救助

 普段から使っていないと、頭は大事な時に働いてくれない。私は、私を捕まえようとする平蔵の腕に噛みついてやるくらいの事しかできなかった。

 とはいえ私は毒蛇ではないし、体もそこまで大きくはない。たいした時間稼ぎにはならない。良かった事と言えば、雪平が放蕩者でなかった事。

 ちゃんとする事にこだわる平蔵は、条件に合わない雪平を殺さない。

 もう起き上がる力もないのか、雪平は倒れたまま荒い呼吸を繰り返す。

 仕方ない。私は人の姿になる決意をした。着物は申し訳ないが、雪平のものを借りよう。問題は脱がして着るだけの時間が与えられるか、という事だ。いや、男の人を担いで逃げるのは無理か。大体、ここがどこかも分からないのだ。

 私が悩んでいる間にあちらは、私を毒で黙らせる事に腹を決めたみたいで、蛇の姿を取る。

 あぁ、どうしてこんな事になってしまったのだろうか。私はただ平穏に人間として、いや、化け者として生きていけたらそれで良かったのに。私には夢もないのだから。

 平蔵はそれなりに長生きしている蛇だったらしく、大蛇とはいかないまでも人一人分くらいの長さはあった。鱗は艶のある黒で、こんな状況にもかかわらず美しいと思った。

 平蔵がシュルシュルと近づいてくる。牙から毒液が滴る。

 私は人間の姿にはなったものの、未だに素っ裸であった。このままでは逃げるに逃げられない。

 私はその辺にあったつっかえ棒で必死に応戦するが、決定打に欠ける。

「さぁ、おさくさん。お仕置きの時間ですよ」

 平蔵はチロチロと舌を出しながら言う。きっと笑っているのだろう。

「お仕置きを受けるのはあんたの方よ。同族殺しなんて……」

「同族なんかではありませんよ。あんな放蕩者たちと同族だなんて思いませんよ」

「話の通じない人は嫌いよ」

「私も嫌いです」

 こうなったら裸だろうが何だろうが走るしかないだろうか、そんな事を考え始めた頃、外から声が聞こえてきた。

「おーい! どこだい! おーい!」

 間違いなく蔵之介だった。

「ここよ! 蔵の中にいるの」

 蔵とはいっても木造りの簡単なものだ。すると、木戸が乱暴に破られた。現れたのは、首から大蛇をかけた蔵之介だった。

 呆気に取られているうちに、その大蛇は平蔵を捻り上げる。そして、首元に噛みついた。

 そして、その大蛇は言った。

「いつまでそんな格好してるんだい。何でもいいから早く着な」

「お、女将?」

「それ以外に誰がいるってんだい。まったく、手間をかけさせてくれるね」

「俺が呼びに行ったんだ。大変だったぜ、町中を大蛇を担いで走り抜けるなんて、人の目が痛いのなんのって。それに首が重くてよぉ」

 蔵之介は肩で息をしながら、自分の着物を脱いで差し出してくれた。私はその大きすぎる着物を着て、平蔵を見下ろす。

 すっかり気を失っているらしく、ピクリとも動かない。

 ならばと、私は雪平に駆け寄った。

 青い顔に脂汗を浮かべて、手足はぴくぴくと痙攣している。

「女将。雪平さんは助かる?」

「あぁ、問題ないさ。うちには蛇の医者がいるんだからね。蛇に治せない蛇毒はないよ」

「良かったぁ」

 すると雪平がうっすらと目を開け「ありがとう」と呟いた。

「ふん。あんたのために助けたわけじゃないさ。化け者殺しを捕まえる絶好の機会だったからね。それだけだよ」

 女将はそう人間の姿で言って、蔵之介が担いできた女将の着物を着て帰ってしまった。

 私に着物を貸してしまった蔵之介は今度、褌一丁で男を担いで町を歩くという事になり、また人々の奇異の目にさらされた。


女将が呼んでおいてくれた蛇医者のおかげで、雪平は三日もすれば動けるようになった。

「本当に危なかったんだからね。平蔵が自分の毒は命の危険はないなんて言っていたけれど、嘘だったわ。だってあんなに辛そうだったんだもの」

「心配をかけてすまなかったね、おさくちゃん。それに、看病までしてもらっちゃって」

「当たり前よ。雪平さんは私を守ろうとしたんだもの」

 けれど雪平は頭を横に振って

「おさくちゃんを危険な仕事に巻き込んだのは僕だ」

「私が勝手に巻き込まれたのよ。あなたの仕事の手伝いをするのは楽しいもの。私、これからも手伝うわよ。危ないからって置いて行ったら駄目なんだからね」

 私は常連の爺さんたちからもらった柿を剝きながら念を押す。

「だけどなぁ……」

「絶対よ」

「分かったよ。仕方ないなぁ」

「大丈夫よ。今度こそ私が守ってあげるから」

