第5話 無人島上陸は悪役令嬢付き

 探査試験が実施されるのは、ボガーレ王国の南、ニドニア海に浮かぶ古い無人島だ。

 十日かそこらで外周をぐるっと一巡りできる程度の大きさで、島の内部には火山を含む山や湖沼、森、草原など様々な自然が広がっていると聞く。

 有史以前、今のボガーレ人との争いに敗れた人々が移り住んだとされている場所で、彼らが消えた今も、当時の遺跡が残されているそうだ。

 絶海の孤島ということもあって、一般の人の立ち入りはほとんどなく、三年に一度遺跡の儀式のために入る国王陛下や宮廷召喚士、動植物の生態や精霊の調査などを目的にする学者、年に一度開かれる王立召喚学園の探査試験に参加する生徒ぐらいしか、入島者はいないという。


 イシュカは生徒たちをその島へと運ぶ、大型の船のへさきに立っていた。

 船を曳いているのは、十二枚の長い鰭を持つ魚様の幻獣で、この船の船長の召喚獣らしい。

 海上では、色濃い潮の香りを含んだ海風に乗って、見たことのない妖精たちがカモメたちと戯れている。

 夏の強い日差しに照らされ、波間にちらちらと見えるのは、水の妖精『アンダイン』の近縁種だろうか。色が違うけれど、よく似ている気がする。

 水平線に島影らしきものが現れた。島にあるという火山の噴煙のせいだろうか、晴れ渡った空の中、影の上にだけうっすらと雲のようなものがかかっていた。

(あの島の遺跡ねえ)

 兄からの頼みごとを思って、潮風に銀と緑、青の髪をなびかせつつ、イシュカは首を傾げる。


『ああ、そっか、探査試験……イシュカもそんな年になったんだねえ』

 試験前、普段学園の寄宿舎で暮らしている生徒たちの多くは、準備のためにそれぞれの家に一度帰る。そうして迎えた出発の朝、イシュカが家を出ようとしたちょうどその時、今年の春に儀式のためにサオネ島に入ったという、イシュカの兄コィノが家に帰ってきた。ずっと研究所に泊まり込むような生活を送っている人だ。出会うのは本当に久しぶりだった。

 その彼が『……父親か?』というような言葉を口にした後、奇妙なことをイシュカに言いつけたのだ。

『ちょうどいいや、イシュカ、悪いんだけど、あの島の遺跡の様子、ついでに見てきてくれない?』

『父さんと兄ちゃんたちがなんかの儀式で時々行く……古代インディジーネ族だっけ? の遺跡のこと? サオネ島の遺跡もそれなの?』

『そう、春に行った時、なんか引っかかって、上司に言ったんだけどさあ、寝ぼけてるのか、で流されちゃって、調べさせてもらえなかったんだよ』

 そう言った兄は、確かに寝ぼけていた。元々起きていても寝ぼけているような感じのする人だが、いつにもまして訳が分からない。

『引っかかった? 見てこい? って、何をどう見ればいいの……』

『大丈夫大丈夫、イシュカなら変ならわかる……』

『またいい加減!』

『んー、と、イシュカもいずれ関わることになる、んだから、それがちょぉっと早くなるだ、け……』

『って、そこで寝る? ちょ、場所もだけど、タイミング! 色んな意味で違ってるよ!?』

 好き勝手言って、玄関で崩れるように寝てしまった彼は、揺すっても頬をぺしぺし叩いても起きなかった。


『またやってる』

 やってきた母は、ぐぅぐぅ眠る兄を見て眉を跳ね上げるなり、彼を踏み越え、『遅刻するからほっといて行きなさい』とイシュカを玄関へと押した。

 そして――、

『ヴィーダの血だと思うわ――探査試験、コィノもそうだったけど、あなたのお父さまもお爺さまも大叔母さまもみーんな何かしらやらかしたらしいの。イシュカ、死なないようにだけしなさいね』

