2. 再転移、迷宮の底で

 マサキの魔法による深紅の光の収束後、ぼやけた視界が徐々に鮮明に世界を認識し始める。

 微かに香る土の匂い、凸凹した地面の感覚。明らかにリオーネの屋敷ではない。


「ここは…なんだ?」


 ポツリと呟いたが、反応する者は誰もいない。それどころか生物の片鱗すら見えない。

 周りを見渡してみても土壁が延々と続くだけ。

 天井もあるのでここは洞窟か何かの中のはずなのに、松明なんかの灯りが無くても辺りが妙に明るいのが奇妙だった。

 道は前方と後方に続くだけで横道なんかは無い、いわば一本道。

 下手に動かない方が良いと判断し、すぐに来るであろうクラスメイトたちを待つことにする。


「全然来ないなぁ…」


 この空間に来てから十分、二十分、三十分…と時間が過ぎていった。しかしクラスメイトたちがこの空間にやってくることはなかった。


 考えられる可能性は二つ。

 一つはマサキたちが転移できずにリオーネに捕まった可能性。

 そしてもう一つは、転移は成功したが俺とは全く違う場所に転移してしまった可能性だ。

 できれば後者であって欲しいが、確かめる術は無い。

 ずっとこの空間にいる訳にはいかないので取り敢えず前へ進むことにするが、どこか不安感は拭えない。

 この状況で魔物なんて出てきたら確実に死ぬだろう。だって俺、魔法使えないし!


 少し肌寒く感じてきたので今まで手に持っていたロングコートを羽織る。

 思えばこのコートを取りに戻らなければこんなことに巻き込まれずに済んだのだ。

 今ごろ親父は俺のことを心配しているだろうか?帰宅部の俺はいつも学校が終われば真っ先に家に帰っていたし。

 今の時刻はだいたい六時半くらいだろう。腹も少し減ってきた。…なんか惨めだな。


 そんなことを考えながらだいたい三十分は歩いた。しかし延々と続く通路には終わりが見えてくる気配はない。

 地図なんて無いので横道もなく一本道なのは助かるが、さすがに終わりが見えないとなると不安になってくる。

 魔法も使えないし、体術の一つも知らない。頼むから何も出てこないでくれよ…


 ん?待てよ?さっきマサキが俺に言ってきたのって……

 

 ここで別れ際にマサキが言っていた妙な言葉を思い出す。

 マサキは俺を転移させる際に、『じゃあね』と言ってきた。

 もし俺とマサキたちの転移先が同じなのであればすぐに再会することになるだろうし、じゃあねなんて言葉を使うはずがない。

 となればマサキは転移先の予想がついていたのではないか?

 転移先の予想がつかない転移魔法なんて使い物になるのか?──例えここが何も知る場所のない異世界だとしても。

 じゃあこの場所は一体なんなのだ?

