第24話 模擬レース

 同時刻。

 C‐1厩舎の育成馬を預かる六畝哲弥は、華台グループから集められたモーリス産駒の調教データと睨めっこを続けていた。


「映像を見る限りでは、サンデーのクロスあるなしに関係なく、似たような傾向が出ている」


 馬体をよく見せ、

 走ることに対してとにかく前向き、

 早い時期から使えなくもないが、成長して馬体がしっかりしてくる3歳秋以降に照準を合わせた方がいい。

 と、ここまでは哲弥も同じ印象を受けていたのだが。


「マイル戦だと忙しい気がする……か」


 他の厩舎や牧場関係者との意見交換会で。

 モーリス産駒は行きっぷりが良すぎて制御が難しく、マイルを使うくらいなら一気にいけるスプリントか、自分のペースに持ち込みやすい2000m前後がいいのではという意見があったのを、哲弥は見過ごすことができなかった。

 競馬というスポーツはリレー競走と同じだと言える。

 生産牧場から渡されたバトンを、いかにいい状態で、最後のアンカーである調教師に託せるか。

 レースで勝てるかどうかは、生産・育成・レース出走に向けた仕上げの部分で、どれだけ他より差をつけているかで決まる。


「モーリス産駒の育成はどこも手探り状態。だからこそ、こっちとしてもやりがいがあるんだけどね」


 目の下にクマを作った哲弥が微苦笑する。

 モーリス産駒の特徴をいち早くつかんで、日々の訓練に即時反映させる。それが自分の仕事だ。ここを間違うとせっかくの才能を潰してしまう。


「やっぱりここは、実戦形式でレースをさせてみるにかぎる」


 調教の時だけ抜群の動きを見せ、本番になるとまるでダメなんて話はごまんとある。

 サンリヨンの2018が調教番長でないことを祈りながら。

 哲弥はパソコンに向かい、スケジュールの調整に入った。


            ☆            ☆


 正月休み明け。

 調教が再開されると、後日、小頭数での模擬レースをやることが言い渡される。


「ダート800m(左)の7頭立て。キッドやエージが入っていないのは、まだハードな追い切りができる段階じゃないからだろうな」

「2枠かぁ。ヴィエリが6枠、シャルルが7枠なのはこれ喜んでいいのか……?」


 出馬表を見た航が微妙そうな顔をする。


「枠的には前に行くしかねえだろ。小頭数でも外から被せられると、身動きが取れなくなるぞ」

「それは重々わかってますけど――――でもそうすると、外枠のヴィエリとシャルルは当然こちらの動きを見ながら位置取りをしてくるだろうし」


 コースや距離、馬場状態にもよるが、ダート戦は基本内枠先行馬が有利になる。

 なので、この枠順を見ただけで各馬がどう動いてくるか容易に想像でき、レース展開が読みやすい。


「どうやって決めたんだろ?」

「枠順をか?」

「くじやサイコロを振って決めたにしては、いささか出来すぎな気が……」

「なるほど。そいつは盲点だったな」


 厩舎長の手が介在してるなら、どうしてそんなことをするのか?

 わざわざレース展開を指定してきたのだからそれ相応の理由があると見ていいだろう。

 レースは前目につけた航の直後にヴィエリとシャルルが位置取り、外目の好位から抜け出す、まぎれが起こりづらい展開になることが予想されるが。


(そういうことだったか!?)


 実力が近いと思しき馬を集めて、どれだけ脚を使えるか測ることで。

 育成調教法が確立していないモーリス産駒の勝ちパターンを調べ上げるつもりだと、哲弥の真意に気づいた八肋。

 サウザースタッフの仕事の熱心さには驚かされるばかりだ。


(いい人間に恵まれたな)


 八肋は今さらのように実感する。サウザーファーム空港に来たことは間違いじゃなかったと。


            ☆            ☆


 カレンダーの日付が2月に変わり、いよいよ模擬レースの日を迎える。

 屋内1000m周回コース出入り口にスターティングゲートが置かれ、出走馬7頭は内の奇数馬番から入っていくと、次いで偶数馬番も内から順に枠入りしていく。

 ダートは内枠有利であっても、先行できなかった場合、馬群に包まれる危険性が極めて高い。

 包まれたら終わりだと理解している航は神経をとがらせる。


「なに普通にやりゃ包まれるこたあねえよ。マルシェを相手にするわけじゃねえんだ。余裕を持って出たって、お釣りが来るくれえだ」


 少しナーバスになっていたところに八肋の声が。

 それもそうかと航は安心した。

 最後に大外枠のシャルルがゲートに収まり態勢完了――ゲートが一斉に開いた。


「よしっ、ドンピシャ!」


 自分でも惚れ惚れするようなタイミングで勢いよくゲートを出た航。

 だがその直後。


「ごめんっ!!」


 あからさまに航めがけて。

 1枠の青鹿毛馬が思いっきり体をぶつけてきた。

 不意打ちを食らった航がバランスを崩しながら右にヨレ、さらには――


「危ねえな! 気ィつけろよ!」


 あおりを受けた3枠の馬にも接触。両サイドの馬に挟まれる格好になる。

 航はなんとか体勢を立て直して、前付けを試みるが時すでに遅し。

 外枠の4頭がスッと内に切れ込んで、あっという間に馬群に呑まれてしまった。


(やってもうた……)


