TRACK2 校長先生


 でも、植物さんたちのことを嫌いになったわけじゃないです。


 とある放課後のお話をしましょう。


 良くも悪くも、いろいろなきっかけになりました。

 校門の近くで、アスファルトの隙間からタンポポさんが顔をのぞかせていたです。 その時、くーちゃんの周りに人がいないかどうか、確認しました。植物さんと出会う時、少しだけ悩むんです。こっそり、手を振ったりしていいのかなって。そのころには、ずいぶんと長い間、植物さんたちとのお話をやめてました。だから、不安になるんです。手なんか振ったら、今までお話してなかったのはなんだったのって、詰め寄られたら、どうしようって思っちゃうんです。それが怖くてくーちゃんは、手を上げては、下ろすをくりかえして、結局最後には、手を振ることをあきらめるんです。

「おや」

 悩んでいる間に、人が近づいてきてたの、くーちゃんは気が付きませんでした。

 くーちゃんは、またくーちゃんがふつうじゃない、変、きもちわるい、病気なんて言われるんじゃないかと思ったんです。怖くて振り返ることができませんでした。今すぐ走って逃げてもよかったんです。でも走って逃げるとまた普通じゃない気がして、くーちゃんは何もできず、固まってしまいました。

「天野さん、ですよね」

 それは、知ってる声でした。声の正体は、校長先生です。体育館で、いつも聞いていた、低くて、ゆっくりな喋り方です。くーちゃんの喋るペースと、少しだけ似てたので、聞き取りやすかったのを覚えてます。

「こ、んに、ちは」

 落ち着いて挨拶をしようとしても、心臓がバクバク動きすぎて、喉と脳みそがいうことをきいてくれないんです。どうか、このまま何事もなくどこか行ってください。くーちゃんの変なところを見ないでください。聞かないでください。心の中で何度も何度も唱えました。

「お花、好きですか?」

 柔らかくて、優しい口調でした。くーちゃんに対して、ああしてやろうとか、こうしてやろうとか、そういう気持ちは感じなかったです。心が落ち着いたからでしょうか。心臓の音は、ゆっくりになっていきました。

「す、すき、です」

 緊張して声は上ずってしまいましたが、なんとか言えました。

「そうですか、それはいい」

 いい。とても安心する言葉でした。だめ、ちがう、おかしいの冷たさとは違って、とても大きくて、温かくて、優しい感じがします。くーちゃんの呼吸が整うと、後ろを振り向く余裕ができました。優しい言葉を使う校長先生となら、少しだけお話できる気がしたんです。校長先生は両手にたくさんのパンジーさんとか、チューリップさんとか、いろいろなお花さんの生えた黒い小さな入れ物を持ってました。その入れ物、なんて名前でしたっけ。ほら、ありませんか? プリンぐらいのカップ。土がつまってて、底に穴が開いてるあれです。

「いっぱいです! いっぱい、お花さん!」

 他人と合わせる必要、その時にはなかったので、久しぶりに正直な感想が伝えられました。きっと、お花さんにも、校長先生にも、そうしたほうがよい気がしたんです。嘘だらけの毎日に、久しぶりに本物の光が差し込んだんです。

「はい。お花さんです。たくさんです。よかったら、手伝ってもらってもいいですか?」

 校長先生の両手いっぱいのお花さんをくーちゃんは、二つ持つことにしました。二つ持つだけで、少しでも助けになると思ったんです。久しぶりに植物さんを身近に感じられて幸せでした。

「では、行きましょう」

「どこ、行くですか?」

「校長先生の秘密の場所ですよ」

 校長先生、いたずらっぽく笑いました。

 校長先生と、くーちゃんは、体育館裏へ向かいます。道中はじめじめしてて、辺りには苔とか雑草さんとかいろいろ生えてて、森の奥に向かってるみたいでした。体育館の裏につくと、そこには大きな切り株がありました。学校にある椅子を、倍以上、大きくしたような、切り株さんです。

