6

「――生徒会から通達だ。やはり部長の交代は認められなかった。ただし同好会の立ち上げについては許可を取ってある。条件は、名称を『演劇同好会』以外にすること。観劇同好会でも、英語劇同好会でも、ミュージカル同好会でも、なんでもいい。実質的に活動内容がかぶっても、問題はないそうだ」澱みない調子でそう説明したあと、楠原さんは席を立ち、緒賀さんの机に用紙を置いた。「団体名とメンバーの名前だけ書けばいいようにしてある。いま預かれるなら、週明けには活動開始できるよう処理する」

 緒賀さんが苦虫を噛み潰したような表情でいるのを、澤城さんはさも当然という顔をして眺めていた。「分かったでしょ? さっさとサインして、演劇部から消えて。連れていきたい子がいれば、好きに連れていけば? 一年の、やたらおどおどした――真野っていったっけ、あの子なんかいいんじゃない?」

「君は真野さんを買ってたんじゃないのか」

「まあね。根性はあるし、私好みの脚本を書いてはくれるから、便利だなあとは思ってるけど。でもけっきょくね、演劇部の主役は私なの。脚本家の代わりなんかいくらでも見つかる。どうか書かせてくださいって頭下げてくる奴がいくらでもいる。あんたみたいな凡人がどれだけ騒いだって、お客を熱狂させるものは作れない。私がただ立ってるだけで浴びられる喝采を、あんたたちは一生かかっても得られない」

 放課後の生徒会室だ。奥に楠原さんと目黒さん、左右向かい合わせに澤城さんと緒賀さんの席がある。ちょうど裁判所のような配置である。私たちは手前の壁際、すなわち傍聴席に当たる場所に椅子を並べて座っている。立ち会い、必要なら意見を述べてほしいと、事前に緒賀さんと目黒さんから頼まれていた。

 まるで緊張感を欠いた琉夏さんの様子に、議長の楠原さんはひどく不快そうだった。私たちの同席にも内心納得していないのだろう。なぜこいつらが、という視線を痛烈に感じる。

 長考ののち、緒賀さんは用紙から顔を上げて、「学校側の決定は分かった。不本意だけど従うよ。だけど俺たちにも権利を主張させてほしい。イベントでの発表枠の確保をお願いしたい。演劇部と等分で」

「はあ?」とすぐさま澤城さんが声を荒げた。「同好会は同好会でしょ。正規の部活動が優先されるのが当たり前。発表したければ学外でやって。フットワークの軽さが同好会の取柄なんだから」

「澤城。次に相手への敬意を欠いた発言をしたら、即座に退出させる」鋭い口調で楠原さんが警告する。本気で怒っているようだ。無理もない。

「はいはい。今更なんだけど、文芸部の連中はなんなの? 生徒会の会議って見物人を受け入れてるわけ?」

「ふたりは証人です」これまで沈黙を保っていた目黒さんが口を開いた。「文芸部の証言ひとつで決定が覆ることは、おそらくないです。でも今後の行動を決めるにあたって、ここにいる全員が知っておいて損はない情報を、倉嶌さんたちは持ってる。だから聞かせてくれないかな、文芸部の推理を」

 私が背中を叩くと、琉夏さんは大儀そうに立ち上がった。前方へと進み出て、演劇部と生徒会の面々を順に眺め渡して、

「まず私は、演劇部が分裂しようがしなかろうがどっちでもいい。なんならボクシングでもして決着を付ければって立場。気付いたことを喋れって言われたから、ここにいるだけ。そして私の話には憶測も多分に含まれる」

「くだらない。早くしてよ」澤城さんが腕組みしてそっぽを向く。「さっさと始めて、終わって」

「今回の発端は、演劇部副部長が部長の弾劾を求めたこと。議事録にはそう記載されて、そう処理される案件。実際の首謀者は別にいて、緒賀の陰に隠れてるんじゃないかって疑ってる人もいるみたいだけど、正直私としては、それはどうでもいいと思ってるんだよね。澤城に部長の適正はなかった。クーデターは起こるべくして起きた。大事なのはそれだけ」