 柿を雪平の口に押し込み、私は胸を張る。

「それじゃあ僕があんまりにも格好悪いじゃないか」

「そんな事ないわよ。あなたはあなたにできる事をすればいいのだから。蛇の女は強いのよ。見たでしょ? 女将のあれ」

「見たけど、お前もあんなに強いのか?」

「そうとは言わないけど」

「ほら見ろ。やっぱり危ないじゃないか」

 そこへ、蔵之介が弁当を三つ持ってやってきた。

「よぉ。具合はどうだい?」

「おかげさまで上々だよ。しかし、弁当か。間の悪い奴だなぁ」

 雪平が苦笑する。

「本当ね。柿を食べる前に来てほしかったわ」

「なんだい、なんだい。せっかく賭場で大勝したから買ってきたってのに」

 私は溜息をつき「まだ賭場通いしてるのね」と呟く。

「仕方ないだろう。俺はそういう奴なんだから。けど、仕事を始めたんだ。野菜の棒手振りなんだけどさ。いいだろう? これなら好きな時に働ける」

「稼ぎを賭場につぎ込んでいたら一緒じゃないの」

「大丈夫さ。ちゃんと部屋も借りるつもりだし」

「へぇ、そりゃえらい変わりようだ。どうしたっていうんだ?」

 雪平が聞くと、蔵之介はぶるっと身を震わせて

「好き勝手していて殺されちゃ堪らないからな」

「あんな事はそうそうないが、それで変われたなら良かったじゃないか」

 大口を開けて笑っていた雪平は突然まじめな顔になり「でも」と呟く。

「おさくちゃんは辛いだろうな。婚約者が犯人だったなんて」

「あら、私、別に何とも思ってないわよ。だって好きでもなかったし、どうやって婚約破棄してやろうかずっと考えていたくらいだもの」

「そうだったのか……良かった」

 雪平は柔らかく微笑む。その笑みには他意なんてないのだろうけれど、思わず喜ばしく思ってしまうくらいは仕方がないだろう。

「あの平蔵とかいう蛇、あいつどうなったんだ?」

 蔵之介が聞くが、私は首を横に振る。

「分からないのよ。山に帰されたとは聞いたけれど、それ以上の事が分からないの」

「へぇ、そうかい。蛇は案外、優しいんだな。俺たち鼬だったらそれじゃ済まないもんな」

「蛇が優しいですって? そんなはずはないと思うけれど」

 それから少し話して、弁当も食べて、私たちは雪平の体に障るといけないからと別れた。

 部屋に戻ると、窓辺にいつもの嫌味な烏がいた。

「せっかく蛇と婚約できるところだったのに、ついてないな、お前」

「あんな男、こっちから願い下げよ。婚約することにならなくて助かったわ」

 烏は羽を繕いながらケケケッと笑った。

「その婚約者な、死んだぜ」

「え⁉ どういう事⁉」

「どういう事とはまた白々しいな。処刑だよ。蛇ならやりそうだろう?」

 確かに、蛇は優しいと言われるよりはずっと納得できる。それに、今回は他の種族の死も関わっているのだから、処刑以外になかったのだろう。

 あの人も、自分の正しさを信じすぎただけの馬鹿だったのだ。ただ、殺したのがいけなかっただけ。馬鹿は嫌いじゃない。人間の中にはそうとしか生きられない馬鹿たちが山といるのだから。あの人にも、止めてあげられる人がいたなら違ったかもしれない。

「あの人間は助かっちまったのかい」

「知っているくせに。嫌な言い方ね」

「あぁ、知っているさ。お前さんがもう、後戻りができないほどはまってしまっているという事も知っているさ。馬鹿だねぇ。掟はどうする気なんだい」

「掟は人間と交わっては駄目というものでしょ。夫婦になってはいけないなんて言っていないじゃない」

「馬鹿だなぁ。本当に馬鹿だ」

「何よ!」

 私は思わず柄杓を投げる。それをひらりと避け、烏は笑った。

「一緒にいてさ、手を出さずにいられる訳がないだろう。蛇は特に欲深いんだからな。それに、人間はもっと欲深いぜ」

「あの人は違うわよ」

「違わないさ。人間なんて皆同じなんだよ」

「よく知りもしない癖に、あの人の事を悪く言わないで!」

「知っているさ。お前さんよりはね。烏は情報を持っているからな。だから馬鹿なお前さんの事もすぐに分かったのさ」

「人の事を馬鹿、馬鹿って」

「馬鹿なんだから仕方がないだろう。人間を想うなんて馬鹿のする事さ」

 本当は私もよく分かっている。私は馬鹿だ。知っている。だから言われると無性に腹が立つのだ。人間と化け者では生きる世界が違うのだから。

 そんな事は分かっているのに、想わずにはいられないのだ。


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