再会

 姉の働いている鼬の店はおかしら屋といって、日本橋の人形町通りにある。蛇長屋からだと、歩いて半刻ちょっとと言ったところか。

 姉が何故、鼬の中に紛れて働く事にしたのかは分からない。自分の能力を過信したのか、はたまた多種族との交流を命じられたか。どちらにしても選んだのは自分である。

 他の種族を受け入れる奴らは数少ない。自分たちで纏まっていた方が安心なのだろう。

「やっぱり心配かい?」

 黙りこくっている私に、蔵之介が聞く。

「まさか。自業自得だと思っているわ」

「はぇ、姉妹ってそんなもんかねぇ」

「そんなものよ。うちは特にね。私、姉の事は大嫌いだもの」

 というより、許せない。幼い私に八つ当たりをして傷つけたり壊したり怒鳴ったり、許せる訳がない。それでも助けに行こうというのだから、本当に私は馬鹿なのだろう。

「姉妹ってのはおっかねぇな。俺にはいないから分からないがね。ほら、見えてきたぜ。あそこの店だよ」

 そこはなかなかの大店で、看板も大きく立派なものだった。今日は休みなのかお客はいないようだったけれど、店の前には数人の奉公人が掃除道具を持ってうろついている。その中には姉の姿もあった。

 姉は女たちに囲まれると、その中の一人に桶の水を頭からかけられた。こんな冬の朝に寒いだろうに、姉は身じろぎ一つせず水を滴らせたままでいる。

 姉のまるで堪えていない様子に腹が立ったのか、また別の女は箒を押し付けた。それから塵取りの中身を姉の頭の上でぶちまけた。

 女たちはひとしきり笑うと、店の中に入っていった。

 これには、さすがに雪平も蔵之介も言葉がなかったようだった。二人は黙ったまま、私の肩に手を置いた。

 私と言えば、意外とスッキリしないものだなと驚いていた。

 姉に水に沈められた事もあった。代わりに掃除をしろと怒鳴りつけられた事もあった。因果応報とはこういう時に使う言葉なのだろう。それなのに、スッキリしないのだ。

 さっぱり理由が分からなかった。

 しばらく見ていると、姉がこちらに気付いた。姉は初め目を見開いたが、だんだんと般若のような顔になり、私を睨みつける。

 仕方なく、私は姉に歩み寄った。

「嬉しいんでしょう? あんたってそういう子だもんね。笑うんじゃないよ。グズの分際で」

「笑ってないでしょう」

 まただ。姉を前にすると言葉が出なくなる。怖いのだ。言いたい事はたくさんあるのに、言い返せない事が腹立たしい。いつもこうだった。

 変わったと思っていたのに、姉を前にすると私はまたこうなのか。腹立たしさは次第に自分自身へと向けられていった。

 私は背負ってきた風呂敷包みの中から手拭いを取り出して差し出した。

 姉はそれを奪い取ると「あんたのそういうところが腹が立つ」と叫んだ。

 なんだ、私たちは腹を立てあっていたのか。そう思うと、ふと笑いが漏れた。

「やっぱり笑ってるじゃない! あぁ、腹が立つ! あんたなんて一人じゃ何にもできない癖して、私の事を馬鹿にするんじゃないわよ!」

「馬鹿になんてしてないよ」

 店の中から、女たちは怒鳴り声をあげる姉を見て笑っていた。水浸しでごみ屑まみれの姉が怒るのを、本当に楽しそうに笑っていた。

 それを見ていると、スッキリしない理由も何となく分かった気がする。私はあそこまで性格ねじ曲がっていないものな、と。つまり、同情してしまうのだ。こんな女にさえも。

「何しに来たのよ!」

「仕事。店主はどこ?」

「勝手に探せば!」

 そう怒鳴ると、姉は店の中へ行ってしまった。いつまでも水浸しじゃいられないものな、なんて他人事のように思いながらも、今さらながら理不尽に怒鳴られた事に腹が立ってきた。あんなもの、ただの八つ当たりじゃないか。