 澤城さんは琉夏さんを睨み、嘲るように、「で? けっきょく反乱は失敗して、私に逆らった人間は演劇部を去る。無能なのはどっち?」

「あんたが部長としていかに無能なのかは、これから端的に教えてあげるよ。ただ腹立たしいことに、演劇人としては百パーセント無能ではないっぽいんだよね。大道具や小道具、脚本に対しても、あんたはただいちゃもんを付けてきたわけじゃない。ある理由があったんだよ」

「どんな」と緒賀さん。「コミュニケーション不全だったって言うの? あれが?」

「そこが澤城の澤城たる所以なんだよね。明確な意図があるにも関わらず、部員たちに上手く指示できない。出来上がってきたものに文句を付けるしかない。しかもその意図ってのは、作品ごとに異なった事細かなもんではないんだよ。たった一個。すべての作品に通底させたいコンセプトを、澤城は伝え損なってきた。それは――万人が楽しめる作品にすること」

「いや、待って。そんなの言われるまでもなく、演劇部全員が承知してる。俺たちは観客のために、常に全力を尽くしてきた。観に来てくれる人たちを、なにより大事にしてきたんだ」

「ストップ」琉夏さんが片手を挙げて制する。「その通りなんだよ。演劇部は観客のことだけを考えてる――観に来る人のことしか考えてない。澤城だけがそこに気付いてた。小道具も衣装も、色に意味を持たせる画面構成も、ぜんぶ視覚でしか認識できないって」

 はっとした。澤城さんが取り入れたがった演出を、私はひとつずつ思い返していた。科白による説明は聴覚。客席まで下りてのハイタッチは触覚――。「でも部長。だとしたらひとつ納得いかない点が。色の演出、オッケーが出たのもあったって真野さん言ってましたよね?」

「色覚異常だよ」とすぐさま返事がかえってきた。「緑の草地に赤い花。青い服と紫の服。どっちも赤緑色覚異常には区別しにくい組み合わせなの。皐月、澤城が女の子と歩いてるのを見たって言ってたよね。ふたりともお揃いのサングラスで」

 振り返って確認してきた琉夏さんに頷いてみせると、彼女は正面に向き直って、

「その子がそうなのか、あるいは目の不自由な身内がいるから色覚異常についても知ってたのかは、私には分からない。もしかしたら視覚が過敏で、サングラスが手放せない子なのかもしれないね。小さい頃ってさ、周りと少しでも違うのが厭だったりしたっけ。もしサングラスで幼稚園や小学校生活を送らなきゃならないとしたら、相当なストレスだろうね。でも身近に、同じサングラス姿で堂々としてる奴がいたら? 周りの誰にも屈しない、我が道を突き進む奴がいたら? その子は勇気を貰えるかもしれない。別に恥ずかしがる必要はない、自分は特別なお姉さんと一緒なんだって、自分も美しいんだって信じられるかもしれない。もしそんなふうに慕ってもらえるなら、その子が喜ぶ舞台を作りたくなるのも理解できるよ。理想は高邁だね。でも悲しいことに澤城、あんたは無能だった。無能さゆえに、周りの大勢を傷つけた。私が許しがたいのはそこだよ」

 生徒会室は沈黙に包まれ、目黒さんも緒賀さんも、あの楠原さんでさえもが俯いて、身じろぎもしなかった。顔を上げていたのはただひとり、澤城さんだけだった。

「あれは従姉妹」と彼女は静寂を破った。「私の舞台にはいつも来てくれるの。目を開けてるのが本当は苦しい、でもどうせ苦しいなら円ちゃんを見ていたいって。円ちゃんが世界でいちばん綺麗な人だからって」

 その声音は震えがちだったけれど、聞き取りづらい点はまったくと言っていいほどなかった。語られているのが紛れもない真実だと信じられたおかげかもしれない。私は今更のように感じ入っていたのだ――この人は美しいと。

「動機がどうであれ、君が俺たちにしてきたことは変わらない。俺は演劇部を辞めるよ」いつの間にか立ち上がっていた緒賀さんが、澤城さんを見据えて告げる。彼らしく穏やかな、しかし明瞭な口調で、「でもそれは、最後の作品を完成させてからだ。『バイバイ、ビューティフル』を最高のものにしよう、俺たちみんなで」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る