第17話 NRデバイス

 農家造りの研究所、小夜子が奥に進んでいく。


「あんなお年寄りが管理者で大丈夫なの?」


 向日葵は声を潜めて訊いた。


「農村では高齢者の方が目立たないので。実は、2人はヒューマノイドです」


「ヒューマノイド?」


「見た目は人間ですが、中身はロボットです。副社長が作られたのですよ」


「ほぇー」


 パパは天才だ!……胸の内で叫んだ。そこがキュッと痛んだのは、大和が死んだことを思い出したからだ。


 奥の部屋は仏間で、その北側に納戸部屋があった。並んでいるタンスは古いものばかり。


 小夜子が一番奥のタンスの引き出しを開けた。そこに隠しスイッチがあり、彼女は暗証番号を入力した。


 ――ゴトン――


 鈍い音がした。タンスの正面にある押し入れの中だ。


「さあ、行きましょう」


 小夜子が促し、襖を開けた。中はエレベーターだった。


「へー、忍者屋敷みたい」


「副社長は今回のような事態を想定して、田舎に研究所を造ったのです。ここは研究所であると同時にシェルターなのです」


 エレベーターに乗り込み、小夜子がボタンを押した。


「でも、暗証番号なんて古臭いわ。どうして生体認証じゃないの?」


「ここを使うのは、人間とは限らないのです」


「なるほど」


 向日葵は、小夜子の腕にそっと触れてみる。人間と変わらない感触、体温がある。彼女もヒューマノイドなのだろうか?


 動き出したエレベーター内は、ホコリや細菌を取り除く設備を兼ねていた。四方八方から強い空気が噴き出した。髪型が乱れドレスの裾が舞い上がる。


「キャー」


 姉妹は悲鳴を上げて、翻るスカートをおさえた。


 地下は近代的な施設だった。廊下にはステンレス製のドアが並んでいる。小夜子はそれらに目もくれず、奥のドアに向かった。向日葵は背伸びをし、ドアについた小さなガラス窓を覗きながら進んだ。どの部屋にも様々な装置が並んでいるが、研究員はいなかった。


「ここがリンクボール・ルームです」


 小夜子が突き当りのドアを開けた。


「リンクボール?」


 ドアの先は大空間だった。部屋の中央には大きなテーブルがあり、左側には人が楽に入れるサイズの金属製の球体が5個並び、配管が伸びている。右側の壁面は電子機器やモニターで埋めつくされていた。


「それがリンクボールです」


 小夜子が金属製の球体を指した。


 向日葵は、リンクボールの上部に窓があることに気付いて、いちばん手前のリンクボールにつづく5段の階段を上った。


「ゲッ……」


 中を覗いて驚いた。そこにあるのは銀色の液体に浮かぶ小夜子の顔だ。目を閉じて眠っているように見える。


 自分を案内してきた小夜子に目をやった。彼女は杏里に研究施設の説明をしていた。


 向日葵はもう一度リンクボールの中を覗き込む。すると、液体に浮かんでいる小夜子が目を開けた。そして視線が合った。


「出た……」


 幽霊を見たように驚いた。腰が引け、階段を踏みはずしそうになる。振り返って小夜子を見ると、彼女とも視線が合った。


「双子……?」


「種明かしをしましょう」


 言葉と共に小夜子の肉体がちりになって崩れ落ちた。


「キャッ」


 杏里が飛びのく。


 塵は床に溜まって小山を作った。


 向日葵は、塵の山の前に屈み、それに触れた。ひとつひとつは宙を舞う埃のように小さくて感触はない。けれど、塊ごとすくうと重量を感じた。


 塵の山の中に異質なものがある。引っ張り出してみると、小夜子が身に着けていたドレスだった。


「なによ、これ……」


 持ち上げたドレスから、サラサラと塵がこぼれ落ちた。


 ――シュー――


 背後で圧縮空気が漏れる音がした。振り返るとリンクボールのハッチが開いている。


「アッ!」


 思わず声になった。ハッチの中から全裸の小夜子が姿を見せた。


 小夜子はリンクボールの淵をまたいで外に出ると、プールから出た時のように頭を振った。髪から雫が飛んだ。


 階段の端のフックからバスタオルを取り、濡れた体をふいた。


「私が人間の嶋小夜子です」


 彼女は向日葵が手にしていたドレスを取って身にまとった。


「あのリンクボールは、3次元スキャナであり、NRデバイスのコントローラーであり、通信ネットワークデバイスです」


 小夜子がリンクボールを目で指した。


「NRデバイス?」


 姉妹は首を傾げ、小夜子は足元の塵をすくい取る。


「この塵の一つ一つがナノマシンとマイクロマシンで、私たちは両方を合わせてナノマシンと呼んでいます。ナノマシンはシリコンチップに特殊なセラミックコーティングを施したもので、その約300万個の集合体がNRデバイスです」


「意味が分からない」


 科学の苦手な向日葵はお手上げのポーズを作った。


 大学で物理学を専攻している杏里はおおよそのことを理解しているようだ。


 小夜子は再び屈み、塵の山の中から10センチ角のきゅーぶを取り出した。


「このキューブがNRデバイスの核になります。AIを内蔵していて特定周波数の磁界を作り、半径2メートル内のナノマシンをコントロールしています。そうやって形状や色、感触まで表現して肉体を作って見せるのです」


「うーん。やっぱりわからない」


 向日葵は髪をかきむしった。


「理屈で考える必要はありません。もう一度やってみますから見ていてください」


 小夜子がキューブを置き、リンクボールに向かった。


 姉妹は後を追う。


 小夜子がドレスを脱いでリンクボールに入る。中のシートに掛けると目の前についた操作パネルのボタンを押した。ハッチが静かにしまる。シートが少し後ろに倒れて、顔が上を向く。のぞき窓の向こう側で彼女が手を振った。


 ――ジュー――


 音がしたかと思うとボールの中が銀色の液体で満たされていく。


 小夜子の顔だけが液体の上に残り、池に浮く蓮の葉のように見えた。


 ゴクンと喉の鳴る音がした。杏里のものだ。


「私はここです」


 突然、姉妹の背後で声がした。振り返ると、さっきまで塵の山だったものが小夜子の肉体を作っていた。

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