Ⅲ章 スピリトゥスが生みし者たち

第24話 オクトマン

 日本に進出したインフェルヌスは、大東西製薬本社の研究所を貸し切っていた。1階部分は研究施設と事務所だが、実質的な研究は何も行われていない。2階部分がエクスパージャーの居住区域になっていた。


『オクトマン、日本の状況はどうだ?』


 モニターに映るのはトアルヒト共和国にいるエルビス・ルイスだった。エクスパージャーを生み出したスピリトゥスの片腕だが、仲間内ではスピリトゥスの腰ぎんちゃくと揶揄やゆされている。


「SET社は我々の懐柔に応じようとしませんが、他社は順調に進んでいます」


 応じたオクトマンのモニターに女性が現れる。スピリトゥスだった。セットされた短髪は日本のサラリーマンのようで、落ち込んだ眼窩がんかの底に光る黒い瞳は、深い失望を見ているようだ。


『オクトマン、頑張っているようだな』


 聖霊スピリトゥスを名乗る彼女は、バイオテクノロジーや電子機器に詳しいだけでなく、世界各国の政治経済状況にも通じていた。情報はエルビスが集めているのだが、それを咀嚼そしゃくし、的確な分析を行っている。


「ありがとうございます」


 スピリトゥスの前に、オクトマンは忠実なしもべだった。


『レディー・メアリのこと、残念だった』


 スピリトゥスはオクトマンの部下のことを言った。メアリはセット社の社葬襲撃に参加して瀕死の重傷を負った。その命は間もなく尽きるだろう。


『問題はSETだ。SETこそが我々の世界戦略のかなめだ』


「社長と副会長を失っても、我々に屈服する気配はありません。が、専務は我々の意向に沿って動いております。近いうちに、私を役員として受け入れるものとみています」


『なるほど。日本に住んだだけあって、日本の営業マンのような言い訳が上手くなったものだ』


 オクトマンは、彼女の冷たい視線から目を逸らした。


『SETの社員がアメリカで動き回り、計画に支障をきたしている。SET懐柔を急げ』


 言葉は厳しかったが、細めた目には愛情が光った。


 通信を終え、オクトマンは寝室に入った。


 ベッドでは瀕死のレディー・メアリと右手を切り落とされたレディー・ミラ、そしてレディー・ソフィアが横たわっていた。


 オクトマン自身も3発の銃弾を受けたが、彼にすればかすり傷だ。


「メアリ、すまなかった」


 オクトマンの手を握り返す彼女の指には力がなかった。


「あ……な……た……」


 わずかな言葉を最後にメアリの命は尽きた。するとその身体が変色し、溶け始める。まるで氷の彫刻が溶けるように。氷と違うのは、メアリの身体は複数の臓器や筋肉で構成されていて、溶ける様はとても禍々まがまがしく臭いことだ。鼻を突くのは酸の臭い。


 メアリの体内から発した酸は、シーツやマットレス、ベッドのフレームまでも溶かし、最後には跡形もなく消え去った。その跡には、彼女を殺した銃弾さえなかった。


 彼女が消えた場所を見つめていると、スピリトゥスとのやり取りが脳裏に浮かぶ。


『……私はSETを見くびっていたようだ。聖獣戦隊という存在を察知できなかったのも私の過ちだ……』


 スピリトゥスの謙虚な態度は一部の部下のあなどりを誘うが、多くの部下の忠誠心を高めた。


「次回は、私がこの命を懸けて聖獣戦隊を抹殺いたします」


『いや』


 なぜ?……オクトマンはそれを声にしない。理由を聞くのは不敬なことだ。


『……戦力を強化しよう。日本は予想以上にしたたかなようだ。レディーたちは、まもなく産卵の時。エクスパージャーの繁栄を確実なものとしてから世界統一に向かっても遅くない。いつまでもお前たちをファントムと呼ばせておくわけにはいかないからな。オクトマンは足場を固めろ。……予定外だがオーヴァルを派遣する』


「オーヴァル……」


。……新たな文明を築くために、今の文明をリセットする存在だ。力は強いが無知なソルジャー。……人も獣も区別なしに襲ってしまう。気を付けなければエクスパージャーといえどものみこまれてしまうだろう。……到着は6月。日本では企業の株主総会が増える時だ。そこでオーヴァルを使え』


 オクトマンは、スピリトゥスのイメージを頭から振り払う。


 自分にプレッシャーをかけるためにオーヴァルを派遣してよこすのではないか?……推理すると信頼が揺らぎ、恐怖が頭をもたげる。


「レディー・ミラ、レディー・ソフィア。我々も油断できないぞ」


 ベッドに横たわる2人の手をそっと握った。


 その日を境に彼は、聖獣戦隊だけでなく、オーヴァルの情報も集めた。


 世界中の国々に潜伏して暗殺活動を行っている仲間から届く情報に聖獣戦隊のものはなかったが、オーヴァルの情報は多かった。彼らの支配地域の拡大と共に人目に触れることが多くなったからだ。彼らはいつも集団で行動し、住民を無差別に殺し、奪った武器を使った。街はゴーストタウンとなり、時に瓦礫や砂漠に変わった。


「彼らは、私たちの同族なのでしょうか?」


 データを前にレディー・ミラが尋ねた。


 動画内のオーヴァルたちは、やや赤茶けた顔に怒りの表情をあらわにし、人々を殴り倒し、踏みつぶして殺す。銃弾が身体にめり込んでも、彼らは平然と前進する。大半のメディアや評論家たちは、オーヴァルが薬物中毒者の集まりではないかと解説していた。


「赤茶けた肌。2メートルを超える身長。とても同族とは思えない。……しかし、スピリトゥスが彼らに与えた使命は我々と同じなのだろう」


 覚える不安を、そう言って抑え込んだ。


「とにかく、早く腕を再生することだ」


 オクトマンはレディー・ミラの傷口に薬を塗った。当初、平面的だった切り口は大きく盛り上がっていて、その先端には小さな手のひらの形をした肉芽があった。

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