースはありません。

「どうしましょか、おじさん」

「お兄さんだ。まだ俺は二十歳にもなっていない」

 不潔さを極めると、人は老けて見えるようです。

「荷台なら開いてるな。そこでもいいか?」

 ハナちゃんがそれを聞いた時、顔がさあっと青ざめたのを覚えてます。いつも恥ずかしがって顔を赤くしていることが多かったハナちゃんの、初めての表情でした。

 もしかしたらハナちゃんは荷台が怖かったのかもしれませんが、背に腹は代えられません。徒歩で海まで行っている間に、二人とも力尽きてしまったら無駄死にです。現世に未練はありませんが、終わり方くらい自分で決めたいものじゃないですか? 現世で散々な目にあってきた分、軽トラの荷台に乗って、海まで行けるなら、幸せです。

 幸いなことに軽トラの荷台には助手席より、たくさんの木材や工具がのっていたので、体を隠すくらいの余裕はありそうでした。

「なんで、鹿、作ってるですか? おじさん」

「お兄さんだ」

 同じ失敗を繰り返すのは、よくないとわかるのですが。習慣を変えるのは、結構大変なので、また間違えてしまいました。反省してます。お願いですから、そんな目でみないでください。照れてしまいます。

「必要だからだよ。俺にはこれが必要なんだ」

「ひつよう、ですか」

 どう必要だったのでしょうか。お兄さんがそう言った後、どこか愛おしそうに木材を見つめていたので、それ以上は尋ねませんでした。

くーちゃんとハナちゃんは、一晩を共にしたのもあり、道中は情熱的なトークショー状態でした。と、言いたいとこでしたが、ちょっと違います。こういう時、大げさに言ったほうが、盛り上がると思った次第です。実際、ハナちゃんも少しずつ言葉を喋ってくれるようになってましたが、だからといって無口じゃなくなったわけじゃありません。お互いに、何も言わずに、ボーっと空を見上げていることが多かったのを覚えてます。あ、違います。ハナちゃんは空を見上げてる時間より、絵を描いている時間が長かったです。来る途中のバスでも描いてたですけど、今度は見たことのない生き物を描いてました。腕が四本生えてて、赤や青や緑色など、色の大洪水です。そんなもの、くーちゃんはこの世界で、見たことありません。例のトンネルの向こう側には、こういう生き物がいるんですと言われたら、納得してしまいそうです。

 とてもきれいでした。

胸がドキドキして、その生き物の色が一つ、また一つと重ねて塗られてるところを、じっと見てました。トンネルの呼び声のことなんか忘れて、海へ永遠につかなくてもいいかなとか、そんなことを、ちょっぴりですが、考えてしまいました。

「きれいです」

くーちゃんは、ついそう言ってしまいました。ハナちゃんの時間を邪魔したくなかったんですけど、あまりにも美しかったので。言葉にしてしまいました。最高においしすぎる料理を食べたとき、シェフを呼んで、おいしかったと言いたくなるものじゃないですか? くーちゃんは大人になった今でも、シェフを呼んで、おいしかったと言います。笑わないでください。正直なのがくーちゃんのよいとこなんですから。

それはともかく、くーちゃんが感想を言った後、ハナちゃんの手が止まってしまったんです。

そして、少しうつむいた後、小さな人差し指で、震えながらくーちゃんの方を指しました。

「……くーちゃんが、どうかしましたか?」

 ハナちゃんは気まずそうに首を横に振ったあと、お絵かきを再開しました。

「もしかして、くーちゃんを、描いてくれたですか?」

 ハナちゃんの手はまた止まりました。そして、顔を赤くして、うつむき「ごめんなさい、ごめんなさい」と何度も謝り始めました。

「なんで謝るですか? くーちゃんは、ハナちゃんに、こんな風に見えてるですね。びっくりです。素敵です」

 くーちゃんの言葉に、ハナちゃんの顔はますます赤くなるばかりです。もしかしたら、ハナちゃんの見てる世界は、くーちゃんの見てる世界と、違うのかもしれません。

 つまり、何が言いたいかとゆうと、くーちゃんは後にも先にも、ハナちゃんみたいな絵を描く人に出会ったことはありませんし、今でもハナちゃんはくーちゃんにとって世界一の絵描きさんです。

 だからくーちゃんは、軽トラに揺られている間、ずっとずっとハナちゃんの絵を見続けていました。

 くーちゃんと思わしき絵を描いた後、今度はお兄さんの作った鹿さんも描いていました。目や鼻が、ふつうと違うところについてたり、茶色を絶対に使わないあたり、ハナちゃんのこだわりを感じました。

 ちなみにお兄さんの方ですが、軽トラを止めて休憩するとき、くーちゃんたちに話しかけてくることがありました。そして、ハナちゃんの絵を見てくることもありました。初めて見た時から、お兄さんはハナちゃんの絵が好きみたいで、「天才だ! こいつは天才だ!」だなんて言っていました。