「大丈夫かい?」

 雪平が顔を覗き込む。

「大丈夫よ。慣れているもの」

 そこへ、さっきの女たちの輪の中にはいなかった別の女が近寄ってきた。

「ねぇ、あなた、おくのちゃんの知り合い?」

「妹よ」

「まぁ。じゃあ、あなたも蛇なのね。私はおくのちゃんのお友達なの。それなのに何もできなくて、本当に悔しいわ」

「そう」

 それなら割って入りでもすればいいのにと思いながら、私は話の続きを聞いた。

「蔵之介さんがいるって事は、事件の話を聞いてきたの?」

「そうよ。姉がそんな失敗する訳ないもの」

「そう……。私もね、おくのちゃんがそんな事をするなんて思えないのよ」

 そこへ、雪平が話に割って入る。

「僕は謎解き屋ってのをやっていてね、それで調べさせてもらいたいんだ。ちょっと話を聞かせてもらえないかな?」

「あら、頼もしいわね。いいわ。私はおそのよ。おくのちゃんは通いなの。両国橋の所の米沢町から来ていてね、だからここには部屋もないのよ。盗んでも隠す場所がないって事よ」

 でも、とおそのは考えるそぶりをする。

「元から私たちの中で浮いちゃっていてね、一人でいる事が多かったのよ。だからどうって事じゃないんだけれどね」

「金の置物の事は、そういうのがあるってのは皆が知っていたのかい?」

「もちろんよ。店主の清三郎さんが皆に自慢していたもの」

 その時、店の奥から笑い声が轟いた。また姉が何かされているのだろう。私は、いやに冷静にそう思っていた。

「前はこれほど酷くなかったんだ。事件の事で疑われてから急に……」

 蔵之介は言い難そうに俯く。

 そんな中で一人でも友人がいるというのは、やはり姉の器用さゆえだと思った。

「ご両親も気付いているでしょうに、何を考えているのかしらね」

 おそのは眉根を寄せる。

「何かおくのさんが犯人だという証拠が挙がったという訳ではないんだな?」

「それは、何もなかったと思うわ。そうじゃないという証拠もないのだけれどね。多種族が一人だけ混ざっていれば、疑うのは仕方がないかもしれないわね」

「反物も無くなっていると聞いたが、どんなものだった?」

「どれも高級な物よ。それが一つずつ無くなっていくの。私は誰かが注文を間違えているんじゃないかと思っているのだけれどね」

「初めから無かったと?」

「それなら見つからないのは当然でしょ?」

「だが……」

 雪平は納得がいかないようで、顎を撫でている。

「おくのさんは毎日来ているのかい?」

「そうよ。あの子、真面目だもの。休みの日だってすすんで掃除に来るぐらいよ」

「そうかい。ありがとう。ちゃんと調べたいから店主の清三郎さんと話したいんだが、会えないかな?」

「さぁ、どうかしらね」

 おそのはそう答えるが、蔵之介がサッと「呼んできます」と行ってしまった。

 その時の、口をへの字にしたおそのが気になったが、すぐに店主がやって来たので考える前に忘れてしまった。

 店主の清三郎はポコッと下っ腹の出た糸目の狐顔で、いかにもずる賢い鼬らしい見た目であった。

「なんだって、謎解き屋だって?」

「はい。実績は十分あります。お化け屋敷やら、失せ物、誘拐、獣の死体の謎まで何でも解決してきました」

「しかしなぁ、蛇なんだろう?」

「僕は人間です」

「な、何だって⁉ な、人間だって⁉」

「はい。そして、こちらの蛇の夫です」

 また雪平の悪い癖が出た。黙っていろと言うのに黙れないのだ。

「お、お、お」

 清三郎は餌を待つ鯉のような口で言った。

「ですから、安心してお任せください」

 雪平は丁寧に頭を下げるが、清三郎は後ずさりしたままだ。しかし、しばらくすると呼吸を整えて咳払いをする。

「つまり、あの支配的で強欲な蛇の、その頭に夫だと認められたわけか」

「あの人が頭かどうかは知りませんが、まぁ、そうですね」

「ならば良し。おぬしに任そうではないか。今回の一件を無事に解決し、金の置物を取り戻してくれ、謎解き屋」

「かしこまりました。つきましては店の中を見せていただきたいのですが」

「いいだろう。付いてこい。今日は臨時休業にしたからな」

 清三郎は「仕事どころではないわ」と溜息を吐いて歩いて行った。私も、もう仕事の顔をしている雪平のその後に続く。


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