第10話 ――南太平洋の島国、トアルヒト共和国――

 「……我が国は小さい。地球環境温暖化の影響で水没しようとさえしている。が、この国には最先端の科学技術研究所がある……」


 トアルヒト共和国建国50年記念式典、独裁者ブエルド・トトが、サッカースタジアムに設置されたステージ上で身振り手振りも豊かに弁舌を振るっていた。それを見つめるのは仮面の貴公子と呼ばれる息子、カマエル・トト。


 幼いころに顔に大火傷を負ったカマエルは、人前では常に顔全体を覆うマスクをつけていた。10歳になると先進国の寄宿学校に留学したために、彼の様子が国民に向けて報じられたことは一度もなかった。


 彼が帰国したのは3年前。20年ぶりのことだった。ブエルドは息子が自由に暮らすことを認めたが、稀に国民の前に姿を見せることを求めた。彼が自分の後継者であることを印象付けておこうと考えてのことだ。その日の式典も、そうしたイベントのひとつだった。


 帰国したカマエルは研究所を設立し、そこに籠ってバイオテクノロジーの研究にふけっていた。これといった成果を発表することはなかったが、スポンサーは独裁者の父親だ。湯水のように税金が注ぎ込まれ、研究が中断することはなかった。


 彼は、研究が続けられることに感謝していたが、他者を暴力と金で支配する父のやり口には憤り、軽蔑さえしていた。民主主義国で学んだことで、そうした価値観が身についたのだ。


 半月前のこと、カマエルは研究成果を父親に披露した。DNAを操作して作り上げた人工生命体だ。ブエルドは狂喜した。トアルヒト共和国は世界最強の軍隊を手に入れたも同然だ、と……。


「……世界は、我々の科学技術の前にひれ伏すだろう。我々の島が海に没しようとも、我々は新たな大陸を手にれることができる。……トアルヒト共和国は永遠に不滅だ!」


 ブエルドが拳を振り上げる。


 ――ウォー……、観衆が気勢を上げた。


 その時だ、ステージ上に不意に人影が現れた。全身、黒ずくめの影そのもののような人物だ。


 ブエルドはもちろん、警備兵たちも幻を見たように眼を瞬かせた。観衆は息をのみ、会場がシンと静まった。皆、影の動向に注目した。


「人類を粛清しゅくせいする」


 影がそう言った。刃物のように感情のない声だ。


「ン?」


 ブエルドが目を丸くした。刹那、彼の胸にやいばが突き立てられた。それはまるで、影の中から銀色の槍が突出したように見えた。


 ――グェ――


 ブエルドの短いうめきをマイクが拾った。


 警備兵たちがステージに駆け上がって銃を抜いた。しかしその時、暗殺者の姿は幻のようにかき消えた。警備兵が銃口を向けた先には観衆の姿があって、ついに引き金を引くことがなかった。


 ブエルドの割けた心臓から噴出した血液はステージを赤く染めた。会場が悲鳴の嵐にのみこまれた。


「父上!」


 カマエルはステージに駆け上がり、血に染まったブエルドを抱きかかえた。彼は既にこと切れていた。


 父親の遺体が会場を出るのを見送った後、彼はマイクの前に立った。会場に並ぶ面々は、カマエルが何を言い、何をなすのか固唾かたずをのんで見守った。


「父は神に召された……」


 貴公子のような沈着冷静な態度と声音が会場の、あるいはテレビを視聴している国民の聴覚を刺激した。優しく、心強く……。


「……父は独裁者であった。その父が倒れた今、独裁政治は終わった。我が国でも選挙を行おう。国民の声を私は聞きたい」


 彼は選挙を行うと宣言した。そういう意味では父親同様、彼も独裁者だった。そうやってカマエルは、父親の全てを相続した。富も、名声も、権力も……。


 多くの国民は独裁者が他界したことを喜び、カマエルが大統領の席に着くことを歓迎した。彼らは暗殺者をファントムと呼んで密かに讃えた。そうした民主化の動きを、国際社会は歓迎した。




「よくやってくれた。エルビス」


 大統領の椅子に掛けたカマエルは生真面目な顔を机の向こう側に立つエルビス・ルイスに向けていた。


「ハッ、すべて、主の予言通りに事が進んでおります」


「私は安定的な地位と富を得た。これからは君たちの力を借りて世界を変えよう。この沈みゆく共和国だけでなく、森羅万象を守るために」


「ありがとうございます。そのためならこのエルビス・ルイス、命を捧げて主の手足となりましょう」


 彼が深く頭を下げた。


「頼む。まずは、世界中に仲間を送り込み、力を得て仲間を増やすことだ」


「その手はず。このエルビスにお任せください」


 そう応じ、エルビスが大統領執務室を後にした。

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