 そのたびに、くーちゃんとお兄さんのバトルが始まります。

「くーちゃんのが先にハナちゃんのファンなりました。簡単に天才だなんて言葉使わないでほしいです」

「天才は天才だろう! 後も先もない! お前みたいな古参ぶっているファンが、新規のファンを遠ざけるんだよ!」

 ハナちゃんは毎回、くーちゃんとお兄さんの言い争いを見るたびに、面白そうに笑っていました。

 ひとしきり、くーちゃんとお兄さんの戦いが終わったあと、お兄さんは、ハナちゃんの頭にそっと手を置いて、こう言いました。

「ハナちゃんよ、あんたはすげえ。ここからは俺の想像だ。もし違ってたら、謝らせてくれ。もしかして、あんたはみんなと見えてる世界や色が違うんじゃねえか? それが怖くて、嫌で、悲しいこともあったんじゃねえか?」

 その予想は、きっと当たってました。むしろ、くーちゃんが、勘違いしてたかもしれません。ハナちゃんの夜の底みたいな目には、恐れじゃなくて、悲しさが宿っていたのかもしれません。

 お兄さんは言葉を続けました。

「でもな! それでいいんだ! あんたは違うから最高なんだ! そのことをわかってくれ! あんたは最高だ!」

 ハナちゃんは何度も何度も、頷きました。きっと、誰かに言ってもらいたかった言葉なのかもしれません。誰だって、言ってほしい言葉があるものです。

「すごいです。お兄さん」

「すげえのはこいつだ。俺じゃねえよ」

 お兄さんには、イラッとすることも多かったですけど、この時はほんのちょっぴり、かっこよく見えました。

 お兄さんとの旅は、とても楽しかったです。途中で見つけた駄菓子屋さんでおかしをまとめて買ってくれたり、河原を見つけて、そこで水切りもやりました。途中で調子に乗って崖から落ちそうになったり、飛び去る鳥さんを追いかけて、転んでしまったり、お兄さんが「眠い」と言い始めて、そのまま何時間もいびきをかきながらお昼寝したり。まるで子どもみたいでした。校長先生ほどではないですが、お兄さんのことをくーちゃんとハナちゃんは信頼していました。格好つける大人より、格好悪いくらいの方が、くーちゃんにはちょうどいいんです。

夜には、お兄さんが枝を組み合わせて、鹿のミニチュア模型を作ってくれました。ハナちゃんは、模型をキラキラした目でじっと見つめます。その時くーちゃんは。いえ、くーちゃんだけじゃないです。きっとハナちゃんも、トンネルのことを忘れてました。それほどお兄さんの作る鹿には、エネルギーがこもっていたんです。

「明日の昼過ぎくらいには、きっと海につく」

 少しだけさみしそうに、お兄さんは言いました。お気楽なお兄さんがくーちゃんにとって、見慣れた姿だったので、少しだけ変な気分でした。明るい人ほど、センチメンタルだったりするものです。

「くーちゃん、ハナちゃんよ。俺はあんたらを応援してるぜ」

 くーちゃんは、別にお兄さんにトンネルの話はしてません。お兄さんはそんなことを説明しなくても、気にする人じゃなかったので。それにお兄さんも、自分の話をあまりしたがらなかったので。きっと同じようにお兄さんも、なにかを抱えてたのかもしれません。だから、くーちゃんは言いました。

「とても楽しかったです」

 素直に感じたこと、そのまま伝えました。

「俺もだよ。だからさ、あんたらさ」

 そう言ってお兄さんは、くーちゃんとハナちゃんの頭にポンと触れます。土で汚れた手でしたが、とても温かかったです。くーちゃんも、たぶんハナちゃんも、お兄さんの手が好きでした。運転する手、お菓子、食べる手、頭、撫でる手。とても、優しい手です。

「続けろよ」

 くーちゃんとハナちゃんは頷きました。星と月がきれいな夜でした。

そして、お兄さんとの、最後の車中泊は終わりました。

次の日、くーちゃんたちの軽トラが走り続けてると、ほのかに潮の香りが漂ってきました。魚が腐ったような、少し生臭い感じ。くーちゃんは、この匂いが好きでした。ハナちゃんも、少しだけ懐かしそうな顔を浮かべました。

「ハナちゃん、海、好きですか?」

「……うん」

「いいとこです。ここで、ハナちゃん、生まれ育ったですね」

「……うん」

ハナちゃんは頷きます。想定よりかなり時間はかかりましたが、トンネルはきっと逃げません。長旅で体がもつかの問題ですが、ハナちゃんはお菓子を食べて飢えをしのげてたので大丈夫です。くーちゃんはなぜかお腹が減ってないので食べてませんが。

そして、くーちゃんたちがたどりついたのは、人気のない、砂利の多い浜辺です。こんな肌寒い時期の昼下がりに、遊びに来るような海じゃありません。

「海だ。母なる海。ここだ、ここなら、きっと」

 お兄さんは、鹿さんの素材になる木材を集めるため、砂浜に颯爽と繰り出しました。くーちゃんたちとあんなに長く旅をしたとゆうのに、走り出してしまうんです。お兄さんらしいといえばお兄さんらしいですし、最後のあいさつは昨日の夜、済ませたと思ったので、ここでさよならでも、お兄さんとくーちゃんたちらしい。そう思いました。

