第40話 地下調圧水槽調査チーム

 SETと情報を共有する警察庁は、市川いちかわ警部をリーダーに30名の武装警官と5名の鑑識係、科学捜査研究所の研究員2名、湯川麗子博士、建設省の出先事務所の技術者1名という、卵の調査チームを編成した。武装警官は警護と遺体収容を担当する。


 チームは管理棟から地下調圧水槽の底に向かって階段を降りる。誰もが緊張に押しつぶされそうだった。聖獣戦隊に追われたとはいえ、いつなんどきオーヴァルが戻ってこないとも限らない。


「私、科捜研の水沢みずさわです。ファントムの卵の権威の湯川博士が一緒とは、心強いですよ」


 麗子が列の最後尾を歩いていると隣に中年男性が並んだ。


「権威だなんて、私も卵は二つしか見ていません」


「それが日本で目撃された唯一の卵ですよね。権威に違いありません」


 水沢の関心事はメンバーすべての共有事項だった。耳をそばだて、麗子の声に注目した。


「ジャパン中央新聞社の株主総会会場で警視庁が採取したオーヴァルの肉片の分析によると、細胞壁にはセルロースが含まれていて遺伝子の30%は植物系でした」


「ファントムとは異なるのですね?」と水沢。


「はい。卵も異なるでしょう」


「セルロースを含んでいるので身体が頑丈なのか。しかし、植物ならば少しはおとなしくなりそうなものですが」


「生きようとする本能は、植物も動物も同じだということでしょう」


「生きるとは、人間を襲うということですか?」


 それは哲学的な問いかけに聞こえた。


 階段を下りるメンバーは、水沢と麗子の話の中から自分が安全であるという根拠を探していた。何も知らずに想像を膨らませるより、気持ちが楽になるだろう。


「僕は臆病なんですよ。できたら、こんなチームには加えられたくなかった」


 水沢が言うと全員の脚が止まり、彼を振り返った。


「どうも……」


 冷たい視線を向けられた水沢が亀のように首をすくめた。


「我々は警察なのだ。しっかりしてくださいよ」


 市川が叱るように言った。


「僕は科捜研かそうけんですから」


 水沢の返事に、市川が表情をゆがめた。


 長い階段だった。先頭を歩いていた建設省の技術者が水密ドアの前で足を止めた。


「この外が立坑です」


 彼が配電盤のスイッチを入れる。


 技術者の隣に2人の警官がひかえ、対異種族用に配備されたばかりの自動小銃を構えた。


「開けてください」


 市川が命じた。


 技術者が細心の注意をはらって扉を押し開ける。嫌な臭いが漂ってきた。


「ウッ……」


 麗子は手で鼻を覆った。


 ドアの外にも階段があって、5メートルほど降りたところが立坑の底だった。その中心付近に卵が並んでいた。放射状に幾何学的な模様を描いている。その一部が壊れているのが、聖獣戦隊が戦った痕跡だった。


