第30話 崩壊


「好きな人をまっすぐに追いかけられるあなたが……羨ましいわ」


 これまでとは違い、優しい顔でそう呟いた璃空さん。


 初めて見せるその表情に驚いた私は一瞬黙ってしまうけど——慌てて言葉を繋いだ。


「だったら、璃空さんもまっすぐ追いかければいいじゃないですか」

「何を言うの?」

「確かに浮気は許せないかもしれないけど、誠意を見せれば、きっと琉戯りゅうぎさんも納得します! 死ぬより、生きて一緒にいる方が幸せに決まってるし」

「そんなことができるなら、とっくにやってるわよ」

「だから、私が手伝います」

「もう……なんなのよ」


 自分でもおかしなことを言ってる自覚はあった。


 璃空さんには殺されかけたことだってあるし、今も捕まっているんだけど。


 ——恋する璃空さんのことが、なんだかほっとけないんだよね。


 私が自分の意気込みを璃空さんに告げると、璃空さんは不思議そうな顔をしていた。






 ***






「アキねえ! どこにいるの?」


 廃ビルの一階を捜索していた甚外じんと一行だったが、その場にいないはずの國柊こくしゅうの声が響いた。


「こら、國柊。喋るなと言ってるだろ」


 琉戯りゅうぎたもるの持つ槍に向かって叱りつけるように言うと、槍は悪びれもせずにない口を開く。


「大丈夫だよ。ニセ璃空が現れたら黙るから」


 そんな風に何もない時間が続いていたが——。


 ふと、そんな時だった。


「おーい、みんな」


 雑草だらけで足場の悪い廊下の奥から、アキが姿を現した。


「え? アキさん? 本物?」


 目を丸くするとおるに、アキは息をきらしながら駆け寄る。


「もちろん、本物だよ!」

「疑わしいな。アキ姉が一人だなんて」


 槍がブツブツと呟く中、アキはそれを無視して周囲を見回した。

 

「それより、琉戯さんは来てますか?」

「俺がどうした?」


 琉戯が前に出ると、アキは表情を綻ばせる。 


「ちょっとお話があるんですけど、一緒に来てくれませんか?」

「話だと? もしかしてあいつの罠か?」

「違います! 璃空さんと話して欲しいんです」

「はっ、アキちゃんを誘拐しておいて、今更おかしなことを」

「おかしくありません! 璃空さんはずっと琉戯さんのことを想ってたんだから、琉戯さんも少しは話を聞いてください」

「他の妖怪にうつつを抜かした女なんて興味ない」

「そうかもしれないけど……でも璃空さんが琉戯さんのこと好きなのはわかります」

「どうしてそう思うんだ?」

「そうじゃなかったら、一緒に死にたいなんて言わないし」

「あいつがそういったのか?」

「はい」

「甚だおかしい話だな。死にたければ一人で死ねばいい。他人を道連れにしようなんて、迷惑極まりない」


 その言葉に、長老はどうでも良さそうな顔で告げる。

 

「今日も琉戯の毒舌が冴え渡っておるな」


 だが、長老の言葉を拾う者はおらず——アキは、話を続けた。


「確かに琉戯さんを道連れにしようとしたことは、よくないことだけど……璃空さんの好きって気持ちはわかってあげてください」

「アキちゃんはどうしてそこまであいつの肩を持つんだ? 脅されているのか?」

「違います! 私が応援したくてしてるだけです」


 アキが前のめりに主張すると、琉戯は若干ひいていた。


 そんな風にアキが説得を続ける中、草を踏む音が近づいてくる。


 現れたのは、璃空だった。


「無駄よ」

「璃空さん」

「私の想いが永遠に届かないことはわかっているの。その人は一緒にいた時でさえ、私をまるで空気のように扱っていたんだから……うっ」

「璃空さん?」


 腹を抱えて苦しみだした璃空に、アキは近づく。

 

 すると、廃ビルの中が鉄のニオイで充満すると同時に、小雨が降り始める。


「何だ? 建物の中なのに雨が?」


 琉戯が不思議そうに見上げる傍ら、


「これはこの女の涙じゃないか?」


 長老はそう考える。


「どういうことですか?」


 泰が訊ねると、長老はさらに告げる。


「おそらく、この建物自体があの女なんだ」

「建物自体が?」


 その言葉に、長老は頷く。


 璃空は高らかに笑った。


「よくわかったわね。そうよ……この建物は私と繋がっているの。あなたたちは私の体内にいるのよ」

「璃空さんの体内?」


 アキがきょとんとした顔で訊ねると、璃空は愛おしそうにアキの頭に触れる。


「残念だわ……本当はもう少し話していたかったけど……そろそろ私の身体もダメみたいね」

「璃空さん!」

「うっ」

 

 うずくまる璃空を見て、焦るアキだったが。


 アキは琉戯のほうに向き直ると、声を荒げた。


「ちょっと琉戯さん! なんか声をかけてあげてくださいよ! 仮にも元彼なんでしょ!?」

「元彼でも、今彼じゃないんでな」

「なにそれ! 冷たすぎないですか? 好きだったこともあるんでしょ?」

「もう忘れた」

「琉戯さん!」

「ふふ……琉戯らしいわ。本当は道連れにしたかったけど、もう琉戯を捕まえる力も残ってないみたい」

「璃空さん!」

「本当はね、私……妖怪になったこと、後悔してたの」

「え?」

「好きな人と永遠に一緒だなんて、夢物語だとわかったから……死のうと思ったの。だから最後に琉戯に仕返ししたかったけど……ダメね、私……こんなに冷たい琉戯がまだ好きみたい」