 その正体を確かめようと更に歩き続けると、やがて一本道は終わり、巨大な空間となっている場所へと辿り着いた。空間の先は少し薄暗くて見えづらい。


「なんだここ…」


 呟いた言葉は前方に広がる広大な空間へと吸収されていく。


 ──その時だった。

 俺の背筋を今まで感じたこともない悪寒が通りすぎた。

 突然の出来事、全身の毛が逆立つのを感じる。


「…なんだ?」


 その悪寒の正体はすぐに判明する。


「よくぞここまで来たな…」


 この声の主から発せられる殺気だ。

 こんなところにいるなんて普通じゃないし、もし戦闘になるのだとしたら勝負にすらならない相手だってことはわかる。

 逃げるなら今のうちだ。

 しかし足がすくんでしまって動くことができない。

 その瞬間にも空間の奥にいる何者かは前進し続けているのを感じられるのに。


 こわい。


 込み上げてくる言葉では言い表せないほどに底知れぬ恐怖。

 先ほどまでは魔物と遭遇することも無かったので余裕があったが、実際得体の知れない者と対峙してみると、死への恐怖が心を怖じ気付けさせる。

 日本にいる時では絶対に感じることがない感覚に冷や汗をかきながら、目の前の者が何をしようとしているか状況把握をしようとするも、緊張しているのか上手く頭が回らない。

 俺はただただ目の前の存在が姿を見せるのを待つ他なかった。


「あ、ああ…」


 ようやく声の主の全貌が確認できるほどまで距離が縮まったが、その姿に思わず情けない声を漏らしながら後退りをしてしまう。


「ド、ドラゴンだ…!」


 そう、よくおとぎ話なんかで聞く西洋風のドラゴンがそこにいた。

 一枚が掌程の大きさの鱗に覆われた、真っ赤で洗練された肉体を持つ四足歩行の竜。

 特筆すべきはその胸中に埋め込まれた紫色に輝く石だろう。

 その威厳ある風格に思わず身震いする。

 もしこのタイミングで尿意があったら、間違いなく漏らしていた……


 しかし、目の前の竜の予想もできない言葉によって、緊張は一気に解かれるのだった。


「お主が…ワタルだな?」


 驚かざるを得ない。

 この世界で俺の名前を知っているのはクラスメイトたちとリオーネ、そしてリオーネの傍らにいたミラという女性だけのはずなのに。


「そうですけど…」


 俺は警戒しつつ目の前の赤竜を見つめる。

 敵対心が無いのはわかったがどうしてもその禍々しい外見に怯えた対応をとってしまう。


「我はお主をずっと…ずっと待っていたのだ」


 赤竜は感激したように声を震わしている。

 俺を待っていた?俺はたった今この世界に来たばかりなのに?

 明らかに目の前の赤竜の発言はおかしい。


「あの…俺を待っていたとは…?」


「ああ。お主がここに来ることは四百年前から予言されていたのだ」


「よんひゃく!?なんでそんな昔に俺が?」


 赤竜の予想外の発言に思わず素っ頓狂な声をあげてしまった。

 四百年前となるとだいたい江戸時代前期くらいか?

 もちろんそんな時代に俺が存在しているわけはない。


「四百年前…未来視の紋章魔法アイデントスペルを持つ勇者が、第二十三代魔王…レヴィオンを葬る者を捉えたのだ。それがお主、ワタルなのだよ」


 未来視の紋章魔法アイデントスペル…確かにそんなものがあるのならば俺のことを知っていてもおかしくは無い。

 しかし何故俺なんだ?魔法も使えない、この世界では一般人以下の人間だぞ?

 それが将来魔王を倒す?やっぱり俺には特別な力があるのか??

 そして魔王と聞いて思い浮かぶのはリオーネだ。しかし名前が違うのであいつは魔王ではないのだろう。

 いや、代があるみたいだしリオーネは先代魔王とかの可能性もあるのか?

 …にしても聞いておかねば。


「魔王…?を葬るなんて…紋章魔法アイデントスペルも使えない俺にできるものなんですか?」

 

