第32話 リラクゼーション

 翌日、オレはプログラミングに集中することに決めた。

 最近の出来事から一時的に離れ、自分の得意分野に没頭することで心を落ち着ける試みだ。


 オレの部屋は静かで、唯一の音はキーボードを叩くリズムと時折聞こえる車の音だけだった。

 オレは自分が設計しているもののコードを書き進めていた。

 このプロジェクトはオレにとって一種の逃避でもあり、同時に情熱を注げるものでもあった。


 心が落ち着いていくのを感じる。

 誰にも邪魔されずに集中できるこの時間は、ありがたいものだ。

 だけど、この部屋の静けさが、時々耳をつんざくようだ


 オレはコードを書く上で悩むことがあれば、ミライコに相談をした。

 ミライコはまるで本物の凄腕エンジニアのように、的確な返答をくれる。

 または彼女がふってくる雑談が、解決の糸口になったりした。


『さすが慧。あなたはプログラムの才能がありますね。それは特別な才能です』とほめそやしてくる。


 しかし、心の奥底では、桑名や田中の事件に対する想いがくすぶり続けていた。

 プログラミングの合間に、オレは無意識のうちにその事件について考えを巡らせてしまった。

 特に、「彼ら」とは何か、そして桑名と田中が精神的に追い詰められた本当の理由について。


 食事も忘れてプログラミングに没頭していた。


 質問をしたときにミライコがいった。

『あなたは特別な才能を持っていますね。でも、才能があるとは、孤独も深まるということ。あなたはそれでも前に進みますか?』


 オレは――



 その問いに答えようとしたとき、腹の音がした。

 時計を見ればもう二十二時を過ぎていた。


「カップ麺でも食べるか……」

 そう思って戸棚の中を見るが、何もない。

 もう全部食べてしまったようだ。


 オレは外出用の服装に着替え、表へ出ようとした。

 靴ひもがほどけていた。


 オレが座って靴ひもを結んでいると、扉がガタ、と動いたような気がした。


 そのすぐ後に靴ひもを結び終わり、家の外へと出る。

 そのとき、エレベーターが閉じる音がした。。


 オレは鍵を閉めようとしてドアを見る。


 すると――


 張り紙が張られていた。


 紙には『これ以上踏み込むな。諦めろ』と、ぐちゃぐちゃの字で書き殴られていた。



「…………なんなんだよ」


 なぜ自分の家がばれているのか。

 知っているのは、桑名と柊と、大学くらいのはずなのに……。

 いったいどうやってオレの家を知ったのか。

 いつ貼り付けたのか。


 犯人がここまで来たということを考えると、ぞっとする。

 安全なはずの家すら、安全ではなくなってしまう。


 オレは恐怖をこらえながら、家の外に出た。


 なぜか外は異常に静かだった。

 いつも人通りは多いはずなのに。

 オレを見つめる視線のようなものを感じる気がする。


 買い物を終えた帰りには、足音が大きく近づいてきた気がして、振り返った。

 だがそこには何もいない。

 暗い闇があるだけだった。



 だが、そのようなことがあったにもかかわらず、今夜はぐっすりと眠ることができた。

 ミライコに従ってプログラミングをする日は、よく眠れる気がする。





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