第36話:変なやつ


『エリオン王国がコボルトを保護とはどういうことだ!?』


 ザフラスが吼える。するとナナルカが、僕が渡したあの書状をザフラスへと見せ付けた。


『こちらを』

『これは……本当なのか』


 それを読んで、ザフラスが衝撃を受ける。


『はい。ただし、保護対象は叡竜派ファルセンのみです。ですが始祖は違えど、我らは同じ種族。皆さん次第でなんとでもなるかと』

『……つまり、我らに叡竜派ファルセンになれと』

『貴方が好む人肉より、豚や牛や羊の肉の方が美味しいですよ? 特にエリオン王国のものは絶品と聞いています』


 僕は苦笑するしかない。ナナルカは僕が条件の中に残していた抜け道を、ちゃんと見抜いていたようだ。


 確かに僕は保護対象は叡竜派ファルセンのみと条件に入れた。父も宰相もそれに同意したが――叡竜派ファルセンの定義まではそこに盛り込んでいない。


 つまり冥竜派アトセルだろうと、彼らが自分は叡竜派ファルセンだと言ってしまえばそれで通るという、ガバガバな条件なのだ。


 これに関してはナナルカとの交渉で〝冥竜派アトセルも保護しろ〟と言われた時に備えて、あえて残していた抜け道ではあるのだけど、まさかここで活きてくるとは思わなかった。


『しかし……』


 ザフラスが難色を示す。まあそう簡単に答えられる話ではない。


『時間はあまりないですよ、ザフラス。いずれにせよここから撤退する他なく、逃げる先は緑王国しかありません』

『少し……考えさせてくれ』


 ザフラスが苦悩の表情のまま、そう言葉を吐き出した。


『僕らは一回出ましょうか』


 僕がそう提案すると、ザフラスがさっさと行けとばかりに手を振った。

 拘束も外してもらい、僕とアイナ、そしてナナルカさんは隣の部屋へと移動した。


 置いてある椅子に僕が座ると、ナナルカが微笑みながら口を開いた。


「流石ですね、ウル様。おそらくザフラスは撤退を選ぶでしょう。その後のエリオンへの亡命はまだ分かりませんが」


 褒めているのだろうけど、それに対し僕はため息をつき、首を横に振るしかない。


「いや、かなり賭けの部分が多かったですよ。ここの指揮官が中庸派のザフラスで

良かった」


 もし過激派であったならば、そもそも僕は生きていなかっただろう。

 とはいえおそらく冥竜派アトセルの主要なメンバーは皆、前線にいるだろうし、ここに残っている者達だからこそ説得できた。


 運が良かったのか、悪かったのか。


「しかしこの先どうする気だい。撤退するとして、緑王国が受け入れてくれるかどうか。特にこっちとの国境沿いには……がいるだろ? どう考えても交渉する前に殺されるとしか思えないんだがねえ」


 僕の傍にまるで護衛のように立つアイナがそう聞いてくるので、僕は頭の中の考えをまとめながら、それに答える。


「一応、策はあるんだ。ただしこれもまた多少、賭けの部分になる」


 それから僕が撤退すべき場所、そしてその方法を二人に伝えた。

 するとナナルカは眉を潜ませ、アイナはニヤリと笑った。


「あんたも人が悪いねえ」

「最善の方法を選択しているだけだよ……人聞きが悪い」

「しかし一歩間違えれば、あんたが危険に晒される。最悪、とアルマ王国軍に挟撃される可能性もある」

「本当はエリオンに直接逃げ込めば話は済むのだけど、まあ難しいだろうしねえ」


 エリオン王国入りは僕一人ならともかく、コボルトの集団となると緑王国経由でないと、間違いなく無理だろう。


「あまり褒められた方法でないですが……有効ではありそうです。そこまで上手くいくかどうかは別ですが」

「まともにぶつかって全滅するよりもマシだよ」


 それからしばらくしてから、ザフラスが部下を連れて部屋の中へと入ってきた。


 その顔を見れば、どういう結論になったかは聞かなくても分かる。


『――部下達は撤退およびエリオン王国への亡命を望んでいる』


 ザフラスがそう淡々と告げた。その顔に迷いはないように思える。


『よって、これより我らは緑王国へと撤退し、その後エリオン王国へと亡命する。生きる為なら、派閥なぞ変えて構わない』

『君自身はどうなの?』


 僕には、それが彼自身の言葉とは思えなかった。


『……それはどうでもいい。こうなった以上、俺達は叡竜派ファルセンの長であるナナルカに従うだけだ』


 それが彼の決断だった。

 その潔さ、悪くない。


 彼なら冥竜派アトセルの者達を上手くまとめられるかもしれない。

 頼るべきリーダーの存在は、いつだって求められているのだから。


 それはナナルカも感じたのか、よく出来た子を褒める母親のような表情を浮かべ、口を開いた。


『であれば――これより先は、ウル様の下につきましょうか』


 そんな言葉と共にナナルカが僕へと恭しく膝を曲げ、頭を下げた。

 しかしザフラスが動かずに僕をまっすぐに見つめる。


『だがその前に教えろ――。アルマ王国の王子というは嘘だろう。だが、全てが嘘とも思えない。お前は一体……なんなんだ』


 もはや、これ以上の嘘は不要か。


『僕の名はウル・エリュシオン――エリオン王国の王子だよ。だから信じてくれていい。僕は君達コボルト族の味方だ』


 それを聞いてザフラスが小さく笑い、そして目を閉じた。


『ふっ……やはりか。我らを騙していたことは気に食わないが……逆にそれが今となっては有効とはな。人間とは皆こうなのか、ナナルカ』


 それにナナルカは微笑みながらこう答える。


『まさか。この方が特別なだけですよ。コボルトの言葉を話し、しかも味方にしようとする……変な人です』


 それは……褒めていないよね? 


『そうだな。とんでもなく変なやつだ。だが……えり好みできる状況でもないか』


 そう言ってザフラスもナナルカに従って、膝を曲げ、頭を下げた。

 それに部下のコボルト達も従った。


 それを見て、アイナが豪快に笑い声を上げる。


「あははは! あんたはやっぱり大物だな! あのクソ王族どもにすら頭を下げなかったコボルト族を、こんなあっさりと従えちまった」

「今だけだよ」


 僕はそう言うしかなかった。こんなことで浮かれている場合ではない。まだ何も解決していないのだから。


 だから僕はあえて明るい声を出した。


「さあ、始めようか。怖い怖いアルマ王国軍なんて相手してないで……尻尾巻いて、逃げるとしよう」


 楽しい撤退戦の始まりである。


 そういえば……何か忘れている気がするな……?

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