身勝手な予告状6
トイレから戻ると、汐音の前に誰かが座っていた。
その後ろ姿を見て、私は思わず引き返しそうになるも、その人物には背後にも目がついているかのように、振り返ることなく、話しかけてきた。
「先生。今日朝からずっーと連絡しているのに、シカトするっていうは、あまり感心しませんね」
逃げ道を塞ぐように、那奈が私の背後に立った。
振り返って見てみれば、那奈は別に道を塞いでいる訳ではなく、私の担当編集に商品を持ってきただけのようだ。
那奈の持つお盆の上に乗っているのは、かなり甘そうな、コーヒーの上にこれでもかと生クリームが載せられた商品だった。
甘党の彼女らしい選択だなと思いながら、諦めの境地で彼女の横に腰をおろした。
那奈は担当編集の前に甘々コーヒーをセットすると、ごゆっくりとカウンターへと戻っていった。
「で、先生、進捗の方はどうですか?」
暑くはないはずなのに背筋に嫌な汗が流れた。
当然プロットどころか、なんの設定資料も上がっていない。
なんせ、何を書くのかすらまだ決めていないのだ。
「もしかしてこれは設定資料ですか?」
何も答えない私の答えを待つことはなく、広告裏に記された、脅迫状の推測をキラリとメガネが覗き込む。
「あっ、それは……」
担当編集の陽子さんは、広告裏を一瞥した後、こちらに顔を向けた。
「まさか、ミステリーを書くつもりですか」
断片的な情報だけで、私と汐音がしていた事は理解してしまったようだ。
さすが敏腕編集者。
「えっ……いや、それは」
ここで否定したらどうなるだろうか?
あくまで私は恋愛小説家として売っている。
もちろん次回作も恋愛小説を書くつもりだったけど、否定をするということは、ただ遊んでいましたと白状するようなもの。
ともなれば……もうどうにでもなれ!
「そ、そうなんです!路線変更して、ミステリーにも手を出してみようかなと思っていたんですが、どうも勝手がわからなくて」
適当についた嘘なのにペラペラと回る口に自分でも驚愕する。
「そうですか……」
もちろん。編集部としては私がミステリーを書くことには反対するはずだ。
だって、あくまでも世間から必要とされているのは、私が書く恋愛小説。
勇利愛華のミステリーなんて誰も必要としていないのだ。
少し俯いて考えるような仕草を見せたあと、陽子さんは顔をあげてこういった。
「あり、だと思います。先生がやりたいと言うのなら、私が編集長を説得します。してみせます!」
レーベル的にそれは良いのだろうかと思いつつも、でまかせが現実になろうとしている事に軽く目眩を覚え、陽子の横の席に腰をおろした。
「さっそくですが、この設定資料を元に軽く打ち合わせをしましょう。手ぶらでは帰れませんので」
言って陽子は広告裏を指し示す。
それ、設定資料でもなんでもないんだけどね。
「まず、これは日常の謎でしょうか?」
「そ、そうね日常の謎……になるのかしらね」
ありもしない架空の設定資料のでっち上げに汐音は笑いをこらえて下を向いている。
元はと言えば汐音がこんな話を持ち込んできたからこんな事になってというのに……
「でしたら、まずはトリックから考えるのが妥当でしょう」
「それなら、こんな物がありますよ」
そう言って半笑いで汐音が取り出したのは、私の鞄に入っているはずの三枚の脅迫状。
「ちょっとちょっと!」
割って入ってなんとか止めようとするも、先に陽子が脅迫状を受け取ってしまった。
「小道具から制作したんですか……ありだと思います」
私はこの現状に、軽い頭痛を感じて、思わずこめかみを抑える。
「あー、この脅迫文、経済新聞を使用しているんですね。先生経済新聞なんて読みましたっけ?」
そんな事を陽子は言った。
「いいえ。経済新聞は読みませんよ。というか、活字を見ただけでそんなことがわかるんですか?」
どこにも新聞の銘柄を特定するようなヒントは脅迫状には描かれていない。
脅迫状を制作した、本人以外にそんな事がわかりうるのだろうか。
「わかりますよ。どこの新聞社も見出しに使われているのは、明朝体で共通していますが、微妙に違うんです。なにかあれば良いのですがさん……あっ!」
カウンター横にある新聞紙のラックを発見して、陽子はパタパタとかけていき、何社分かの新聞紙を持って戻ってきた。
「これを見て下さい」
株価大暴落と、あまり景気の良いニュースとは言えないが、陽子が見せたいのはそこではないらしい。
陽子が指を指したのは、どの新聞紙にも載っている暴落の『暴』の部分だった。
「あっ、本当だわ」
たしかに同じ明朝体なのだけど、どれもが微妙に違っている。
「よくこんな事知っていましたね」
陽子は恥ずかしそうに、俯きながら答える。
「活字中毒なので」
編集者らしい返答だった。
どちらにせよ、脅迫状に経済新聞が使われていたと言う事は、犯人特定のヒントになりうるかもしれない。
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