風が吹いたら冷え切った仲の婚約者が溺愛してくるようになった
黒猫かりん@「訳あり伯爵様」コミカライズ
第1話 風が吹いたら婚約者の人が変わってしまった
侯爵令嬢のエリザべスは溺愛系小説が大好きな十六歳。
艶やかな
しかし、自分の婚約者であるマイケル第二王子は子供っぽくて、エリザベスのことを溺愛どころか
彼は、エリザベスを口説くどころか、彼女が嫌がるようなことばかりしてくるのだ。年は同じで、見た目だけは金髪碧眼の美青年、物語に出てきそうな姿なのに、やることなすことが幼稚で無配慮なのである。
実際、彼とはと顔を合わせる度に喧嘩ばかりで、エリザベスは辟易していた。
「いつも可愛げがないんだよ、少しは媚びてみろよ!」
「なんでわたしが貴方に媚びなきゃいけないのよ! 貴方こそまともに口説いてみなさいよ!」
「お前がそんなだから口説く気も起きないって言ってるんだよ!」
「そんな子どもみたいな人に媚なんか売るわけないでしょ! なんの得も無いのに!」
「お前は誰にだって媚は売らないだろ! やり方も知らないくせに適当なことを言うな!」
それもそうかと真顔になるエリザベスに、マイケルが苦虫を噛み潰したような顔をしていたのは、つい先日のことだ。
(もう、面倒くさいことこの上ないわね)
エリザベスは、冷えた仲の婚約者のことを思い、ため息をつく。
元々、エリザベスとマイケルは幼馴染だ。
エリザベスは冬の社交シーズン、兄が第一王子との勉強会に行く際、一緒に王宮の子ども部屋に上がることが多かった。そこで、マイケルとも接触があったのである。
その頃から、マイケルは令嬢達にチヤホヤされていた。
そして、それを喜んでいる様子も見受けられた。
エリザベスはそれをまあその、……冷めた目で見ていただけだ。
なのに、蓋を開けたら、王家の肝煎りでエリザベスはマイケルの婚約者になっていた。
一体なんだというのだ。
(そんなにチヤホヤされたいなら、他の令嬢にしなさいよ! 候補は沢山いたでしょうに)
面倒くさすぎて、最近のエリザベスの脳裏には、婚約解消の文字ばかりが思い浮かぶ。
「誰か素敵な男性がわたしを攫ってくれないかしら」
侯爵家の王都別邸でそう呟くと、兄エイベルが紅茶でむせてゲホゲホ咳き込んでいた。
「何を言い出すんだ、エリー」
「だって、わたしも幸せな恋がしたいもの」
「マイケル殿下とすればいいじゃないか」
「殿下はわたしのこと、好きじゃないし」
「……殿下が好きになってくれさえすれば問題ない?」
ニヤッと嫌な笑い方をする兄エイベルに、エリザベスは思案する。
マイケルがエリザベスを好きになって、彼と恋をする。
この七年間、意地悪しかしてこなかった、あのマイケルと?
……。
「無しだわ。わたし、あの王子のこと好きじゃない」
真顔でそう答えると、兄はこの世の終わりのような顔で青ざめている。
エリザベスは首を傾げながら、まあいいかと、砂糖とミルクでふんだんに甘くした珈琲を口に含んだ。窓の外の晴れ渡った空を見ながら、エリザベスは思う。
九歳の時に婚約して七年。
ここまで相性が悪いのだ、もうそろそろ潮時だ。
特に、最近はマイケルのことを考えるだけで嫌な気持ちになってしまう。色々と、限界なのだ。
(お父様に、婚約解消の申し出をしなきゃね)
そんなふうに考えているうちに、事件は起きた。
王都の往来、ペット用品店の前の広場にて、エリザベスはマイケルと大喧嘩を始めてしまったのだ。
「何故そんなものを買うんだ! ポッティは俺とフリスビーをしたがっているんだ!」
文句をつけてくるマイケルに、エリザベスは怒髪天で応戦する。
「フリスビーならもう買ったじゃないの! ポッティは私と玉遊びをしたがっているのよ!」
「玉だって別のサイズのやつが既に沢山あるじゃないか! これ以上要らないだろう!」
「サイズや跳ね方が違うのよ、ポッティのことを分かっていないくせに口を出さないで」
「ポッティは俺の犬だ!」
「横取りした人が偉そうに! 元々わたしがもらいたかった犬です! 一番仲が良いのはわたしよ!」
