第7話 久しぶりなのは風狼だけじゃなく

「アエラとシャルマーは、まずどこに向かうの?」

「私たちは湖を目指します。イシュカさんとラグナルさまは?」

「……聞いといてなんだけど、考えてなかった。どうする、ラグナル?」

「東側の半島。このまま一番遠いとこまで行く」

「じゃ、それで」

「そんなあっさり……港からもベースキャンプからも遠くて、あまり探査もされていないから一番危ないって聞いたよ、その辺」

 アエラの婚約者である、シャルマーが心配そうにイシュカたちを見た。一際大柄で、黙っていれば威圧感を感じるほどなのに、実はとても優しい人だ。

「だからこそ楽しいんだよ」

「俺とイシュカがいたら、野外で死ぬことはないしな」

 ラグナルのその言葉は、イシュカにとってものすごく嬉しいものだった。得意満面に「当然」と言えば、それでラグナルも笑う。

「イシュカさんたちらしいですねえ」

 アエラがそんな自分たちを見て、にこにこしてくれていることも幸せだ。

 

 最初は集団で歩いていた生徒たちだったが、島の方々へと少しずつばらけていった。

 妥当なところだろう。これまでの成績も影響がないわけではもちろんないが、この探査試験で向いていないと判断されれば、どれだけの成績があっても、希望する学科に行けなくなることも、退学になることもあるのだ。皆で同じことをしていても、自分の適性を示せない。

 しかも、島での探査は、人間に友好的な精霊が多い学園でのものとは、危険性が異なる。自給自足での野外生活に加え、敵対的な精霊との遭遇により、落伍者はもちろん怪我人が出ることも珍しくない。大抵の生徒は他人にかまけている場合ではないのだ。

 

「では、私たちはここで」

 しばらく南に進んだところで、アエラが立ち止まった。

 その瞬間彼女が目指す西方向に、これまで後ろにいた十人ほどの男子生徒がざっと移動した。アエラを「妖精の女王ティターニアの愛し子」と呼んで信奉する彼らだ。

(いたよ、試験を棒に振ってでも他人にかまける人……)

「また一週間後に。島には恐ろしい精霊もいるようです。お気をつけになって。あと……“頑張って”くださいね、イシュカさん」

「……アエラも。あと、シャルマーも」

「……ありがと、イシュカさん」

 イシュカがドン引きするその彼らをものともせず、アエラはイシュカに向かって意味深に微笑んだ。

 顔を引きつらせつつ、イシュカはイシュカで、彼女の横の婚約者シャルマーに目線で同情とエールを送る。

「何より――ラグナルさま、イシュカさんのこと、“くれぐれも”“よろしく”お願いいたします」

「……もちろんです」

 目が笑っているように見えない美人の笑顔を背に、イシュカたちは再び歩き出した。

「なんでだろうな、丁寧にお願いされてるのに、毎回圧が強いんだよ、彼女……」

「逆らうと怖い目に遭うよ?」

「……知ってる」

 イシュカだけじゃない、名家の嫡子で、史上稀にみる幻獣使いになると評判のラグナルを身震いさせられるのだ。この先もアエラには従順でいようと思う。


(ひょっとしてずっとこのまま……?)

 だが、試験は二の次、という生徒は他にもいた。

 目的をラグナルに定めているらしい、フレイヤをはじめとする生徒たちにしつこく跡をつけられ、イシュカは口をへの字に曲げた。

「……」

 そっと背後を振り返れば、女子だけじゃない、ラグナルとよく一緒に過ごしている男子生徒たちまでいて、誰もがイシュカと視線が絡むなり目尻を吊り上げた。

 気持ちはわかる。推しがどう見てもダメな奴といれば、心配になるだろう。ダメな奴を憎みたくもなる。問題は……。

(こんなに人間がぞろぞろいたら、よほど人好きのする精霊じゃない限り、みんな逃げていくじゃん。探査にならない……)

「課題に集中すればいいのに。こんな精霊だらけの楽しい島に来てるってのに、何してんの」

 思わずぼやけば、横のラグナルがふっと笑った。

「じゃ、逃げよう」

「へ?」

 ラグナルが召喚呪を唱えた。信じられないくらい簡略化された呪に応じて、風が巻き起こったかと思うと、風狼が出現した。イシュカ、そしてラグナルの股をくぐって、二人を背に乗せる。

「つかまれ」

「っ」

 イシュカはラグナルの声に応じて、慌てて半透明の毛皮に身を伏せた。その上にラグナルの体が覆いかぶさってくる。心臓がギュッと縮む。

 だが、それも一瞬だった。

(う、わあ……)

 風に生まれた狼は、その名の通り風だった。木々の間を凄まじい速さですり抜けていく。目の前にあった木々が、岩が、花が、流れるように後ろに遠ざかっていく。

 フレイヤたちの叫び声もあっという間に聞こえなくなった。


「ふふ、この子、ラグナルが火属性以外で初めて契約したあの子でしょ」

「……ああ」

 人の気配が一切ない、明るい林の泉のほとりに来て、風狼が足を止めた。ラグナルが先に降り、イシュカを抱え下ろす。

 その間もイシュカの目は風狼に釘付けだった。彼の方もイシュカをじっと見つめ、気のせいでなければ、笑っているように見える。

「久しぶり、元気だった? 大きく、カッコ良くなったね」

 そのイシュカに風狼は短く鳴くと、イシュカに額をこつんとぶつける。


 その感触に初めて出会った時のことを思い出した。

 ガードルード公爵家にあった召喚書を持ち出したラグナルが、見よう見まねで陣を描き、書かれていた文言そのままに呪を詠唱した。

 だが、全部終わっても、召喚陣は向こうの世界にいっこうに繋がらない。

 失敗かと二人でしょんぼりした時、イシュカが陣の端っこに開いた小さな小さな裂け目から、耳がのぞいているのに気づいた。驚いて止めるラグナルを無視して、イシュカが手を突っ込んで引っ張り出したのが、まだ手のひらサイズのこの子だった。

