第十八話 恨み

「……何だお前は」

 獅子野トウカが、俺をぎろりと睨みつける。

 そのよどんだ目は、見たものを戦慄させるような力を持っていたが、俺は目をそらさず、じっと見つめる。


「ただの助手だ」

「医者助手風情が、なぜ口を挟む?」

 至極当然の疑問だが、俺はどうしても聞いてみたいことがあった。


「嫁さんが病に罹っていた時、どんな様子だったかが気になってな」

「……なぜ、お前に話さなければならない」

「お前が家族の瓦解から目をそらしている間、お前の嫁さんは何もしていなかったのか?」


 どうやら俺の問いがトラウマを刺激したらしく、彼は座っている俺の服の襟を掴み、無理やり立ち上がらせた。

 俺は抵抗しない。


 目を合わせ、顔を突き合わせて、彼の本音を引き出してみたかった。

「私の妻を愚弄するか」

「いいや、違う」


 俺はむしろ、目の前にいるこの男を愚弄している。

「お前の嫁さんは、とても聡明で、優しくて、気高い人だったと診療記録カルテに書いてあった。この書類を信じるのなら、きっと彼女は、三兄妹の軋轢あつれきに心を痛め、病に侵された身体で関係の回復に尽力したんだろう」


「……分かったようなことを言うな!」

 獅子野トウカは激昂し、右拳で俺の頬を殴りつけた。

 その衝撃で後ろに弾き飛ばされ、背中から壁に叩きつけられた。


 だが、俺は彼の目を見据え、鼻で笑った。

「『違う』とは言わないんだな」

「――っ!」


 狼狽しているということは、俺の予想は当たっているのだろう。

「だったら、お前も息子を恨むべきじゃなかった。最期まで我が子を愛した嫁さんを、信頼してやるべきだったな」


「……」

 つまるところ、この獅子野トウカという男には、器量が足りなかったのだ。

「それが出来なかったから、お前は謝り続ける。でも、亡くなった人間にいくら懺悔したところで、嫁さんが生き返るわけじゃ無い」


 彼は拳に込めた力を緩めた。

 もう、怒る気力は無いらしい。

「……貴様の言う通りだ。私は十年間、辛い現実から目を背け続けていた」


 ようやく、獅子野トウカは現実に目を向け始めた。

 あとは、その現実にどう立ち向かうか。

「嫁さんが愛していたものに目を向けたらどうだ?」


「あの子……いいや、

 初めて、その名前を口にした。

「アズサには、とても悪いことをした」


「何をしたんだ?」

「何も、本当に何もしていない。それも、一つの虐待に違いない」

 確かに、家にいながらそこに居ないものとして扱われるというのは、筆舌に尽くしがたい心の傷を負うことだろう。


「だが長男と長女は、アズサに明確な恨みを抱いていた。二人はアズサを虐め、私はそれを止めなかった」

(恨み、か)


 呪法と関係するかもしれない。

「俺はアズサと知り合いなんだ。今度会った時に、家族のことを聞いておこう」

「そう、なのか?」


 少しだけ、彼が安堵の表情を浮かべる。

 直接会うのは躊躇われるのだろう。

「だが勘違いするな。アズサがお前を拒絶したのなら、話はそれまでだ」


「――分かっている。私は、それだけのことをした」

 ようやく、獅子野トウカの目は、ほんの少しではあるが光を取り戻した。

「だが、どうして貴様は私に口出ししようと思った? アズサのことを知っていたからか?」


「それもあるが……」

 理由、理由か。

 思惑や意図があって口を挟んだわけではない。


 だが、一つ言えることがある。

「俺はただ、お前の悲劇ぶってる顔が気に食わなかっただけだ」

「……精神科医とは思えないな」


 彼の顔に、少しだけ笑みが浮かんだ。

「違いない。じゃあ先生。俺はこの辺りでお暇させてもらうぞ」

「あ、ああ……」


 置いてけぼりの医者を後ろ目に、俺はその場を去った。

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