 スタートで大きな不利を受けた航。

 先行争いをするどころか、完全に前が壁になって、思うように進路が取れない。


「ざまあねえな」


 わざわざ後方に下げて、航が外へ持ち出すことができないように横につけたヴィエリが白々しく言う。


「まさか!? お前の差し金か!」


 ゲートを出てすぐ1枠馬の不可解な言動。

 あれがヴィエリの指示によるものだと今はっきり確信した。


「言ってたよな~~てめえ――」


 ヴィエリの声色がおどろおどろしいものに変わり。


「――俺のことを『鈍足』だって!」

「まだ根に持ってたのかよ!?」


 ヴィエリに言われて。

 何もかも身から出た錆だと航は理解する。


(相当むかついていたんだな。会った初日、瞬発力が乏しいと言われたことが)


 だからヴィエリは強引にでも日本血統馬の土俵であるキレ勝負の展開にする腹積もりなのだ。

 自らの失言が招いた事態とはいえ、まさかこんな時にこんな形で返ってくるとは思ってもみなかった。


「んじゃ、俺も参加するぞっと」


 面白そうな勝負の匂いを嗅ぎつけ、シャルルまでも下がってきた。


「部外者はすっこんでろ!!」


 と、ヴィエリがものすごい剣幕で一喝。


「へーい」


 さすがにお呼びでないと空気を察したらしく、シャルルはすごすごと後退していく。


(これで不確定要素はなくなった。十中八九、上がり勝負の後傾戦になる)


 外目中団から前をうかがおうとしていたシャルルが最後尾に控えたことでペースが緩み、先頭をいく5枠ダイワメジャー産駒のカンクロウからシャルルまで5馬身圏内の団子状態でレースが進む。


「こうなっちゃったかー」


 レースは哲弥の思惑から外れ、スローからの決め手勝負に。

 一口にスローペースと言っても、後半部分から徐々にペースが上がっていくタイプと、ゆったりとしたペースのまま、すべての馬が余力を持って直線に入るタイプの2種類ある。

 前者は長くいい脚を使うことが、後者は瞬時に速い脚を繰り出すことが求められる。

 哲弥はレースの展開を注意深く観察して、サンリヨンの2018の適性を見極めることに努めた。



 コーナーが目前に迫り。


「どうやって馬群を捌くか。今のうちにある程度イメージしとけよ」


 このままでは内で包まれた状態で最後の直線に入ることは明々白々。

 八肋が直線の入り口に向いた時の位置取りをどうするか決めておくよう助言する。


「前が開くまで内目で我慢してもいいし、直線に入ってから大外に持ち出してもいい。とにかく無計画のまま直線を迎えるのだけはだめだ」


 そうなる前に手を打てと八肋。

 航は抜け出すタイミングを探りながら、横を走るヴィエリと前を塞いでいる先行馬の動きに目を光らせる。

 馬群が一塊のまま3コーナーに入ると、先んじてヴィエリが進出。

 外を回って先行集団を捕らえにかかる。

 これを機と見るや、航は冷静に内から少しずつ外に持ち出していく。


(直線の短いコースで進路が空くまで待つなんて、そんな悠長なこと言ってられっか!)


 最後の直線で前が壁になることを見越し。

 多少距離をロスしようが外目を通ることを選択。

 道中ヴィエリを前に置くような形で追走すると、時が来るまで追い出しを我慢する。

 今までの経験からヴィエリは小回り――それも右回りの小回りコースとなると、加速にもたつき、スムーズにコーナーを回れないとわかっている。

 右回りほどではないにしても、ヴィエリのような大型馬が、勝負どころでスピードを上げながら外からコーナーを回れば、遠心力で外に膨らむこと必死。


(だからそこを突く!)


 残り300。前の各馬が促される中、航は先行集団の一列後ろで脚をためる。

 そして、3コーナーを過ぎたあたりで、ヴィエリが外から先頭に並びかけていったのを確認すると、横並びの3頭めがけてスパートを開始。

 外を併走する3枠の鹿毛馬を追い抜き、最終コーナー出口で一番外を回るヴィエリに狙いを定めると――


「ここだぁぁああ!」


 一瞬空いたスペースに頭をねじこみ、力づくで狭い間を割って出た。

 ヴィエリから先頭を奪った航は、このまま勢いに乗ってさらに突き放そうとするが。


「この程度で――舐めるなァァァ!!」


 直線に向き。

 再加速したヴィエリが、砂埃を巻き上げながら、航以上の脚色で伸びてきた。


「やつはスタートしてから一度も手前を変えてねえんだぞ……」


 いくらパワーがものをいうダートとはいえ、手前を変えずにこれだけの上がりが使えるとは。

 ヴィエリの成長ぶりに、八肋は息を呑んだ。

 一度気持ちが切れてしまうと走れなくなるフランケル産駒。

 哲弥はメンタル面をケアすることが一番重要だと考え、

 常にピリピリしていたヴィエリを、強調教をする時だけサンリヨンの2018と引き合わせ、それ以外の時間はリラックスできる環境下に置くことで、オンとオフを使い分けることを地道に教え込んだ。

 その結果、ムラッ気が改善し、去年まであった航との力の差は完全に逆転していた。

 粘る航と追うヴィエリ。

 勝負はこの2頭の一騎討ちになるかと思われた次の瞬間――

 大外から黒い影が跳んでくる。

 一頭別次元の脚で伸びてきたシャルルは、直線200mだけの競馬で全馬まとめて差し切ってしまった。

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