「仲が良いのは飼い主の俺に決まっているだろう!」
「冬の社交シーズンの間、二日に一回散歩に行ってるのはわたくし!!」
「俺も二日に一回散歩に行ってる!!!」
「貴方は勝手にわたしとポッティについてきてるだけでしょう!」
息を切らした二人は、両者引くことなく睨みあう。
◇◆◇◆
実は、ポッティは元々、エリザベスの家が引き取る予定の犬だったのだ。
エリザベスが十歳のとき、子犬を飼いたいと侯爵である父に強請ったところ、父侯爵はとある伯爵家から子犬をもらう約束を取り付けて来た。
そして、これが全ての原因なのだが、親達の計らいで、子犬の引き渡しの際に、王宮の子ども部屋で他の子ども達にも、子犬を見せてやろうという話になったのである。
子ども部屋にて、十歳のエリザベスは子犬を抱きかかえ、「うちが引き取るの! 今から家に連れて帰るの!」と自慢げに喜んだ。そして、なんやかんやの末、当時十歳だったマイケル第二王子が「この子犬は俺が引き取る!」と横槍を入れてきたのである。
第二王子にそう言われてしまうと、大人達は反対できない。
泣いて抵抗するエリザベスを横目に、ポッティは王家のものになってしまった。
気を使ったブリーダーの伯爵家の者達は、エリザベスに他の犬を譲ると申し出たが、エリザベスはポッティが良かったので首を横に振る。父侯爵に泣きついているエリザベスに、きまり悪そうにしたマイケルは、「婚約者なんだし、散歩をしに王宮に会いにくればいい! 毎日な! 毎日うちに来いよ!!」と威丈高に叫んだ。
そんなマイケルに、エリザベスがビンタと「大嫌い!」をお見舞いし、「今シーズンは二度と会いたくない!」と叫んで彼を泣かせた事件の記憶は、関係者一同の記憶から一生消えないだろう。
なお、エリザベスは翌日からポッティの散歩のため王宮に現れたけれども、マイケルはそのシーズン、彼の父である国王により、エリザベスに近寄らせてもらえないという罰を受けた。マイケルは毎日泣いていたが、エリザベスはそのことを知らない。
◇◆◇◆
というわけで、因縁の犬ポッティの件は、二人の間で何かと火種になりがちだったのだが、今日はまさにその火種が着火し、業火となってしまった。
エリザベスがポッティのおもちゃを買いに行こうとしたら、マイケルが「婚約者だからついて行く!」と勝手についてきた挙句、エリザベスの買おうとしたおもちゃに文句をつけ始めたのである。
「今日という今日はもう我慢ならないわ!」
「それはこっちのセリフだ! お前はいつも自分のことしか見えてない!」
「何よ、それはそっちでしょう!? 大体、フリスビーなんて嫌なのよ、わたしは上手く投げられないんだから!」
「俺が投げるからいいんだよ!」
「そうしたら、毎回貴方にいてもらう必要があるじゃないの! 面倒くさい!」
エリザベスがそう叫ぶと、ぐっとマイケルが怯んだ。
心なしか、マイケルは涙目になっているようにも見える。
侍従侍女や護衛達は、ただただ痛ましいものを見るような顔で側に佇んでいる。
広場で二人に注目する観衆は察した。
目の前の高貴な金髪碧眼の令息の、不器用な想いに気がついた。
そして、頼むから察してあげてくれと、黒髪美女を見つめた。
しかし、エリザベスはそんな視線には気づかない。
夜空色の瞳で、目の前の憎きマイケルを渾身の力で睨んでいるからだ。
ポッティとの間を引き裂く敵。
エリザベスに興味なんてないくせに、勝手に婚約を結んできて、彼女の心を弄ぶ因縁の相手!
「そういうところが自分勝手だって言うんだ! 誰が好き好んでこんな面倒な女……っ!」
「なんですってぇ!?」
顔を真っ赤にして悔しそうに叫ぶマイケルに、エリザベスは目尻を吊り上げる。
その光景に、観客はギョッと目を剥いた。
待て待て落ち着けボーイ、そこから先は言ってはならない。
誰もがそう思って息を呑んだところで、エリザベスが叫ぶ。
「そんなに言うなら、こんな婚約――」
解消よ!!!!