 未来視で俺が魔王を葬る未来が見えたというなら、それは確定された未来ということだ。

 だが今の俺にとっては魔王じゃないリオーネですら強敵。

 そんな俺が魔王を倒せるとは思えないし、魔法以外の特別な手段があるとするならば聞いておきたい。


「今なんと?」


 俺の発言に赤竜はその長い首を傾げた。


「え?だから紋章魔法アイデントスペルも使えない俺に魔王なんかを倒せるのかって」


紋章魔法アイデントスペルを使えない!?紋章を見せてみろ」


 驚いたように叫ぶ赤竜に促されて、俺は胸に意識を集中させて紋章を顕現させた。

 現れた俺の紋章は相変わらず他のクラスメイトたちのものとは違って紅く輝くことはなく、灰色のまま。そのせいで一つだけ蒼く輝く小円がよく目立つ。


「これは死人の紋章コープスアイデント!?なら本当に魔法が使えないということか……」


 赤竜は今度は首を下げて落胆の表情を示す。

 やはりこの世界では魔法を使えない人の方が珍しいらしい。


「この四百年前の間に…虚空ホロウの封印が解かれてしまったということか…?」


虚空ホロウ?」


 赤竜の独り言から漏れたその言葉は、あまりに重要な響きを含んでいるように聞こえた。


「知らない…か。やはり封印はそのままか?まあいい。お主ここまでは一人で来たのか?」


 赤竜は何やら自問自答を繰り返しているが、自己解決したようで俺に質問を投げかけてきた。それに俺は「ああ」と返す。


「よく魔法が使えないのに、一人でここ…メルクリア大迷宮の最下層までこれたものだな。さぞ身体能力に自信があるのだろう?」


 この赤竜の発言で気づく。

 本来この赤竜に会うための前提として、今いるメルクリア大迷宮とやらを攻略しなければならなかったらしい。

 迷宮攻略ともなると当然実力が必要になる。それこそ辛うじて魔王を倒せるくらいの。

 赤竜はそれを踏まえて今の俺の実力を捉えているのだ。だとしたら赤竜をガッカリさせてしまうことになる。

 まあ、いずれそれくらいの実力になるのかもしれないけど。


「ここは迷宮の最下層だったのか…残念ながら俺は転移魔法でここに来た。迷宮の攻略なんてしてない」


 赤竜のフレンドリーさに、自分がいつの間にか敬語を使わなくなっていることに気づいたが、特に問題はなさそうなのでそのまま会話を続けることにする。


「じゃあお主は…魔法も使えぬ一般人ということか…?」


 再びの落胆。その声音は震えている。


「まあ…そうだな。そもそもこの世界出身じゃないし」


「っ!?ならお主は神々の次元…第一次元から来たのか!?」


 神々の次元…はなんのことかよく分からないが、心当たりはある。

 俺がリオーネの前に転移する直前に見た白一色空間だ。


「ああ…あの白一色空間のことか?確かに俺はそこからこの世界に来たが…その白一色空間は経由しただけで、俺がいた世界はそんな、神々の世界とか言うほど大層なもんじゃなかった」


 赤竜はフムフムと首を縦に振りながら俺の話を聞く。

 リオーネといい、目の前の赤竜といい、神々の次元とやらはだいぶ凄い所なのだろう。


「どうやってこの世界に来たかは分かるか?」


「ああ。リオーネとか言う奴に、恐らく転移魔法でこの世界に転移させられたんだ。儀式とかなんとかって言っていたな」


「リオーネ…あやつまだ生きておったか。まあ事情は分かった。それでお主にはやってもらいたいことがある」


「なんだ?」


 赤竜は改まって深刻そうな表情になった。竜のくせに随分表情豊かな奴だ。

 しかし赤竜がリオーネを知ってるということは少なくともリオーネも四百年以上生きてることになる。不老不死の種族とかなのだろうか。


「この奥に…神々封殺杖剣エクスケイオンという名の剣が突き刺さった台座がある。そこから神々封殺杖剣エクスケイオンを抜き取ってもらいたい」


神々封殺杖剣エクスケイオン?」


 なんだか、甘美な響きだ。


「アルテナ五大古代秘宝と呼ばれる強力な魔道具の一つだ。それを使えば封印解放直後の弱ったレヴィオンならきっと…倒せるはずだ」


「アルテナ?」


 聞いたこともない単語ばかりだ。異世界に来たのだから無理もないだろうが、当然知ってるかの様に話すのはやめてもらいたい。


「ああ、アルテナとはこの世界のことだ」


 地球、みたいなもんか。


「はあ。つまり神々封殺杖剣エクスケイオンとやらを使って、魔王レヴィオンを倒してくれと。でも俺には力がないぞ?本来なら迷宮を突破できるくらいの実力がいるんじゃないのか?」


「ああ。そのはずだったが…時間がないんだ」


「そうなのか…まあできる限りはやってみるよ。でも…別に俺がやらなくてもアンタがやればいいんじゃないのか?」


 よく考えてみれば、赤竜の力を持ってしても倒せない敵なのならば、俺なんかが魔王を葬れるとは到底思えない。

 もしも魔王が今の俺でも倒せるくらいの実力ならば、目の前の赤竜でも倒せそうなものだが。


「…我はこの場所の守護者だ。この場所から動くことは叶わん。それにほとんど力が残されていないのだ。我は四百年間…お主を待つためだけに配置された…木偶の坊なのだ」


 赤竜は悲しげに目を伏せた。

 四百年間、誰にも会わずこの薄暗い空間に一人きり。とても孤独で辛かっただろう。

 同情する。大人しく言うことを聞いてあげよう。


「そうか…わかった。それと、質問ばかりで悪いがお前の胸に埋め込んである石は何だ?」

 

 神々封殺杖剣エクスケイオンとやらで魔王を倒せ。そんな赤竜の言葉を軽率に了承しながら、俺は赤竜の胸部に埋め込まれている紫色の石に目を向けた。

 薄暗い空間内でもやけに綺麗に輝いていて、興味をそそる。


「これは魔石と呼ばれるものだ。魔族や魔物の胸に近い位置にある」


「魔石?心臓みたいな物か?」


「いや、実はこれが無くても生きてはいけるのだ。魔法が使えなくなるがな。いわば、魔力の塊みたいなものだ」


「へえ」


 てっきりそこが急所だと。

 予想とは違ったが、魔石が無くなれば魔法を使えなくなるというのなら魔王の魔石を集中的に狙う価値はある。いや、魔石は竜みたいな魔物にしかないのか?


