おとり捜査

 翌朝、蔵之介がおっかなびっくり蛇長屋にやってきた。私はちょうど雪平の包帯を変えているところで、その傷を見ると蔵之介はさらに怯えた。

「そ、そ、その傷はどうしたんだい? まさか化け者殺しに……」

「いや、そうとは分からないさ。だが、女将に頼まれてすぐだからなぁ」

「女将に? 頼まれたって何を?」

「化け者殺し関連の話さ。それより、今朝はいやに早いじゃないか。どうかしたのか?」

 雪平がそう聞くと、蔵之介は縋るように床にへたり込んだ。

「それが、噂が広まっているんだ。俺が化け者を殺して回ってるって。それで今朝も何人かがあの破れ寺に乗り込んできて、命からがら逃げてきたって訳だよ。助けてくれよぉ」

 雪平はふぅんと顎を撫でる。

「噂の広がり方が急だな。奴さんも随分と焦っているらしい。こりゃあ捕まえるには好機かもしれないぞ」

「でも、その怪我じゃ」

「なに。こんなには何でもないさ」

 言いながらも、雪平はイテテッと傷口を抑える。

「ほら。いいわ。今回は私が頑張ってあげる」

「頑張るったって、危なすぎるよ。今回は死人が出てるんだから。いや、でも……」

 しばらく頭をひねっていた雪平は唐突に顔を上げると「遊びに行こう」と言った。

「へ? 何を言っているの?」

「突拍子もない事を言っているわけじゃないさ。いいかい? 女将の話から、殺されたのは放蕩者ばかりだ。そういう奴を狙っているのかもしれないだろう?」

「放蕩者になれば敵が釣れるって言うのね? それなら分かったわ」

 それから私は少し頭をひねり、したり顔で胸を叩く。

「それなら、私と蔵之介さんが囮役をするわ」

 すると、雪平は慌てて私の腕をつかんだ。

「何を言っているんだ。おさくちゃんにそんな事をさせられる訳がないだろう。僕がやるよ」

「あなたは怪我をしているじゃない。それに、いざという時に動ける人が必要だわ」

「それはそうだけど……」

「蔵之介さんはそんなに腕が立つようには思えないのだけれど」

 私の言葉に蔵之介は大きく頷いて

「もちろんだとも。刃物なんて持った事もないし、喧嘩なんてもっての外だ。俺ほど腕っぷしの自信のなさに自信のある奴はまずいないだろうな」

「分かった、分かったよ。だけど、危なくなったらすぐに助けに入るからね。敵の素性や情報なんて二の次だ。先ずは身を守らなきゃ」

「それじゃあ囮の意味がないじゃないの。少しは役に立ちたいわ」

「敵が釣れるだけで大収穫だよ」

「おいおい。仲が良いのはいい事だが、俺の事も守ってくれるんだろうな?」

「あぁ。安心していい。二人は僕が守るよ。だから、先ずは賭場に行こうじゃないか」


 私と蔵之介は裾のぼろぼろの着物に懐には竹で作った偽物の匕首を忍ばせて、それっぽくして賭場へ入った。雪平は外で待機だ。

 賭場の熱気は凄かった。厳つい男たちが賽子を囲んで何だかんだと叫んでいる。勝っただ負けただとあちこちで一触即発。

 見ていると一か月分のお給金なんて目じゃないくらいの金額が動いている。確かに、ここにいると夢を見たくなる気持ちも分かる。

 しかし、私たちはお金を持ってきた訳ではない。賭場に入ったという事実が欲しいだけなのだ。なのでしばらく中をうろつき、それから外へ出た。

 雪平とは合流せず、そのまま真昼間からやっている飲み屋で酒を飲む。もちろん、店内の別の席で雪平も待機中だ。

 そして初めての酒にすっかり気分を良くした私は、声も高々に「景気がいい、景気がいい」と蔵之介の肩を叩く。

 それから、偽の盗みの算段をするのだ。

 ここまでくれば立派な放蕩者であろう。敵さんも釣れるというものだ。店の隅で雪平は顔を青くしたり、きょろきょろとこちらを見たりと落ち着かない様子である。

 すると、私の肩を叩く者があった。

「おさくさん」

「あら、確か平蔵さん」

 これは不味いと思ったが、都合がいいかもしれないとも思った。放蕩娘を嫁に欲しい男はいないだろう。このまま捨ててもらえるかもしれない。

「そちらは雪平さんんじゃないですか。なんで別々に座っているんですか?」

「あ、あぁ。いたのか、おさくちゃん」

「そ、そうね。気付かなかったわ」

 くさい芝居をした後、私たちは四人揃って店を出る事になった。寺子屋へ運んでほしい荷物があるらしいのだ。

 これでは敵を釣るどころではない。けれど仕方なく、私たちは平蔵とともに歩く。

 平蔵はぼろの着物の事も、昼間っから酒を飲んでいた事も何も聞かなかった。

 異変が起きたのは私たちが林のそばを通っていた時だ。先頭に私と蔵之介。その後ろに平蔵、最後に雪平が歩いていた。

 ドサッと音がした。振り返ると雪平が首を抑えて倒れていた。平蔵はいなかった。

 訳が分からなくて「どうしたの?」という声すらも出なかった。

 そんな中、雪平が「逃げろ」と声を絞り出す。

 私と蔵之介は、雪平の両脇を抱えて夢中で走った。


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