一人の夜
私は雪平と喧嘩をしたその足で、例の河原に来ていた。囮である。なので蛇の姿でとぐろを巻いているわけだが、さすがに冬の河原は冷える。
私はぶるっと身震いをして、星空を見上げる。星空というのは、こんなに寂しいものだったか。いや、星は満天と言わんばかりに散りばめられているのだが。
心が晴れないのはやはり、初めての喧嘩のせいだろう。
しかし、謝る気はない。悪いのは雪平ではないか。そう思って疑わなかったのは最初だけで、時が経つにつれて後悔もわいてきた。
蛇と人間は違うのだ。善悪が違って当然なのだ。そんな事は分かっている。まして化け者の子蛇なんて、子蛇とは思わない大きさをしている。
そうだとしても、あの様子を見てからあの人たちは悪くないなんて言われると、反抗もしたくなってしまうのだ。確かに短絡的だったと思わなくもないが。
冬の夜風が私を責める。
やはり人と蛇は共にいられないのだろうか。そんな事を考えながら震えていた。
そうして、いつの間にか私は眠ってしまっていたようだった。
朝日に目を覚ますと、隣にはどてらを着込んだ雪平が座りながら眠っていた。
私は嬉しくて、思わず人の姿に戻って抱き着いた。すると驚いた雪平がひっくり返って「なんだ、なんだ」と慌てる。
「座ったまま眠るなんて器用ね」
「仕込まれたんだよ。それより、囮なんて真似はやめてくれよ。奥さん」
「ごめんなさい、旦那様」
「僕の言い方が悪かった。すまなかった」
「いいのよ。私が短気すぎたのよ。ちゃんと考えるべきだったわ」
晴れて仲直りしたところで、これからの事を話さなければならない。
「やっぱり私が囮になるわ」
「駄目だ。認められない」
「だって相手の顔が分からないのよ? 囮でも使うしかないじゃない」
「あの店にいた男の顔は見てきたぞ」
「本当にその人が来るって言えるの?」
私が聞くと、雪平は黙り込む。
「分かった。僕が守るから、囮を頼めるかい?」
「もちろんよ」
そんな話をしていると、昨日話を聞いた子蛇がやって来た。
私は慌ててしまって、その子に駆け寄って怒鳴りつける。
「何してるのよ! 来ちゃ駄目って言ったでしょう。約束も守れないの?」
すると子蛇はムッとして
「なんだよ。俺たちの遊びに口出すなよな! 今日は俺の番なんだ。俺だけ出来ないなんて言えるかよ」
「それでも帰るのよ! ここは危ないの。死んじゃうかもしれないのよ?」
そこまで言うと子蛇は少し怯んで「でも……」と呟く。
間の悪い事に、そこへ人間の声まで聞こえてきてしまった。
「ほら、人間が来たから逃げなさい。早く!」
そう訴えると、ようやく子蛇は逃げ出していった。私は茂みで蛇の姿になり、河原に出る。
雪平は木々の陰に隠れていた。
そうして人間たちの話を聞く。
「今日はどうだろうな?」
「さぁな。にしても良い仕事だよな」
「そうだよな。俺たちみたいな宿無しでも使ってくれるんだから、ありがたいよな」
やって来た男は二人で、宿無しというだけあって着物の裾はほつれて色褪せている。
一人は頬のこけたやせ型の男で、もう一人は体格の良い大柄な男で、二人はいかにも柄が悪そうであった。二人の背には竹籠が背負われている。
間違いない。そう思ったけれど、私は確かめるために二人にシャーッと威嚇をした。
「お、いたぞ。今日のはでかいな。こりゃいい金になりそうだ」
「間違いない。おい、捕まえるぞ」
「おう。そっち行ったぞ」
私は逃げ回りながら、何とか二人に噛みついてやろうと必死に近づいた。
雪平は陰から『やめろ、やめろ』と身振り手振りをしているが、一噛みくらいしないと気が済まない。
「おい。この蛇怒ってるぞ」
「そんな事は分かってる。だが蛇なんて、所詮は口元を抑えちまえば何もできないのさ」