「璃空さん、ダメだよ……そんな弱気なこと言っちゃ……琉戯さんに負けないで」


 アキの言葉に、他の者たちも何か感じるものがあったらしい。


 槍の國柊が同情の声を上げる。


「琉戯兄さん、最期くらい優しい言葉かけてあげればいいのに」

「琉戯兄さんはもっと優しい人だと思ってたのに」


 泰にまでそんなことを言われて、琉戯は少しだけ焦ったそぶりを見せる。


「なんで俺が悪者みたいになってるんだよ。こいつは人のことを殺そうとしたんだぞ? しかもアキちゃんまで誘拐して……俺は悪いことなんて一つもしてないじゃないか」

「琉戯さん! せめて璃空さんと仲直りしてください」

「アキちゃんまで……」

「いいのよ。最後にあなたみたいな人とお話できて良かったわ。一番楽しかった時代を思い出すことができたもの。あなたを見ていると、また新しい人生を歩みたくなったわ」

「璃空さん……妖怪としてやり直すことはできないんですか?」

「そうね……どうせなら、もう琉戯を忘れたいのよ」

「璃空さん……」

「それよりあなた、早く逃げたほうがいいわよ」

「え?」

「この建物は私の体内と繋がっていると言ったでしょう? だから、私が死ねば、この空間もなくなってしまうから」


 その突然の言葉に、琉戯は青ざめる。


「俺たちもお前の死に巻き込まれるってことか?」

「そうよ。だから早くお逃げなさい」


 それから璃空は、琉戯に向かって微笑んだまま——消えたのだった。


「璃空さん!」


 アキが泣きそうになる中、そんなアキをたしなめるように賜が声をかける。


「しっかりしろ! 早く脱出するぞ」

「まずいな出口がなくなっている」

 

 状況を告げると、琉戯は唇を噛む。


「どうして?」


 國柊の問いに、琉戯はやれやれとため息を吐く。

 

「璃空の意識がなくなったのかもな」

「どういうこと?」


 アキが目を瞬かせる中、長老が説明した。


「璃空の意識が閉じて、外の世界との繋がりも閉じてしまったのだろう」

「よくわからないけど、出られないってこと?」

「仕方ない。空間に穴でも開けるか?」

「え、どうやって」

「死神の槍があれば……」

「槍は偽物オレだけど?」


 國柊が元の姿に戻って見せると、長老は頭を抱える。


「そうだった!」

「どうしよう……このままだと、異空間に閉じ込められる」


 焦る泰の傍ら、アキは周囲を見回しながら訊ねる。


「何かいい方法はないの?」

「お手上げだな」


 長老の言葉に、場が静まり返る中、


 甚外が小さな手を挙げた。


「どうしたの? ジンくん」

「ひとつだけ脱出する方法があるよ」

「本当に? でもどうやって」

「俺のテリトリーになら、いつでも飛べるから」

「ジンくんのテリトリー? アキさんの家に移動できるってこと?」


 泰が訊ねると、甚外は無言で頷いた。


「だったら、早く移動しないと……」


 そう急かす泰だったが、甚外は付け加える。


「ただ、全員は無理かもしれない……俺のテリトリーに連れて行けるのはせいぜい六人までだから」

「長老、琉戯さん、泰くん、國柊くん、ジンくん、お兄ちゃん、私?」


 アキの言葉に続き、泰も確認する。


「一人だけ移動できないってこと?」

「……うん」

「それなら、俺だけ槍に変身すればいいんじゃない?」


 國柊は提案するが、甚外はかぶりを振った。


「ダメなんだ。生き物だから」

「じゃあ、どうすればいいんだよ」

「……僕が残るよ」

「え? 泰くん?」

「大丈夫、一人くらいなら脱出できると思うから」


 一人で背追い込もうとする泰を見て、アキは怒り気味に告げる。 


「泰くんを残していけないよ」

「そうだよ。泰兄さんが残るなら、俺も残るよ」


 國柊も言うが、泰はなんでもない風に笑った。


「妖狐の僕がそう簡単に死ぬと思う? ……だから早く行きなよ。ここが崩壊するのも時間の問題だよ?」


 泰の覚悟に、國柊はそれ以上何も言わなかった。


 その傍ら、琉戯は忌々しげに呟く。


「あの女、最後の最後まで面倒かけやがって」

「とにかく、ジンくん。アキさんをお願い」

「泰弦くん」

「心配しないで、必ず脱出するから」

「……わかった」


 甚外は頷くと、小さな手のひらを天井にかざした。


 すると、周囲は眩い光に飲み込まれ、真っ白になる——。



「みんな、アキの家へ」


 

 甚外の言葉が響く中、一同はアキの自宅マンションのリビングへと移動したのだった。



 ————が、



「どうして……?」


 廃ビルに残ったはずの泰が、アキの自宅リビングで目を瞬かせる。


「どういうことだ?」

 

 長老が狼狽える中、アキはあることに気づく。


「え? まさか……?」


 甚外がいないことに気づいたアキは、ハッと息を飲んだ。




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