 その時イシュカは散々噛まれたが、ラグナルは契約を結ぶことに成功して、それから二人で遊ぶ時はしょっちゅう召喚していた。

「ふふ、懐かしいなあ」

「……帰れ」

 最後に出会ったのは、三年ほど前のはずだ。再会も、彼が元気なのも、強くなっていることも嬉しくて、イシュカは風狼に頬を摺り寄せた。が、ラグナルが彼の役をさっさと解除してしまったせいで、すっと消えてしまった。

「あ、ああああ、久々だったのに……」

「……久々なのは他にもいるだろ」

「? どの子?」

「さあな。ほら、行くぞ」

 涙目で抗議したのに、仏頂面のラグナルにそっぽを向かれ、イシュカは肩を落とした。


「あ、シグル」

「……」

 代わりのようにシグルが、どこからともなくやってきた。青空を背景に、イシュカたちの頭の上をくるくると旋回する黒い鳥に、ラグナルが目を眇めた。

「……なあ、シグルって昔からイシュカと一緒にいるけど、その都度召喚しているわけでも、契約してるわけでもないんだよな? 正体も分からないまま? 幻獣、だよな、あいつ」

「かなり奇妙でしょ? 契約もない、大した霊力があるわけでもないのに、実体をもったままこっちの世界にいられる」

「妖精に近いのかな? でも誰の目にもはっきり見えるし……」

「相変わらず謎だらけ。でも、」

 シグルがイシュカの肩に舞い降りる。

「友達?」

「うん!」

「それもそのままだったな」

 苦笑を零したラグナルに、シグルがピィッと鳴き声を向けた。



 その後はラグナルと二人、落ち着いて課題に取り組むことができた。

 島の南、東側の半島の先は断崖絶壁で、海鳥たちの営巣地となっていた。

 目の前の海中に界境があり、そこから流れ出てくる霊力のせいだろう。魚が多く集まり、海鳥たちが雛を育てる糧としている。

 沖には巨大な甲羅にヤシなどの木を生やした『陸つ亀』が浮かんでいた。その上では狩りに疲れたアシカたちが日向ぼっこをしている。

「あれ、『セルキー』だ。ほら、一頭だけ、アザラシが混ざってる」

「……ほんとだ。何やってんの」

 視線を感じたのか、皮を脱げば、人の姿となるアザラシがこっちを見た。にやっと笑って、ヒレを振り、水しぶきを立てて海中へと姿を消した。


 そうして、イシュカたちは無事初日の探査を終えた。

 最初の上陸地点の北の浜や、島の中ほどに設けられるベースキャンプから離れたがらない生徒が多いせいだろう。島の外れの外れにいるイシュカたちの周囲に、他の人の気配はなかった。

 太陽はかろうじて水平線に引っかかっていて、朱金に輝く半円が赤い道を海に敷いている。だが、それも徐々に薄らいでいった。

 波の音を聞き、潮の香りに包まれながら、イシュカたちは海から少し離れた場所で見つけた泉の側、ブナの大木の陰で、野営の支度を整える。

 といっても、夏だし、雨が降りそうな気配もない。火を起こして、夕飯の準備を整え、敷布をしくぐらいのものだ。


「探すべきは界境、精霊たちの痕跡……基本は妖精の多い場所を探せばいいわけだから、楽勝だね」

 精霊とは自らの意思で動く、人以外の者の総称だ。そのうちの、霊力が低いものを妖精と呼び、向こうの世界にいる、霊力の高く、実体を持つものを幻獣と呼ぶ。幻獣のうち、召喚とその後の契約によって、こちらの世界に現れるようになったものを召喚獣という。

「探査試験はヴィーダ一族の独壇場だな。父もおじさん――ヴィーダ子爵に圧倒的な差をつけられたと飲むたびに愚痴っているらしい。それ以外、すべての試験で主席だったのに、って」

 共に食事を作りながら、イシュカとラグナルは今日の成果を確認していった。

「海に注ぐ川の岸、コットンウッドの林の上。『雷鳥』の巣に繋がっていた。あとはそのちょっと北にあった大岩の陰。地属性の精霊の気配がした。『ドワーフ』に似てるけど、『ブラウニー』にも似ていた。私の知らない幻獣の界境だと思う」

「ここから南東にあった小川も界境だ。水馬『ケルピー』に似た気配がした。同じ系統なら『プーカ』とか?」

「あ、ありそう。川面に飛んでいた妖精も、見たことがない種だったよ。耳が魚の鰭みたいに張り出してた」

 見たことも聞いたこともない精霊の姿を見かけたり、滅多に見つからない、貴重な精霊の痕跡を見つけたりで、イシュカはにやにやが止まらない。

「ほんと、嬉しそうだな」

「もちろん。私もこの試験だけはラグナルに勝てる自信あるよ」

 得意満面に胸を張れば、眉を跳ね上げたラグナルが「だろうな」と苦笑を漏らした。

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