「つい、昨日切りました。ずいぶんと、伸びてましたからね」

 校長先生はそう言いました。くーちゃんが切り株さんを見ているのに気づいたんでしょうね。あと、校長先生はきっとこの後、お花を一緒に植えるつもりだったのでしょう。手伝ってくれと言っていたので。くーちゃんもお花さんが大好きなので、ぜひともそうしたかったです。

でも、無理でした。

 切り株さんを見たとき、くーちゃんは、さみしくてたまらなくなったんです。なんだか、とても大切なお友達と、お別れした気分でした。両手に持っていたお花を地面に置いて、くーちゃんは切り株さんのところへ行きました。切り株さんの切れた面を、手でそっとなでます。つるつるしている断面は、まるで氷みたいでした。くーちゃんは、切り株さんの切り口に、顔をくっつけました。とても近い距離で、鼻の中に木の優しい香りが入ってきます。息を吸って、吐きました。

 こんなことはもうやめようって、思ってたはずなんです。あの嫌な大きな声、また聞こえてきます。変だ、やめろ、気持ちが悪いぞ。みたいな感じです。

 でも、声なんか気にしていられませんでした。なにかが流れ込んでくる感じがして、そのなにかと、ちゃんと向き合いたかったんです。

「天野さん?」

 たくさんの嫌な声が、校長先生の言葉で一気に消えていきました。校長先生に、お返事してもよかったんですけど、この時くーちゃんは、それどころじゃありませんでした。目を閉じて、切られてしまった切り株さんの奥に、くーちゃんは沈んでゆきます。とても、暗くて、静かな場所です。ずいぶんと久しぶりのトンネルでした。じっと耳を澄ませていると、色んな声がきこえてきました。

 とても小さな声で、消えてしまいそうでした。

 だからくーちゃんは、もっともっと、耳を澄ませます。

 微かに聞こえたそれは、人の声でした。

 子どもたちの声でした。

 たくさんの笑い声でした。

 時には、喧嘩をする声も聞こえてきました。

 時には、誰かが悲しんでいる声も聞こえてきました。

 ビデオの早回しみたいに、声はどんどん過ぎ去っていきます。暗くて静かな不思議な世界に、微かに温もりの名残があったんです。

 でも、この方はもういません。切られてしまったんです。生きている植物さんが伝えてくれる、音や息吹がありませんでした。

「おはなし、したかったです」

 くーちゃんは言いました。

「おはなし、ですか?」

 校長先生はきき返します。どういうことなのか説明するより前に、トンネルにいるくーちゃんの胸の奥に、すごくすごく、熱い何かが流れ込んできます。でも、嫌な熱さじゃなかったです。まるで、ありがとう、ありがとうって、言われてるみたいでした。

「校長先生」

「はい」

「喋りたいことがあります」

「どうぞ」

「もしかして、お友達だったですか?」

「お友達?」

「お友達、だったんじゃ、ないですか?」

 そのお話に根拠はありません。切られた切り株さんが、校長先生との思い出を事細かに言っていたわけじゃありません。でも、少なくとも切り株さんは、この学校の生徒たちや先生のことが、好きだったんじゃないかと思いました。

「そうかも、しれません」

 校長先生はそう言って、ゆっくりと言葉を続けてくれました。

「……私の、一方的な思いかもしれませんが。私は、この木を大切な友達だと、思っていました。子どものころから生えていた木は、私の、大切な友達でした」

「お友達です。校長先生のこと、この方、大切なお友達と、感じてました」

 くーちゃんは、そう言いました。

「なぜ、そう、思うんですか?」

「……ごめんなさい」

 くーちゃんは、校長先生の質問に答えられず、切られた切り株さんに、謝りました。こんなに素敵な方とお友達になれたかもしれないのに。くーちゃんは植物さんとのお話をやめてたんです。耳をふさいで、目を閉じて、『ふつうの子』を目指してたんです。

「ごめんなさい」

くーちゃんはもう一度謝ります。もう生きてないのに。聴こえているはずないのに。でも、言いたくなったんです。

「ずっと無視して、ごめんなさい。くーちゃんは、くーちゃんは、ふつうじゃないと、だめなんだって、思ってたです。でも、無理です。聞こえないふりするの『ふつうの子』なら、くーちゃんは、『ふつうの子』じゃなくて、いいです」