「まあ、付いてこい」


 赤竜は踵を返し、空間の中央目指して歩きだした。

 俺はそれに付いていく。


「これだ」


 しばらく進み、赤竜は立ち止まると前方を指し示した。

 そこにあったのは一辺一メートルほどの石の台座に突き刺さった、一本の剣。輝く銀色の刀身に、深い藍色の柄がよく似合う。

 たった今磨き終わったと思えるほどの神々しい姿に思わず息を呑んでしまう。


 ただそこにあるだけで周囲の空気が違って見える。

 赤竜と会った時もそれに似た空気の揺らぎを感じたが、それはイメージするならば恐怖だった。

 しかし神々封殺杖剣エクスケイオンが放つイメージは畏敬。何か神そのものと対峙しているかのような神秘的な雰囲気を纏っている。

 そんな神々封殺杖剣エクスケイオンが眠る台座に、恐る恐る近づく。


「これが…神々封殺杖剣エクスケイオン


 手で触れる距離まで近づいて、更に深々と感じられるそのシンプルな見た目とは裏腹な仰々しいオーラに当てられ、慄く。

 ──俺なんかがこの剣を握って、いいのか?

 そんな単純な疑問、自分を卑下する言葉が湧いて出てくる。

 しかし、神々封殺杖剣エクスケイオンが俺を拒むようなことはない。

 待っていた。四百年もの間、赤竜と同様、俺のことを。


 何も考えず…考えることができず、その柄を握りしめ、一気に引き抜く。

 剣は特に力をいれることなく、その全貌を現した。

 迷宮内の薄明かりを反射してキラキラと輝くその姿は、これを使えばどんな敵でも倒せると思い込ませるほどの魔力がある様に感じた。

 

「これは…紋章?」


 俺が神々封殺杖剣エクスケイオンを引き抜いたとたんに浮かび上がってきた深紅の魔法陣。

 武器にまで紋章があるとは驚きだ。


「ああ。紋章がある道具のことを魔道具と言ってな。神々封殺杖剣エクスケイオンは特別だ。それでは認証を行おう。神々封殺杖剣エクスケイオンの紋章とお主の紋章を重ね合わせてみるのだ」


「認証?」


 赤竜は相当急いでいるのか軽い用語の説明も行わずに話を続ける。


「言わば持ち主登録みたいなものだ。それをしなければ神々封殺杖剣エクスケイオン紋章魔法アイデントスペルは使えない。逆に言えばそれをした者のみしか神々封殺杖剣エクスケイオンの魔法は使えないのだ」


「なるほど、こうか?」


 俺は言われた通りに神々封殺杖剣エクスケイオンの紋章と自分の紋章を重ね合わせた。

 すると双方の紋章が一瞬煌めいたかと思えば、またすぐに元の状態に戻る。


「それで認証は完了だ。そして《エクスケイオン》の紋章魔法アイデントスペルは『神光支配ハロドミニオ』と呼ばれるもの。神々封殺杖剣エクスケイオンにもっと意識を集中させてみろ」


 言われるがまま更に神々封殺杖剣エクスケイオンに意識を集中させる。

 すると神々封殺杖剣エクスケイオンから白色の煙のようなものが漂い始めた。


「それだ。自身の全身に纏うようなイメージをしてみろ」


「わかった」


 まだ何が何だかあまり理解していないが、赤竜に言われた通りのイメージを試みる。

 神々封殺杖剣エクスケイオンから溢れる白色のオーラは徐々に刀身を覆い、やがて俺の体全てをも包み込んだ。


「おお…」


 特にこれといって何か変わったような感覚は無いが、自身を包み込む優しい気のような物が、分厚いロングコートの上からでも感じ取れる。


「その魔法は練習すれば様々な応用ができるようになる。自身を包み込めば防具となり身体能力が向上する。刀身に纏えば神々封殺杖剣エクスケイオンの破壊力が増大するだろう。しかし練習する時間はない…急いで封印の間へと行くぞ」


