はじめての彼女は、好きな人ではありませんでした。
織井
Scene1
1
どうして付き合ったのか。理由をつけるとしたら、色々なことが思い浮かぶ。
好きな人にフラれたからとか。
友達に彼女がいて羨ましいと思っていたりとか。
どこか『付き合うこと』に憧れのようなものを抱いていて。彼女という存在がどういうものなのか経験してみたかったとか、色々と。
そんな頭に思い浮かぶ理由が、薄っぺらくて、安直で、自分で云うのもなんだけれど、俺らしいと云えば俺らしい。
最低だ。
時間が経つほど付き合ったことに罪悪感がこみ上がってきている自分がいて。こんな気持ちのまま関係をつづけていいものなのかと、ふとした瞬間についつい考えてしまう。
「じゃあ次の段落から――稲田(いなだ)」
先生に急に当てられて、はっと意識が現実に戻ってくる。
午後一番の授業で気だるさのこもった教室は、ほどよいゆるさを残しながらもその空気を壊さないために逆にスムーズに進行しなければいけないような謎の緊張感が混じっていて、俺が教科書を確認しているあいだ、周囲の「なにしてんだよ」と云いたげな無言の圧をひしひしと感じた。
「あの。ここから」
となりの席の渕 保乃香(ふち ほのか)が腕を伸ばし、教科書の一部を指さした。
「あ、ああ……ありがと」
俺は軽く咳払いをしてから、文章を噛まないように、誤読をしないように意識しながら読み進めた。「はい、そこまで」という指示を受けて口を止めると、読んだ部分を先生が黒板を使って解説しはじめる。
いきなり当てられて焦ったぁ……――緊張が緩和して安堵のため息が漏れ、俺は助けてくれた渕へ目を移した。
もっさりとした肩にかかるくらいのセミロング。半袖のブラウスから伸びるしろい腕は細すぎず太すぎないくらい、言葉を選ばず云うなら『やわらかそう』な印象で、袖捲りなどは特にせず、無難に制服を着こなしていた。
俺の視線に気づいたのか、渕がゆっくりとこちらへ顔を向けた。
目にかかるくらい伸びた前髪がさらっと流れると、その奥にある目がほんのわずかに大きくなる。リップを馴染ませるように唇同士を合わせるようにしてから、ちょっと恥ずかしそうにうつむいて、持っていたシャーペンでルーズリーフになにかを書きはじめた。
『眠たいね』
先生にバレないようにしながらルーズリーフを見せてくる。女子特有の丸っこさのない字体は、彼女の内面を表しているように素朴で、丁寧で、やわらかい。
午後一の、しかも現国だったので、ぼーっとしていたと思われたのかもしれない。もちろん考えていたことを伝えられるわけもなく、俺は自分のノートに『そうだな』と手短に書いて彼女に見せると、渕が慎ましくほほえんだ。
その笑顔を見て、胸の奥底がきゅっと軋んだ。
黒板へ顔を向ける。カッ、カッ、カッとチョークの小気味いい音を聞きながら、渕に気づかれないように小さく息を吐いた。
俺は渕と付き合っている。
恋人同士になって一週間が経つが、まだそれらしいことは特になにもしておらず、周囲に俺たちの関係はバレていない。まさか俺たちが付き合っているなんて、だれも思っていないだろう。
だから。いまだったら、まだ、引き返せる。いまならまだ、渕をあまり傷つけずに別れられるんじゃないか。――というのは建前で。好きでもない子と付き合ったことを、なかったことにしたいと、考えてしまう自分がいる。
この罪悪感から、解放されたくて。
悪いのは自分だ。その自覚はある。好きでもないのに付き合った俺が全面的に悪い。なら、どうして付き合ったのか――と、また堂々巡りの思考に陥ってしまい、俺は重い溜息を吐いた。
「ここの登場人物の心境は――」
先生の解説が熱を帯びてくると、メモを取るクラスメイトの顔が上下する。自分のことばかり考えて、解説の内容なんてほとんど頭に入っていないものの、俺も皆に習ってノートにシャーペンを走らせていたら、途中で芯がポキっと折れてしまった。
カチカチとペンをノックして、改めて書きはじめる。出始めの芯は角張って、紙に馴染んでいない感じがしたけれど、すこし使えば角が取れ、それから心地よく書けるようになった。
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