第3話 憎悪


 まともに歩くことすら困難であり、本音を言うのであればもう帰りたいが、帰るにはワープしてきた六十階層の入口まで戻らないといけない。

 この疲弊し切った状態では一人で六十階層の入口まで戻ることは困難だし、仮に疲弊していなくとも俺にこの階層の魔物を倒す力はない。


 今の俺に残された選択肢は、何が何でも勇者たちの後を追うことだけ。

 意識は朦朧とし始め、棒のようになっている両足をとにかく前へと出して必死に歩く。


 それでも前を歩く勇者との差が生まれてしまっており、ジークとティアも俺を気にする素振りを見せているものの立ち止まることは決してない。

 気持ちも折れかけているが、生きて帰ることだけを考えて歩いていると……前を進んでいた勇者一行が立ち止まってくれていた。


 まさに飴と鞭。

 先ほどまでの恨みつらみは消え去り、勇者に心からのお礼を伝える。


「と、止まってくれてありがとうございます。どうか少しだけ休憩を――」

「さっきまでのダラけた態度を詫びて俺の靴底を舐めろ。そうしたら休憩をしてやるよ」


 下卑た笑みを浮かべた勇者の口から発せられたのは、おおよそ人間とは思えない言動。

 こんな人間が勇者として祭り上げられているという事実に、心の底から絶望するのが分かった。


 ――ただ、命よりも大事なことはない。

 プライドも含めて全てポッキリと折られた俺は、勇者の靴底を舐める決心を早々につける。


「さ、先ほどは申し訳ございませんでした。これからは誠心誠意サポーターとしての仕事を行わせて頂きます」


 そう謝罪した後に膝を地面に着き、勇者の靴底を舐めようとした瞬間――強烈な衝撃が体を襲い、勢いよく体が地面を転がっていることだけが分かる。

 一瞬何が起こったのか理解できず、息ができない体をなんとか動かして前を見ると、勇者の振り上げられた足が視界に入った。


「本当に舐めようとしてくるとは思わなかったわ。靴底と言えど舐められたらきたねぇだろ?」


 意味の分からない言葉に蹲りながら呆然としてしまう。

 舐めろと言ってきたのは勇者であって、俺はそれを実行しようとしたから蹴られたのか? 


「きゃっきゃ! プライドがなさすぎるし、気持ち悪すぎるんですけど! こいつ本当に男かよ!」

「今までのサポーターはまだマシだったんでしょうか? こちらの二人は使えそうですけど、あそこのゴミは駄目ですね」

「そうだな……捨て置くか。六十階層の魔物に順応できずに逃げ出して死んだってことにすればいい」


 腹を蹴られて呼吸もままならない中、勇者たちは俺を見下ろしながらとんでもない会話を行っている。

 流石に引き留めてくれという思いから、ジークとティアを見たのだが……腹を押さえて疼くまる俺を見下ろす目は諦めそのもの。


 勇者に逆らって巻き添えを食らうのは嫌だ。

 口には出していないが、その目からはハッキリとそう考えているのが理解できた。


「よーし、それじゃ先に進むとするか。雑魚の足手まといも消えたことだし、ここからはスムーズに移動できるだろ」

「えー? トドメを刺しておかないノ? 生きて帰ったら面倒くさいヨ!」

「絶対に生きて帰られませんよ。魔物が寄ってきていますし、五分後には魔物の餌になってます」

「こんなんでも一応人間だし、世界を救う勇者様が人間を殺したらまずいだろ? 遊んでもトドメだけは刺さないって決めてんだわ」

「……ちょ、ちょっ、と待って、くださ」

「待たねぇよ。使えねぇ奴は即クビだ。テメェら二人でこいつの荷物を代わりに持て。使えない奴とパーティメンバーだったことを恨むんだな」


 そんな勇者の命令を受け、ジークとティアは俺の近くに転がっているリュックを手に取った。

 それから小さくすまんとだけ言い残し、倒れている俺を置いて先へ進む勇者の後を追って二人は消えて行った。


 ……すまんって一体何だ?

 助けられなくてすまん? 見捨ててすまん?


 【天の雫】というパーティ名は一体何だったんだ。

 この三人の誰かが死んでしまったとしても、絶対に蘇らせるという意味で付けたパーティ名が糞のように思える。


 いや、どこをどう切り取っても糞なのは勇者とその仲間。

 世界を救うはずの勇者に、何故同じ人間である俺が殺されなければいけないんだ。


 大した努力もせず、生まれ持った力だけで威張り散らしているクズ共。

 ――俺は絶対に生きて帰る。生きて帰ってあの四人を殺してやる。


 憎悪だけを力に、這いつくばりながら出口を目指して進んでいたのだが、そんな俺の新たな目標はあっという間に潰えることになる。

 匂いや音を嗅ぎつけて現れたのは、地獄の番犬と言われているヘルハウンドの群れ。


 ドロドロに溶けた二つの頭を持つ狼のような魔物は、大きく開けた口からよだれを垂らしてうつ伏せに倒れている俺を見ている。

 様々な後悔が押し寄せ、大量の涙となって地面に零れ落ちていく。


「……く、来るなぁ!! 来るんじゃねぇ!!!」

 

 残っている最後の力を振り絞って吐き出した俺の言葉を合図に、ヘルハウンドの群れは一気に食いついてきた。

 肩、足、腹と噛みつかれ、痛みと同時に寒さに襲われる。


 俺は何としてでも勇者のパーティ全員を殺す! 一人ずつ殺して壊滅させてやる!

 あの糞を生み出した神がもしいるのであれば、なんでもいいから俺に最後のチャンスをくれ!

 神が生んでしまった最低の駄作である勇者を俺がこの手で必ず葬り去ってやる!


 そんな憎悪をぶち撒け、いるはずもない神に文句をつけたところで――首、足、腹。

 そして最後に頭を噛まれた俺は、齢二十五という若さで人生の終わりを告げたのだった。


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