 くーちゃんは、ずっと我慢していた涙を流していました。泣くと周りの人たちが、心配してくるので、泣くのは好きじゃなかったです。でも、この日くらい泣いてもいい気がして、泣いてました。

 くーちゃんが意識をトンネルにゆだねてると、たくさんの、音が飛び込んできました。他の植物さんとも、つながりができたのかもしれません。その音は、歌みたいでした。きっと、切り株さんへ、植えられたお花さんたちが歌ってくれたのかもしれません。

 変だと思われてもよかったです。お花さんたちが歌っているんだから。くーちゃんだって歌ってもよいと、思いました。

 だから、歌いました。

 口からでる歌が人の言葉じゃなくても、音程なんてめちゃめちゃでも、頭がおかしい、ふつうじゃないって思われても、関係ないです。お友達のための歌があるのなら、歌わない方がきっと普通じゃありませんから。

 ひとしきり歌い終わったころには、あたりはすっかり暗くなっていました。くーちゃんはずいぶんと長い間歌ってたみたいで、切り株さんに寝ころんだまま、のどはカラカラになってました。

校長先生は、寝転ぶくーちゃんの近くに腰掛けていました。ほんのり赤みがかった空がきれいで、くーちゃんは、それをぼんやり見上げてたんです。

「ありがとう、ございます」

 校長先生は鼻をすすったあと、くーちゃんの方へ体を向けて、深く頭を下げました。大人の人に頭を下げられるのって、なんだか不思議な気分ですね。

「変な歌じゃ、ないですか?」

「何を言っているんですか。あなたにしか歌えない。才能です。これは、あなたにしかできない、すごいことです」

 校長先生はにこりと笑います。初めて、くーちゃんのことをわかってくれた。そう感じました。

「くーちゃん、歌っても、よいんですかね。トンネル感じて、よいんですかね」

「いいに決まってるじゃないですか。あなたは、素晴らしい生徒です。その才能を、絶対に私は、いや。この学校は無駄にしません。約束します」

 その約束が、くーちゃんの未来を大きく変えてしまったんです。

 いや、もしかしたらくーちゃんがこの日、校長先生に会わなかったら、いつまでもいつまでも、普通の子の真似をしてたかもしれません。

 何はともあれ、くーちゃんは、久しぶりにトンネルに入った余韻に浸りながら、ゆったりゆったり、お家に向かいました。

「ただいまです」

「おかえり」

 いつも通りお母さんは出迎えた後、くーちゃんの顔をじっと見つめました。

「何かいいことあった?」

 突然の問いかけでした。くーちゃんは、今までお母さんを悲しませないため、みんなが見てるテレビを見て、笑ってたり、学校の友達の話をできる限りがんばって思い出して、話してました。でも、今日のお母さんには、そんな話をする前に、何かが伝わってしまったみたいです。

「くーちゃん、毎日、楽しいです」

 くーちゃんは、そう誤魔化しました。お母さんに、言うかどうか、とても、迷いました。いつもと違う、普通じゃない放課後だったので。

「そうなの? なんか今日は特に楽しそうな顔してるから」

もしかしたら、もともと普通じゃないくーちゃんが、普通であろうとするのは、変だったのかもしれません。慣れないことは、しない方がよいのかもしれません。

 結局、なんて返事をしたかは忘れました。きっとお母さんも忘れてます。でも、それでよいんです。忘れることも大切なんです。

 その日の夜は、久しぶりによく眠れました。毎日夜眠るとき、今日のあの言葉はこれでよかったのかなとか。あの時のくーちゃん、変なことしてないかなとか。そんな心配ばかりしていて、なかなか眠れなかったので。だから、久しぶりに朝までぐっすりだったんです。

 問題は、その次の日です。問題と言ってよいのかどうか、正直わかりません。誰も、何も悪くないことだったので。

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