と真顔で見送ってくれた。



「一体どんな見送り……。じゃなくて、そもそも遺跡、どこだろ。頼み事するならするで、それぐらい言ってよ、兄ちゃん……」

 段々近づいてくる島影を見て、イシュカは口をへの字に曲げた。

「いやでも、兄ちゃんの性格とか会話とかに何かヒントがあるかも……」

 八つ違いの兄は、イシュカが物心ついた時には召喚学園で寮生活を送っていた。

 彼が長期休暇で帰ってくる度に、家族旅行という名の精霊の探査に行き、そこで共有した時間が、彼との思い出の大半だ。

 兄はとても優しい人だ。年の離れたミオをとてもかわいがってくれた。

 宿で幼いミオが寝る時は精霊の話を聞かせてくれて、食事の時も精霊の話を聞かせてくれて、一緒に野外に出ている時もやはり精霊の話を聞かせてくれて、宿の部屋でくつろいでいる時もこれまた精霊の話を聞かせてくれて、それ以外の時は、彼は召喚失敗の霊障のせいでベッドの上で眠りこけていた。

「……遺跡以前に、私、兄ちゃん個人のこと、何も知らない」

 愕然とした後、「いくら考えたって、手掛かりなんか見つかりっこないわ、これ」と呻き声を上げた。


「何の話だ?」

「ひぃっ」

「ひぃって……失礼すぎだろう、探査の相方に向かって」

 恐る恐る振り返れば、ラグナルが波風を正面から受けて、赤髪をなびかせていた。

「一人か? てっきりエクシム嬢と一緒かと」

「アエラは船酔い。婚約者のシャルマーがかいがいしく面倒見てるから、邪魔しちゃ悪いかなって」

「なら、声をかけてくれればいいのに。他はみんな打ち合わせをしているぞ。中・後期課程の先輩たちから貰った情報の交換で、今談話室は大騒ぎだ」

「あー、いらないかな。だって、事前に色々知っちゃったら、楽しくないし」

 本音ではある。だが、もっと切実な理由は、人目がある中ラグナルに近づくと周りが怖いというものだった。

「イシュカらしいな」

(……ごめん、半分ほんとで、半分嘘なんだよ)

 彼が懐かしいものを見るように、目の端を緩めて笑うのを見て、ちょっと後ろめたくなった。

 自分がもっと召喚士としてうまくやれて、それより何よりもうちょっと勇気があれば、周りなんか気にしないで、ずっと一緒にいられたのかも、とまた思ってしまう。


「ええと、何の話だったっけ……って、そうだ、出掛けに兄ちゃんに遺跡を見てこいって言われたっていう話。でも、理由どころか、場所なんかの情報もなんにも話さないまま、寝ちゃって」

 沈み込みそうになったのを悟られまいと、イシュカは話題を戻した。

「遺跡? コィノさん、寝ちゃったってまた霊障?」

「多分ただの睡眠不足。ここのところ研究所から帰ってきてなかったんだって。人と話している最中に、一方的に言いたいことだけ言って、玄関で」

「相変わらずだ」

 明るい声で笑うラグナルの赤髪は、背後の海と空の青さに映えて、本当に美しい。妖精たちも同じように思うのだろう。それまで彼を遠巻きにしていた、オパール色の貝がらのような羽を持つ子たちが彼の周りに集まり、その髪で遊び始めた。



 島に唯一ある港の岸壁に、王立召喚学園初等課程の最終学年生二百名ほどを乗せた船が、水しぶきを立てて着岸した。

 船のけん引に召喚されていた、十二枚の長い鰭を持つ魚似の召喚獣六匹が、幻獣使いでもある船長に役を解かれた。

「イシュカさん、下船なさいと先生が」

「すぐに行く。……重かったでしょ? ありがとうね!」

 イシュカは船底を覗き込んで、二日の船旅の間に顔見知りになった召喚獣たちに別れを告げた。六匹は声が聞こえたかのように、空中に飛び上がって陽光に飛沫を光らせ、その滴の中に吸い込まれるように消えていく。