けれど、その時ハナちゃんが、急にダッと走り出しました。なんと、お兄さんの後を走って追いかけてたんです。そして、息を切らしながら追いついたハナちゃんは、お兄さんの服のすそを、ぎゅっとつまみました。

 山でくーちゃんが、夜中に出発しようとしたとき、ハナちゃんが服のすそをつかんできたのを思い出しました。

 お兄さんはハナちゃんの方に気づいて、振り返りました。

「どうした? 運転荒かったクレームか? それとも時間がかかりすぎたか?」

ハナちゃんは、ぶんぶんと首を横に振ります。くーちゃんは、一瞬だけこんなことを考えました。ハナちゃんは、確かにあのトンネルの絵を描いてくれました。くーちゃんの世界を、きっと理解してくれています。だから、一緒にトンネルを探してほしかったです。でも、お兄さんとの時間が楽しかったのなら、お兄さんのところに行ってくれてもいいんじゃないかって。そんなことを考えていました。

「ありがとうな」

ハナちゃんが何か言おうとする前に、お兄さんは言いました。ハナちゃんの、何かを伝えたい気持ちは、くーちゃんの胸の奥に流れ込んでくる時があります。トンネルでいるときの感覚に、少しだけ似てました。お兄さんも、ハナちゃんの思いを。大きくて、温かくて、優しい何かを、受け取ったのかもしれません。

 ハナちゃんも深く頷きます。時間が止まったみたいでした。

お兄さんは、ハナちゃんの頭を優しくなでた後、手を振りながら、浜辺の向こう側へ消えてゆきました。ハナちゃんは、そんなお兄さんの背中が小さくなるまで見送ってました。

「よかったですか? ここでさよならして」

「うん」

 ハナちゃんはしっかりと頷きました。

「続けるって、言ったから」

 ハナちゃんの言葉は、ゆっくりで、とても小さいです。でも、しっかりとくーちゃんの耳まで届きました。ハナちゃんなしの旅も覚悟してたのですが、やはり旅には頼もしい仲間が必要です。くーちゃんには勢いはありますが、詰めが甘いので、ハナちゃんのようなスーパーアドバイザーには、いてほしいです。

 お兄さんの離脱にさみしくもなりましたが、センチメンタルな気分になってばかりもいけません。くーちゃんたちの旅は、全然終わってないですから。なのでくーちゃんは切り替えて、海の向こうの島、探すことにしました。

 名前のない小さな島があると思われる方向に、じっくりと目を凝らしていると、海の向こう側に、それは見えたんです。

「あれです!」

くーちゃんは鞄から地図帳を取り出します。方向、距離、大きさからも、例の名もなき小さな島と、完全に一致しました。あの大きさなら、人もいないか、ほとんど住んでいないかのどちらかです。通報される心配もないでしょう。心置きなく、トンネルの向こう側が目指せます。

「ついにです。きっとハナちゃんが描いてくれたトンネルがあるのは、あの島なんです」

 ハナちゃんは、くーちゃんの言葉に特に何も返さず、あたりをきょろきょろと見渡してます。

「どうしたですか、ハナちゃん。トイレですか?」

「ト、トイレも、だけど、それ、より」

 トンネルより大きな問題がありました。

「行き方、ない、たしか、あの島」

 トイレ問題は、近くのコンビニで店員さんの目を盗んだすきにサッと行くことで解決しました。捜索願がこんなところまでは届いてる可能性は低いかもですが、薄汚れてる女子中学生二人が店員さんに見られたら、通報される可能性はあります。くーちゃんたちの旅が、こんなところで終わってしまうのは、避けたいです。

 何はともあれ、ハナちゃんの言ってくれた問題について考える必要がありました。

 ハナちゃんの言う通り、近くにフェリー乗り場らしきものは見当たりません。本格的に交通手段のない島に、くーちゃんたちは当たりをつけてしまいました。まあ、名前が地図に載ってないんですから、当然かもしれませんが。何にせよフェリーを選んでしまえば、お風呂に数日入ってないぼろぼろの女子中学生客が乗ることになるので、こちらも通報案件です。なので、ちょうどよかったかもしれません。くーちゃんたち、この旅を始めてからよいことづくめです。

 では、どうするか。くーちゃんは考えるために、ぼんやりと砂浜を見つめます。その時、くーちゃんは天才的な頭脳で、またひらめいてしまいました。

「簡単です、ハナちゃん」

「……え」

 ハナちゃんがまた不安そうな顔を浮かべました。くーちゃんはこの旅を始めてからよいことづくめと言いましたが、ハナちゃんにとっては、心臓に悪い提案ばかりでした。なので、そういう顔を何度となく浮かべても、仕方ないかもしれません。

 そして、くーちゃんはハナちゃんに天才的なアイデアを伝えます。

 くーちゃんの言葉にハナちゃんは、軽トラに乗った時の何倍も、青い顔を浮かべました。

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