第15話 召喚獣は奇異を炙り出す
(あ、あそこにある)
崖に伝う蔦を見つけて、歩き出す。
「ラグナルって精霊の気配に敏感だよね」
「イシュカに言われると、皮肉にしか聞こえない」
「それがヴィーダの取り柄ですから。ラグナルこそ嫌味だ。召喚は上手、契約もほぼほぼ断られることがない、使役もうまい――だめだ、なんか憎くなってきた」
「なんでだよ、俺、推しじゃなかったのかよ」
「推されたくないって言ってたじゃん」
「って、何やってんだ?」
「何って登ろうかと」
「……あのな、朝も言っただろ、また死にかける気か。シグルにでも頼めばいいだろう」
崖の上に行こうと崖の蔦に手をかけたイシュカに、ラグナルは「ちょっとは考えろ」と大きくため息をついた。
「シグルは気まぐれだから。他の精霊も困ったら助けてくれることは多いけど、便利に使うつもりで頼んでも助けてくれないよ」
ヴィーダ家が「使えない」と世間から言われている理由そのものだ。
思わず自嘲を零せば、ラグナルが顔を曇らせた。
「……」
口を開いた後、結局何も言わないまま閉じ、彼はイシュカに背を向けた。
「創世の混沌と共に生まれし、紅炎よ、千と四百、六十と一、時は満ちた」
赤い宝石のついた杖を地に降ろし、略式の召喚陣を描くと、ラグナルは呪を口にした。陣が光り、その中央を中心に空気が渦巻き、彼の赤髪を巻き上げた。
「自らを焦がし殺し、灰塵より甦り来たれ――不死の鳥『フェニクス』」
陣の真ん中が広がっていき、そこから吹き出してきた炎が光を放った。熱風と共に、一対の燃える翼が姿を現す。
「っ、フェニクス……っ! すごい!」
全身をこの世界に顕現した炎の霊鳥が翼を広げ、首を高く掲げた。イシュカは思わず歓声を上げる。
「なんて綺麗……」
「あ、おいっ、火傷するっ」
「不死鳥の火で焼かれるなら、むしろご褒美」
「馬鹿っ、変態チックなことを言っている場合かっ」
興奮と感動のまま手を伸ばせば、赤と朱、金の揺らぐ炎に包まれた霊鳥はついっと首を後ろに動かし、触られるのを回避した。
「あ……そっか、そうだよね、ごめん、嫌だよね。あんまり綺麗だったからつい……ほんと勝手で失礼だった、ごめん」
『……』
打って変わってしょんぼりしたアゼルを、青く光る目で見つめていた霊鳥が、甲高い声を響かせた。
「…………もう触って大丈夫だ」
「? ラグナル?」
目を見開いてその様子を見ていたラグナルが、そう静かに呟いた。
高位の炎獣、しかも気位が高く、契約できてなお滅多に召喚に応じないとされている、炎の鳥を無事召喚したというのに、彼はなぜか沈んでいた。
「なあ、イシュカ、それ、やめた方がいい」
「それ、って?」
「人の召喚獣に話しかけたりすること。送りの船を曳いていた幻獣にも、テネブリス公爵令嬢のデュラハンにもやっていただろう」
「……」
フェニクスの背に乗せてもらって、崖の上へと上昇しながらかけられた言葉に、呼吸が止まった。
幼い頃、ラグナルが召喚、そして契約を成功させるたびに、イシュカもその召喚獣と仲良くさせてもらってきた。
その逆に、イシュカが友達になった精霊たちもラグナルに紹介して、友達になることが珍しくなかった。数日前にフレイヤ・テネブリスの目からラグナルを匿った樹魔だって、元はイシュカの友人だ。それがなぜ――。
(ああ、そうか、同じことなんだ……)
「そうだよね、契約までした自分の召喚獣が、まったく関係ない他人と仲良くなったら、嫌だね。ごめん」
ラグナルを樹魔が庇った時に、私だって面白くなかったじゃない、ただの友達でそうなら、契約召喚獣ならなおさらだ――そう思い至って、イシュカは肩を落とす。
「いや、俺のとこのはいい。他の奴の、だ」
彼が急いでそう言い足してくれたけれど、顔を見られない。
「大丈夫、私に召喚獣を見せてくれるような間柄の友達はいない……そう、私はぼっち」
自分で言ってさらに凹む。
「あ。いや、でもアエラ・エクシム……」
「アエラは精霊と相性悪いとかって言って、滅多に呼び出さない……」
「あー」
気まずそうなラグナルの前で、イシュカは縮こまっていく。
イシュカにとって精霊は対等の存在だ。友達になれることもあれば、なれないこともある。
だが、他の人にとっては違う。所有できるか、できないか、使えるか、使えないか――上下関係で測る対象だと実感してしまう。
(ラグナルでもそうなのかも……)
まずい、視界がちょっと滲んできた。
「なあ、召喚の時、別の世界が見えるって話、誰にもしてないよな?」
「……もう見えなくなった、し……」
そんな流れだったからだろう、イシュカは咄嗟に嘘を吐いてしまった。
