男の昔話

 雪平の部屋に着くと、おふたはすぐに布団を陣取って眠ってしまった。こういうところはそのまんま猫である。

「おさくちゃん、おいで」

 雪平は酒のせいで赤く紅潮した顔で私を呼ぶ。私は蛇の姿になって雪平の膝に這いよった。雪平は、それを優しく撫でる。

「酔っているの?」

 聞いてみるが、獣の私の声は彼には届かない。

「きれいだなぁ」

「そんなはずないわ。私はありきたりな蛇だもの」

 それでも雪平の手は私の体を優しく行ったり来たりする。

「なぁ。僕がどうして、こんな金にならない謎解き屋なんかやっているのか、聞いてくれるかい?」

 私は返事の代わりに鎌首をもたげる。

「僕の祖父はね、義賊だったんだ。結構なお屋敷から色々な物を盗んだと聞いたよ。助かった人たちもいたんだろうね。だけどさ、それでもやっぱり盗人なんだ」

 雪平は少し目を伏せ、その様子は寂しそうに見えた。

「僕は様々な技術を教えられたよ。足音を立てずに歩く方法、屋根伝いに走る方法、錠を外す方法、人を見る目、状況を見極める判断力。僕は祖父が義賊だったと知るまで、その技術が自慢だったんだ。でもそれが、一気に嫌になってしまった」

「仕方ないわ。あなたのせいではないもの」

 届かないと分かっていても、私は言葉を紡がずにはいられなかった。それが分かっているのかいないのか、雪平はこちらを向いてふっと笑む。

「僕だけが祖父から伝えられた技術。優秀だと言って祖父は喜んでいたよ。僕はね、まるで自分が盗人にでもなった気持ちになってしまったんだ。卑しいな、浅ましいなと思ってしまったんだ。それから、僕は真面目に生きる事をやめてしまった」

 雪平が酒臭い溜息を吐く。

「伊賀の方にあった家を出て、僕はふらふらと旅をしながら江戸に着いた。毎日が惰性で過ぎていった。それでもね、僕はどうしようもなく生きているんだ。だから働かなきゃならない。仕方なく選んだのは、祖父から伝えられた技術を生かすものだった。仕方ないだろう。僕にはそれしかなかったんだから」

 雪平は私の尻尾をクニクニと捏ね回している。「やめてほしい」と言っておいて、また言葉が通じなかった事を思い出す。まったく不便なものだ。

 雪平の言葉は、時々熱がこもるように荒げられた。

「女々しいだろう? 不甲斐なくて笑いたくなるね。何をクヨクヨとしているんだと、自分でも思うよ。それでもさ、盗人は悪だろう? 僕は善人でいたいんだ」

 月明かりが雪平の手元を照らした。反対に顔は陰になってよく見えない。

「僕はね、誰にも好かれるような分かりやすい善人でありたいんだよ。優しい祖父が、そういうものだとずっと思っていたんだよ。だから余計に腹が立った」

 私は彼の腕を這い、頬にすり寄った。

「なんだい、慰めてくれているのかい? ありがとう。すまないね、こんな話をしてしまって。少し酔ったかな」

「男の弱音って、私は好きよ」

 届かないと分かっているから、私は彼の耳元で囁く。

「毎日を食いつぶして、僕は生きる事を諦めてしまったのかもしれないね。それに引き換え、お前は美しいよ」

「またそんな事を言って」

 私はこんなにもクヨクヨとした弱虫な彼を、決しておふたになんか盗らせるものかと思った。弱音も泣き言も、私だけが聞くのであってほしい。こんな情けない姿を見せるのは私の前でだけであってほしい。

 あぁ、これが蛇の支配欲か。とても抗えない。

 そう思うと同時に、母と姉の事を思い出した。あれらも支配欲だったのだろう。私への支配欲。それが歪んだ形で表現されてしまったのだ。

 自分から少しでもずれる事を許さなかった母も、私の大事を壊して回った姉も、こんなものと戦っていたのだ。勝てるはずがない。

 だとしても、そうだと分かっても許せる訳などないのだけれど。

 すると、窓辺に一羽の烏がやってきた。この間の嫌な奴だった。

「お、烏か。こんな時刻に珍しいな。浮かれ烏かい」

 烏は彼の言葉を無視して、この前と同じように私に「馬鹿だねぇ」と呟いた。

「なによ。また馬鹿にしに来たの?」

「そうさ。じゃなきゃこんな夜に飛ぶもんか」

「嫌な奴ね。そういえば、あんたがおふたさんに話を聞かれたものだから、酷い目に遭ったんだからね。もう失敗しないでよね」

 烏は片方だけ翼を広げ、仰々しく言った。

「失敗とはなんと失礼な。俺の独り言をどこでだれが聞いていたって、俺の知った事ではないさ。俺がお前に約束したのは、誰にも話さないという事だからな」

「分かっていて独り言を言っていたって言うの⁉」

「そうは言っていないさ。これだから蛇は」

「なによ!」

「いいや、なにも」

 私たちの会話は雪平にはカァー、とかシャーとか聞こえている事だろう。

 雪平は首をかしげながら私たちを見ていた。

「それにしても、本当にお前は馬鹿だな。どうせ報われやしないのに」

「報われるために想うのではないもの」

「そうかい。蛇を選べばそれだけで幸せになれるっていうのになぁ」

「そんなもの……私は幸せとは思わないわ」

「頑固だなぁ。やめとけよ、人間なんてさ」

「余計なお世話よ。私は彼のそばに居たいの」

「どうせ後悔するってのに、本当に強情で馬鹿な奴だなぁ。俺は忠告したからな」

「聞かないわ。私は私のしたいようにするんだから。もう馬鹿にしに来ないでよ」

「ふんっ。俺だって好きなようにするさ」

 烏はバサッと羽根をひとひら落とし、飛び去って行った。

「あぁ、行ってしまった。それにしても、夜の烏ってのは綺麗なもんだなぁ」

 雪平は何も知らず、呑気にそんな事を言った。


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