とエリザベスが言おうとしたところで、風が吹いた。
暴風で女性陣のスカートが翻り、目を凝らした男性陣の目に砂が入り、その中に居た巨漢がよたつき、お尻で果物屋台の荷車にぶつかり、荷車が坂を転げ落ち、根元が腐って倒れそうだった神木にぶつかり、神木が大きく揺れて根元で本を読んでいた魔術師の頭に当たり、魔術師の持っていた魔石が複数転がり、二人の近くにそびえたつ女神の像を取り囲むように落ちた。
像が光り輝き、周囲の者が唖然としたのもつかの間、視界が真っ白に染まる。
結果、ドガーンと雷が落ちたような音と共に、女神像は爆発した。
粉微塵になった気の毒な女神像のかけらは、周囲の観衆には当たることなく、だがしかし、エリザベスとマイケルの頭にクリティカルヒットした。
倒れ伏す二人。
沈黙の護衛達と観衆。
三十秒ばかり固まっていた彼らは、ぴくりとも動かない二人に、ようやく我に帰って助けを呼びに走ろうと動き出す。
動き出したところで、むくりと起き上がったのはマイケルだった。
マイケルはぼんやりと辺りを見渡した後、ハッと何かに気がついたようなそぶりで辺りを見渡し、気絶したエリザベスを発見する。
唖然としたような顔をした後、彼は慌ててエリザベスに駆け寄り、駆け寄ったマイケルに声をかけられたエリザベスはようやく目を覚ました。
「エリー、大丈夫か!」
「えっ? ええ、大丈夫……」
エリザベスは、ゆっくりと意識を浮上させながら、目をぱちぱちと瞬く。
なんだか、誰かに抱えられている気がする。
誰かというか、マイケルだ。
なんだマイケルか。
げんなりした気持ちでしっかりと目を開けると、そこには心配そうにこちらを見つめる碧い瞳があった。
「よかった、エリー! 愛しい君が倒れていたから、息が止まるかと思ったよ」
「ええ」
……。
「……ええ?」
「まだ意識がはっきりしないのかい、エリー」
「…………マイケル?」
「そうだよ。マイクと愛称で呼んでほしいな」
「え?」
「君にマイケルと呼ばれるのは、他人行儀に感じて辛いんだ」
「……え?」
「可愛いエリー、それよりも痛いところはないかい? 何かおかしなところは?」
「わたしは大丈夫だけれども……おかしなところがあるのは貴方ではなくて?」
「俺はいつでも君への愛でおかしくなりそうだけど」
「どういう返事なの!?」
「今は君が傍に居るから大丈夫だよ」
「お医者様を呼びましょう!」
「そうだね、君は急にこんなことになって動転しているようだし、医者を呼ぼう」
「動転しているのはわたしかしら!? 貴方ではなくて!?」
「とりあえず、王宮に戻ろうか。俺だけのお姫様」
そう言うと、マイケルはエリザベスを横抱きにして、ベンチに座らせる。
ざわつく侍女や護衛、観衆達の心は、エリザベスの心と共にあった。
なんだ、一体何がどうしたというのだ。
先ほどまでのシャイボーイはどこへ行った?
エリザベス達が動揺の余り固まっている間に、マイケルは護衛たちに指示し、馬車を呼びつけて二人で乗り込んでしまった。
その馬車の乗り方も普通ではなかった。
馬車の中では、何故かマイケルがエリザベスを横抱きにしたまま、膝に座らせているのだ。
あまりの展開に、エリザベスが抵抗するのを忘れて固まってしまったが故の事態である。
「おかしいわ……」
「うん?」
「おかしいの……絶対おかしいと思うの……」
「可愛いエリー、どうしたの」
「耳元でこしょこしょ喋るの、やめてくれるかしら!?」
「だって、エリーは耳が弱いから」
「確信犯! いえ、なんで知ってるの!?」
「愛しのエリーのことはなんでも調べたからね」
「どう調べたら耳が弱いことが分かるっていうのよ!!!!」
くすくす笑っているマイケルに、エリザベスは涙目になる。
マイケルがおかしい。
あからさまにおかしい。
エリザベスの知っているマイケルは、こう、子どもっぽくて、エリザベスに興味がない男だったはずだ。
こんなふうに、エリザベスのことを愛称で呼んできたり、睦言を囁いたり、膝に載せたりする男ではない。
大体、こんなのは、エリザベスの大好きな溺愛系小説の中でしか起こり得ない出来事のはずだ!!
エリザベスが顔を真っ赤にしてわなわな震えていると、マイケルがとうとう声を上げて笑い出した。
「何がおかしいの!!」
「いや、やっぱりエリーは可愛いなと思って」
「心にも思わないことを言うのはやめてちょうだい!!!」
「いつもいつでも、心から思っているよ。俺のエリーは最高に可愛い」
エリザベスは、マイケルの慈しむような視線を受け止めることができない。
マイケルの顔は、なんだか大人びていて、エリザベスの知っているマイケルとは違って見えるのだ。
動揺しすぎて頭をショートさせているエリザベスに、マイケルはようやく秘密を打ち明けた。
「実はさ。俺は十五年後の未来から来たマイケルなんだよね」
目を丸くするエリザベス。
マイケルの様子がおかしいとは思っていたが、とうとうここまでおかしくなってしまったのか。
「
そう言うと、マイケルはエリザベスの頬にキスを落とした。
エリザベスは気絶した。
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