「アエラ、船酔いはもういいの?」

「ご心配おかけしました。あの『鰭翼』たちがもう少し穏やかに船を曳いてくださればいいんですけど、元々荒波に乗って遊ぶのが好きなのだそうで」

「あー、確かにしょっちゅう波で遊んでた。あの子たち、鰭翼って言うんだ。私、海の精霊、あまり知らなくて。あれだね、言葉が川や湖のより塩辛いね」

「……ちょっと何を仰っているのか」

「気にしない気にしない、行こう、アエラ。この島、すごいよ。精霊だらけ」

 イシュカは足元に置いていた自分の荷物をさっと背負うと、アエラが持つ大きなの荷物の一つを奪って、船と桟橋を繋ぐ渡り板へと駆け出した。


「日差しのせいかしら、砂が熱いですね」

「うん、あっ、あれ見て、あの貝殻、足が生えてる、動いてる」

「あれはヤドカリというものです。自分に合う貝殻を見つけてそこに入って、体が大きくなるに応じて、どんどん貝殻を変えていくんですって」

 ぎょっとしたイシュカに、アエラが「本当に海に馴染みがないんですね」と微笑んだ。

「うちの別荘がこの先のヘルネ島にありますから、試験が終わったらご招待します。イシュカと一緒なら私でも色んな精霊と知り合いになれそうですし」

「いいの? うわ、すごくうれしい!」

 潮風の中、押し寄せる波と追いかけっこを楽しんでいたイシュカは、大勢が砂を蹴散らして近づいてくる音に背後を振り返った。


「イシュカ・ヴィーダ、あなた、いい加減身の程と言うものを弁えたらいかが?」

(……そのセリフ、ついこの間も聞きました)

 眉尻と唇の両端を限界まで下げ、イシュカは半眼を声の主、フレイヤ・テネブリス公爵令嬢に向けた。

「……」

 そして、目を丸くする。白いサマードレスに、レース付きのつばの広い帽子――どう見ても探査試験、一週間にわたって野外で活動し、野宿するつもりの格好じゃない。

「何か仰い」

 フレイヤの眉間に青筋が立った。彼女のご友人たちも「テネブリス公爵家のフレイヤさまを無視するなんて」と口々に非難を向けてくる。

「あ、すみません、無視してるわけではないじゃないです。単純に変な格好してるなあ、と気になって……」

「変っ!? このわたくしに、あなたが変とか仰いまして……っ?」

「い、やいやいやいや、や、野外で過ごすわけですから、フレイヤさまのその美しいお肌が傷ついたらもったいなさすぎる! と心配になったんです」

 もちろん自分の失言のせいでどす黒く変わった彼女の空気におびえて、咄嗟に吐いた嘘だ。

 が、フレイヤは一瞬停止した後、少し頬を染め、

「そ、そんなこと、あなたに心配していただく必要はありません」

とツンとそっぽを向いた。

「なんか素直だった……」

 思わず呟けば、横にいるアエラが顔を俯けて肩を震わせた。


「話はそこではないのよ、イシュカ・ヴィーダ」

「なんでフルネーム。じゃなく、ええと、身の程の話でしたっけ? 子爵家、しかも悪名高きヴィーダ、まだら髪で、美しくもなくって話? 知ってますし、あたってるなあとも思ってます」

「……」

「……どうしよう、アエラ、あの人たち、なんか黙っちゃった」

 いかに弁えているか、ちゃんと示したのに、と困惑してアエラに小声で助けを求めれば、「もうダメですわ……!」と言いながら、彼女は吹き出した。

 自分のせいか、はたまた美少女らしくなく笑い転げるアエラのせいか――フレイヤの白磁のような顔が真っ赤に染まっていく。イシュカは頬をひくつかせた。


(結局やらかした――時は下手に言い訳しないで、認めて謝る!)

「そのう、フレイヤさまが、私をお気に召さないことはよく存じております。だから、わざわざ話しかけてこなきゃいいのに……間違えました、お声がけいただかずともよいのにと、迷惑で迷惑で、じゃない、ふ、不思議で不思議で……」