入学してイシュカの、ヴィーダの召喚術がかなりの異端だとイシュカのみならずラグナルも知った。それまではラグナルと二人、「違うね」「そうだね」「面白いね」で済んでいたのに。
それであれこれ言われるようになったが、それでも自らの術に誇りを持っていたイシュカは平気だったのだ。
だが、夏季休暇の前、前期の試験が終わった後、
「召喚の時、別の世界が見えると人に話さない方がいい」
とラグナルは突然イシュカに告げた。ちょうど今のように、とても言いにくそうに。
理由を訊ねれば、言い淀みながら「妄想が過ぎると思われる。その、ただでさえイシュカは色々言われているし」とラグナルは答えた。要するに頭がおかしいと思われる、ということだと悟った。
本当にショックだった。
それで気づいた。ラグナルだけはそんな意見に耳を傾けない、思うともなしに自分がそう思い込んでいたと。
(それで初めてラグナルと私は違う人間なんだって気づいたんだよね……)
ずっと一緒にいて、召喚獣たちの世界のことを、イシュカはラグナルには具に話してきた。それこそ家族に対する以上に。
だからイシュカやヴィーダの人間たちが感じている精霊たちの世界を、彼は理解してくれると無意識に信じていた。
その彼の口から『妄想』という言葉が出たことが、ミオの心に棘のように刺さった。
それで、ひょっとして彼自身もイシュカの話をずっとただの想像だと思っていたのだろうか、と疑い始めた。
そこからだ、イシュカが彼と距離をとったほうがいいかもしれないと思い始めたのは。
そして、彼が第二王子の守り役を断る理由として、イシュカの失敗の後始末を挙げたことが決定打となった……。
「……」
今、イシュカの後ろにいるのは、誰より親しく、誰よりイシュカを知っている幼馴染だ。一時離れてしまっていたけれど、成長して変わってしまった部分もあると知ったけれど、そこは昔と変わらない――ここのところそう感じていたのは実は勘違いで、本当は他の人と同じように、私を、ヴィーダの召喚術を疑っているのでは?
「イシュカ? っ、待てっ」
なんだか無性に居心地が悪くなって、イシュカは不死鳥の背から飛び降りた。周囲の空気と髪を上に置き去りに、下へと落ちていく。
「イシュカっ」
「シグルっ」
ラグナルの叫び声にかぶせて、古馴染みの親友を呼んだ。大丈夫、今なら来てくれるはずだ。
空間に切れ目ができ、そこからスゥッと黒い鳥が現れた。いつもの何倍もの大きさになり、陽光に虹色を煌めかせつつ、落下するイシュカを受け止めてくれた。
「ピ」
「…………ありがと」
咎めるような声を出しているのに、結局来てくれたことが嬉しくて、その柔らかい羽毛に顔を埋める。
「イシュカ、」
「二人も乗ってたら重いし、何よりフェニクスが飛ぶ優雅な姿を見られないからね」
不死鳥もおりてきて、シグルのすぐ横に並んだ。
顔を上げたものの、なんとなくラグナルを見られない。笑顔を繕ってフェニクスに「ね」と声をかければ、その青い目はシグルに向いていた。
「あ、おい」
フェニクスは首を下げるなり、そこからさらに高度を落とし、シグルの下に行く。
様子が変なのが少し気になったけれど、それ以上にラグナルと距離ができたことにほっとした。
「ほら、やっぱり温泉! 行こう、ラグナル」
「入らないからな!」
「入らないよ。でもシグルが突っ込んじゃった場合は、私のせいじゃない」
「あ、こらっ、シグルっ、するなよっ」
崖の上に飛び出た。予想通り、薄い灌木の向こうに、湯けむりを挙げる泉が見えた。周囲を所々黄色く染まった岩に覆われている。
さらに上昇すれば、一気に視界が開けた。
ぐるりと青い海に囲まれ、全方位に水平線が見える。高く上がった日差しに、北の海岸線に沿って広がる白い砂浜が輝く。島全体は色濃い緑に覆われ、まるっきり絶海に浮かぶ宝石のようだ。
「……」
何かに引き寄せられるように、イシュカは島の南西へと目を向けた。
内湾、そしてその横のラグーンは今日も鏡のように陽光を反射している。湖畔には、アエラのために婚約者が立てた屋敷が小さく見えた。生徒たちの姿もちらほら見える。
それらの向こう、半島端にそびえる火山へと目を向け、イシュカは目を眇めた。寝起きに樹冠の合間から見た姿と、何も変わっていない。なのに、なぜか落ち着かない。
「イシュカ、何を見てる?」
「ラグナル……火山が変だ」
言葉が勝手に口をついて出た。そして、目をみひらく。
「界境が大きくなってる……」
「っ」
その瞬間、すさまじい霊力を感じて、イシュカは全身の毛を逆立てた。
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