「えっ!?もう魔王と対峙するのか!?」


 俺は自身の検討違いに絶句した。

 時間がないと言ってもあと数日か数ヶ月くらいはあるものだと思っていた。やけに急いでいるとは思ったが……


「時間がないと言っただろう?魔王の封印の限度は、お主が来る時とほぼ重なっているのだ。そして最後に…」


 赤竜は長い首を垂れて俯いた。


「最後に、なんだ?」



「──我を殺すのだ」



「………え?」


 思えば今日は驚いてばかりだ。しかし一番驚いたのは赤竜のこの発言かもしれない。

 俺は目の前の赤竜を見上げた。


「なんで…?」


「先ほどお主の紋章を見せてもらった。今のお主のレベルは一だった。お主は身体能力も平凡なのだろう?おそらくそれじゃあ神々封殺杖剣エクスケイオンがあったとしてもレヴィオンを倒せる可能性は低い。我を殺し、魔石を取り込めばレベルが上がり、レヴィオンに勝てる可能性も上がる」


「レベル?ってなんだ?それに魔石を取り込む?」


「お主…レベルも知らなかったのか。紋章にある十個の円。それがレベルを表しているのだ。レベルは魔石を紋章に取り込む事によって上昇する」


「ああ。この蒼く光ってる円か。…円の数は十個。つまりレベルは十まであるってことか?」


「そうだ。最大レベルは十で魔王は当然レベル十。実は我もレベルは十だ」


「レベル十って結構いるもんなのか?」


「そうだな…Aランク冒険者ともなるとほぼ全員レベル十だが…レベル十は滅多にいるもんじゃない」


「冒険者なんているのか…」


 ゲームや小説なんかで聞く言葉に、少し興奮する。

 おそらく地上は剣と魔法の世界。早く外の世界を見てみたくてたまらない。

 しかし今はそんなことを考えている場合ではない。


「別にお前を殺すことは無いんじゃないか?俺より確実にお前の方が強いだろうし…」


 実を言うと俺はこの赤竜を殺したくなどなかった。

 何故なら赤竜はこの世界に来てから初めてまともに話したこの世界の住人。

 まして、意思疏通ができる生き物を殺すことはどこか殺人と同じような気がするのだ。

 まあ、おそらく言葉を話せるであろう魔王を殺そうとしているのだが。


「我は十分生きた。とある魔法のお陰で四百年は何とか生きられるようになっているが、本来ならとうに通常の竜の寿命を超え、朽ちている。今は喋るのが限界な状況なのだ。寿命はもうじき尽きるだろう。レヴィオンの糧となるくらいなら、お主に殺されたほうがいい」


 赤竜の眼差しからは覚悟がうかがえる。この意思を無駄にするわけにはいけないと思いながらも、俺はまだ迷っていた。


「でも──、」


『ゴガガガッ!!』


 俺が喋り始めようとした瞬間、俺の声を遮るように空間内に轟音が鳴り響いた。

 何かが崩壊…いや、破壊されるような音。

 それは今俺たちがいる空間の下の方から聞こえてくる。

 赤竜の発言から考えるに、これは恐らく魔王レヴィオンによるものだろう。

 時間がないというのは本当のようだ。


「来たか…この音はおそらくレヴィオンが封印の結界を破ろうとしているのだ。レヴィオンはその階段の下に封印されている。手遅れになる前に早く我を殺すのだ」


 赤竜は台座の後方を指し示す。

 確かにそこにはレヴィオンの封印場所へと続くであろう階段があり、誰かを待つようにその口を開けていた。


「一つ、聞いてもいいか?」


「なんだ?」


「何故、かつて魔王を封印したという勇者は魔王を殺さなかったんだ?封印できたのなら…俺でも殺せるような相手なら、そんな回りくどいことしなくても殺せたんじゃ?」


 ふと気づいた、矛盾しているようにも思える疑問。

 何故、ここで俺が殺す必要がある?

 

「レヴィオンを『時の牢獄』に封印できたのは…奴の一瞬の隙をつけたからで、殺すには至れなかった。時の牢獄は封印されている者を弱らせる効果があり、四百年経った今やっと…魔王レヴィオンは一般人でも殺せるレベルまで成り下がったはずだ」


「一般人でもって…それはメルクリア大迷宮?を攻略できるレベルの人間のことを指すんだろ?今の俺は剣を手に入れたにしろ、お前より力が無いと思うんだが…」


「言ったであろう?我はもう立っているのもやっとだ。レヴィオンを前にしたとて、奴の糧になってしまう。だからワタル、お前に我の魔石を取り込んでもらい、ワタルをレヴィオンを殺せるレベルまで引き上げる。それがこの場において最も奴を殺せる手段であることは間違いない」