「本音がダダもれでしてよ……?」

 フレイヤのこめかみに青筋が立った。白い肌だと余計目立つんだ、などと思い浮かんだのは多分現実逃避だ。

「つ、つまり、私ごときに近づくことで、フレイヤさまの女神のようなご美貌が陰るようなことがあってはならない! そういう責任感です……!」

 これももちろん嘘だ。が、幸いなことにフレイヤは、顔を真っ赤にしつつ、また信じてくれた。

「本当にどうしようもない人」

と、黒髪をなびかせ、かぶりを振りながらも、少し態度を軟化させる。

「めんどくさいのは確かですけれど、人の言葉をまっすぐ受け取る方ではいらっしゃるのよねえ」

と苦笑まじりに呟いたアエラに、イシュカも同意する。


「頭の残念なあなたにもわかるように言い直して差し上げましょう。悪いことは言いません。イシュカ・ヴィーダ、探査試験のラグナルさまのパートナーを辞退なさい」

「だからなんでいちいちフルネーム……ではなく。その残念な私にいつもペーパーテストで負けるくせに、で、でででもなく。えええと、それ、私じゃなく、本人に言ってくださ……な、なななななんでもありませんとも……!!」

 そうでした、前、ラグナル本人に談判して、断られていらっしゃいました――。

 傷に触れてしまったのだろう、蛇髪の幻獣『メデューサ』もかくやという顔をフレイヤが見せた。

 

「何気に地雷踏みまくりですわね、さすがイシュカさん……」

 だらだらと冷や汗を流すイシュカの横で、そう呟いたアエラは苦しそうだ。また顔を俯け、プルプル震えている。

「もうダメ、これ以上笑うとさすがにまずいので、私はこれで。イシュカさん、頑張って」

 そして、やはり要領がいい。笑いを含んだ囁き声をイシュカの耳に残して、気配を消してささっと逃げていった。友情を疑いたくなる。


「というか、そもそもなぜ私とラグナルが……さ、さま! ラグナルさま! 付け足し忘れました!」

 ラグナルの名を呼び捨てた瞬間、フレイヤの空気が極夜のもののように暗く冷たくなったのを敏感に察知し、イシュカは全力で言い直した。

「え、えと、ラグナルさまと私が組むことを、なぜフレイヤさまはご存じなのですか、とお伺いしたかったのですっ」

「そこはまったくもってどうでもいいことです。たかが子爵、しかも異端のヴィーダ家、加えて本人も妙な物ばかり呼び出して、まともに契約もできない――そんなあなたに、ガードルード公爵家の嫡子で、優秀でお優しいラグナルさまのパートナーが務まるはずもないという話をしているのです」

 人の質問をさらっとなかったことにするあたりが、いかにも身分社会上位の人だ。

 その周りの少女たちが「ご容姿もそんななのに」「物腰も野蛮でいらして」とくすくす笑うのを見て、イシュカは眉尻も下げた。


(そういえば、ラグナルも上の身分の人だけど、こうやって人を馬鹿にすること、ないなあ……って、待って)

「ちょっと、聞いてらっしゃるの!?」

 自身もフレイヤたちを思いっきり無視して、イシュカは蒼褪めた。

 探査試験で組もうという話をした時、あの場にいたのは、イシュカとラグナルの二人だけだ。

 イシュカが話していない以上、イシュカを彼女たちに売った犯人はまさか――。

「――俺じゃない」

 ぽんという感触と共に頭に手が乗った。目の前の少女たちが音を立てるかのように固まったのを見て確信する。

「……ラグナル」

「売ってないからな?」

 首を後ろに倒せば、予想通り赤い瞳がじろっと見下ろしてきた。

(って、疑ったこと、ばれてる)

 イシュカがまた顔を引きつらせれば、彼は目を見張った後、くくっと笑い声を漏らした。

「……」

 彼がよくやる笑い方だった。でもその音は昔より微妙に低い。


「ラグナルさま、わたくし、ラグナルさまのためを思って……」

「ありがとう、それは先日も伺いました。その時も話したようにイシュ……ヴィーダ嬢が優秀なのは事実です。少し変わった召喚をすることも確かですが、違う術というのは勉強になりますから」

 そう言ってラグナルは、絵本の中の貴公子がするような美しい微笑を令嬢たちに向けた。二の句を奪い、イシュカの背を押す。

「――今のうち」

「……」

 唇を寄せて囁かれて、その吐息の熱がイシュカの頬に移ってしまった。

 赤髪の間からのぞく、やはり赤い目がいたずらっ子の様に弧を描くのを久しぶりに見た気がした。



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