大柄な男がニッと笑い、手を伸ばしてくる。
そこへ雪平が「待った、待った」と慌てた風にやって来た。
「なんだ、お前は」
「邪魔すんなよ。こっちは仕事してんだ」
男たちは憮然として問う。
「あっしはこの辺りに住んでる者なんですがね、この辺りの蛇を殺すのはやめた方がいい」
「なんだって? 俺たちは蛇を獲ってこいと言われてんだ。殺すなってのは無理な話だな」
大柄な男はシッシッと追い払うような仕草をする。どうやら、こっちの男の方が立場が上であるらしい。
「へい。ですから、他の所で獲られるといいかと」
「なんか理由があるのか? ここらはよく獲れるからいい仕事場なんだ。ろくでもない理由だったら許さねぇぞ」
男たちは匕首をちらつかせる。
「おぉ、おっかねぇや」
雪平は臆病な演技をして、わざと怯えて見せる。
「ですがね、ここら一帯は蛇神様の神域なんでさぁ。そんな所で蛇を殺すなんて真似はやめた方がいい。それはもう巨大な蛇でしてね」
「なんだって? 本当に蛇神様なんてのがいるってのか?」
「はい。ここらの者は全員よく知っております」
「お前、嘘を吐いているじゃねぇだろうな? 同業者か?」
「いえいえ。あっしは蛇なんて殺しませんよ。あんな恐ろしい事はもう御免です」
「あ、あんなって何があったんだよ」
大柄な男の声は震えていた。
「蛇神様が蛇を殺した人間を一飲みにしたところを見たんですよ。今思い返しても恐ろしくて仕方ない。とにかく、あっしは忠告しやしたからね」
大柄な男の方はもう今にも引き返そうと後ずさりしている。
問題は痩せた男の方だ。そっちの方は「どうせ、嘘だよ」などと大柄な男の耳元で囁いているのだ。おかげで、引き返そうとしていた男の方も背筋が伸びてしまった。
「へっ。忠告は聞いたぜ。しかし仕事は仕事だ。ほら、帰んな」
大柄な男は匕首をちらつかせながら言った。言う事を聞かなければやるぞ、という事だろう。許せない。そう思った私は男の足首にガブリと嚙みついた。
「このやろう!」
間抜けにも、私は男たちに捕まってしまった。
「その蛇は駄目だ!」
「お前、やっぱり同業者だな?」
「違う! そうじゃないが、その蛇だけは駄目なんだ。放せ!」
雪平は演技も忘れて叫ぶ。
そこへ、ズルズルと這いずるような音が聞こえてきた。パキッと枝が折れる音がしたかと思うと、茂みから大蛇が出てきた。
黒々と光を反射する、人だって一飲みにできそうな大蛇が。母だ。
母は驚く男たちの前を横切って、雪平の肩に乗った。
雪平はここぞとばかりにハッタリをかます。
「どうです。これが蛇神様ですよ。あぁ、いけない。娘を捕らえられて蛇神様は大層お怒りだ。だから駄目だと言ったのに」
雪平の肩の上で母がシャーッと大きな口を開けると、男たちは私を放り出して走って逃げ出してしまった。
「ありがとう、母さん」
「別に。たまたま見ていたら間抜けにも捕まったものだからね」
母さんは近くの茂みに行くと、人の姿になった。着物が置いてあったところを見ると、本当に近くにいたらしい。
私も人の姿になると、雪平は「娘さんを危ない目に遭わせてすみません」と頭を下げる。
「大事なら縛り付けておく事だね」
「そんなの嫌よ」
「私たちはそれしか守り方を知らないんだ」
母はもしかすると、ただ不器用なだけではなかっただろうか。そんな事を考えるようになったのは、雪平のおかげなのだった。
雪平が「事件の説明を」と言ったが「大体分かったからいらない」と言って母はお堂に帰って行ってしまった。
もう人間と夫婦になるな、なんて言わなかった。
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