「これは、100を超えているな」


 市川が声を上げた。


 オーヴァルの繁殖力の強さを知り、背筋が寒くなる。


「こんなにあるのに、どうして自衛隊は気づかなかったのだ?」


 警官が卵を蹴った。それはあまりにも硬く、蹴った足に痛みを与えた。


「コンクリートと同じ色と質感から、汚れやゴミぐらいにしか考えなかったのだろう」


 水沢は自衛隊に同情的だった。麗子も同じだ。機械であれ人間であれ、その調査には限界があるし間違うこともある。特に発展途上の先端科学というのは、そういうものだ。


「遺体だ」


 神殿にも似たトンネルの出入り口付近に死骸が積み上げられていた。腐臭はそこから発生していた。


「遺体の収容と卵の破壊を同時に行う。卵のサンプルは5つ、それ以外はすべて破壊しろ」


 市川の声が反響した。


 麗子はランダムに卵を選び、フェルトペンで1から5までの数字をふった。


「どれ……」


 水沢が腰をかがめ、1番の卵を観察する。隣に麗子が立膝をついた。


「いきなり飛びついてくることはないですよね?」


「ファントムの子供は、最初に見た人間を親だと思うようです。が、卵を見るかぎりファントムとは全く別物ですね。ファントムの卵はゼリー状でした」


 水沢が、コンコンと卵の殻を叩く。


「こっちは石だね。手の方が痛くなる。どれ……」


 彼は卵を取ろうと手をかけた。しかしそれは床に張り付いていた。


「切り離さないといけないな」


 強化ガラス製のケースを置き、背負ってきたバッグから工具を取り出す。


 ――メリッ――


 小さな音がした。床から卵を切り離す音ではなく、卵の殻が割れる音だ。その割れ目から、小さなオーヴァルが顔を出した。


「生まれたぞ」


 同じ声が、あちらこちらで上がった。


「外部刺激で孵化したようだわ」


「それなら、聖獣戦隊とやらが暴れた時から、孵化が始まっていたのだ。逃げよう」


 オーヴァルの顔に得体のしれない不気味さを感じたのだろう。水沢が麗子の腕を取って立ち上がっていた。


「いえ、私は……」


 その場に残ろうとしたが、彼の力は強かった。


「アッ!」


 ベビー・オーヴァルの全身が見えた。実験用のウサギほどの大きさだ。途端にそれが足に飛びついた。鋭い爪を立て、脚を這い上がってくる。


「ヒッ……」麗子の喉が鳴った。


 水沢がしがみ付いたベビー・オーヴァルをむしり取って投げすてる。そして走った。麗子を引きずって。


 警官たちは恐れなかった。生まれたばかりの子供は、それほど小さく、かよわい生き物に見えた。


「なんだ、こいつ」


「踏みつぶせ」


 しかし、蹴り飛ばしてもそれが死ぬことはなかった。近くの別の人間を襲った。


 ベビー・オーヴァルが首を狙って這い上がる様子は、まるでプログラムで動くロボットのようだった。


 ――ギャァー……、幾重にも悲鳴が木霊し、人間がのた打ち回る。


 戦いが長引くにつれ、ベビー・オーヴァルが増えて武装警察の旗色が悪くなる。小さなベビー・オーヴァルに敗けるはずがないという思い込みがパニックを引き起こした。


「撃て。撃ち殺せ!」


 市川が命じた。しかし、その時には多くのベビー・オーヴァルが、警官たちの柔らかい喉を噛み切っていた。


 ――ドドドドド――


 自動小銃の引き金をひけたのは、数名だけだった。しかも弾丸のいくつかは、仲間を貫いた。


 麗子は無事に水密扉にたどり着いた。しかし、水沢の身体には数体のオーヴァルが取付いていて、首の周辺から出血していた。


「逃げなさい」


 血まみれの水沢が、麗子を扉の外側に押し出した。


「あなたも……」そう口にした時には、扉は閉まりはじめていた。


 彼は、ベビー・オーヴァルをむしり取りながら背中で扉を押していた。その英雄的行動はあまりにも素早く、麗子が止める間も、礼を言う間もなかった。


 扉が閉まると、そこには静寂があった。


 麗子はドクドクと鳴る胸を押さえ、冷静になろうと努めた。


 ――ハー、ハー、ハー……、自分の呼吸音だけが閉塞した空間にあった。壁や天井に押しつぶされるような圧迫感を覚えた。


 その時だ。


 ――ギー……、のこぎりを引くような音がした。


「エッ?」


 その音は、ベビー・オーヴァルのものだった。壁面をよじ登ったそれが肩に飛びついてきた。


「いやっ……」


 麗子は慌ててベビー・オーヴァルを両手で握った。それは微笑んでいるような可愛らしい顔のまま、手足をじたばたさせた。


 驚いた勢いで殺さなかったのは研究者のさがだ。思わず夢中になり、ベビー・ファントムをこねくり回して調べた。


 身体こそ小さいが、その生物が人間そっくりの外観をしているのに感心してしまう。手足の指は5本、両足の間には肛門。しかし、ギーギー鳴く口にはすでに鋭い牙が並んでいて、……不思議に思う。生殖器らしいものがない。


 脊椎せきついらしいものもなかった。それはファントムも同じだ。しかしファントムは、哺乳類同様の生殖器があった。感触では、背中側の外皮が固く、腹側が柔らかい。骨格的には昆虫か。……そんなことを考えた時だった。


「痛い」


 観察に夢中になって油断していた。ベビー・オーヴァルは親指の付け根に咬みつくと、見かけによらない強い力で脱出、麗子の腕を蹴って首筋に飛びついた。


「イヤ!」


 恐怖が脳幹のうかんを貫いた。小さな身体をしっかり握ると全力で床にたたきつけ、間髪入れず、ひっくり返ったベビー・オーヴァルの下腹部を全力で踏みつけた。オーヴァルが昆虫に類する生物なら、弱点はそこしかない。


 結果は期待通りだった。ベビー・オーヴァルは口から黄緑色の粘液をはくと、嫌な臭いを発して溶けだした。


 麗子はオーヴァルが溶ける様を凝視していた。床からすべてが消え去ってしまうと安心感から放心した。扉に背中をつけて、ずるずると座り込む。腰が抜けていた。


 人類は、蟻に食われる芋虫に変わった。そう、理性が言った。小さな蟻が、いずれ巨体に変わるのだ。もう人類に対抗する手段はないだろう。……嗚咽おえつが漏れた。

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