「クソ…本当にお前を殺さなくちゃいけないのか?」


 俺が悩むその間にも下からの轟音は絶えず鳴り響いており、それは徐々に大きくなっていく。


「早くするのだ!我がなんのために……なんのために四百年も一人でこの地にいたと思っているのだ!」


 赤竜は響く轟音より更に大きな怒声を放った。

 その声は強く、覚悟に満ちたものであったが、どこか震えていたような気がした。

 そしてその巨大な首を俺の前方へと持ってくる。


神々封殺杖剣エクスケイオンの刀身に神光支配ハロドミニオを纏え。それで力一杯、我の首を切りつけるのだ」


 赤竜は優しい声で、俺にそう指示してきた。

 やらなきゃいけないのか、俺が。

 いや、やらなきゃいけないんだ。

 この赤竜の想いを無下にはしたくない。してはならない。


「わかった…やるしか…ないんだよな」


 なんとかしてこの竜を説得したい。そんな考えを捨て、俺も覚悟を決める。

 そして神々封殺杖剣エクスケイオンの刀身へオーラを集中させた。

 初めて使うというのに、まるで生まれる前から知っていたかのように、そのオーラは手に馴染んでいる。


「ああ、忘れていた。これを受け取ってくれ」


 決意を固めた俺に赤竜は前足を差し出す。

 そこには緋色の宝玉をつけた指輪がはめられていた。

 指輪と言っても、竜の指に合うサイズ。俺にとっては腕輪だ。


「これは竜王のリング。いずれ役にたつだろう」


「竜王?」


 竜の王と書いて竜王。

 つまり数いる竜の中でもトップの存在なのか?こいつは。


「ああ。そういえば申し遅れたな。我は竜王、ヴァルム=リントヴルムだ」


 ヴァルムがそう言い放った瞬間、この空間を言いようもえない静寂が包み込んだ。

 まるで、竜王と聞いてこの世界が怯えたかのようだ。


「そんなやつがなんで…」


 単純な疑問が更に渦巻いてくる。

 本当に殺してもいいのか?

 後から無数の竜たちから報復されないだろうか?

 いや、今はそんなことを考えている場合じゃない。


「そのうち分かる。受けとれ。それに音が止んだ。おそらくレヴィオンはもう…」


「わ、わかった…」


 ヴァルムからリングを受け取り右腕に装着してから神々封殺杖剣エクスケイオンを構え直す。


「いくぞ…!」


 刀身を高く掲げ、歯を強く食いしばり、自分が何をしようとしてるのか良くわかっていないまま、力任せに振り落とす。

 古代秘宝などという大層な肩書きを持つその剣の切れ味は、四百年などの年月で衰えるものでは無く──ヴァルムの硬い鱗を容易に切り裂いて、その首を容易く一刀両断した。

 目の前に血飛沫が飛散し、視界を真っ赤に染め上げていく。

 初めて味わう生きたものの肉を切り裂く感覚に、手の震えが止まらなくなってきた。

 そこでようやく俺がやった行為の意味に気づく。


 俺はやったんだ。殺したんだ。………何を?

 竜を。いや、人間を???

 

 もはや思考が混乱して、脳が揺らされるような感覚に胃の中のものを吐き出してしまいたくなる。

 頼まれたからとはいえ、俺はとんでもない事をしてしまったんじゃないか…?


 ああ、そういえば魔石を取らなくちゃ。


 俺は首から上が無いヴァルムの胴体へ、オーラを纏わせた神々封殺杖剣エクスケイオンを突き刺し巨大な魔石を取り出した。

 紫色の魔石はヴァルムの血に濡れ、赤黒さを増しながら美しく俺の掌の上で輝いている。

 それを自分の紋章へと掲げると、紋章は魔石を少しづつ取り込んでいった。

 完全にヴァルムの魔石が俺の紋章に取り込まれると同時に、紋章内の小円のうち四つが新たに蒼く輝き始める。


「ハハハ…」


 首の切り口、そして魔石があった胸部からは赤黒い血がドクドクと流れ出し、俺の白を基調としたブーツを黒く染めあげていく。こんな状況だというのに、切断された頭部からうかがえるヴァルムの表情は、優しく微笑んでいるように見えた。

 この赤竜は、ヴァルムは、ようやく解放されたのだ。何百年間も、来るかも分からない俺を待ち続けるという使命から。


「貴方、人間よね?私のためにこの竜を殺してくれたの?」


 その時、混乱した俺の背後からこの場に似合わない蠱惑的な女性の声が響いた。

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