第十二話 名前の意味

 僕は初等学校にいたころの記憶はほとんど無いけど、唯一覚えていることがある。

 それは、初等学校に入って、少し経った頃のこと。

 そのころから僕は臆病で、いつも周りから笑われていた。


 だから一日だけ、仮病を使って学校を休んだ。

 病気のせいで家から出られないお母さんがいるベッドの隣で、僕は罪悪感で眠れないまま、悶々としていた。


 そしたらお母さんが、優しい声で僕に話しかけてきた。

「ねえ、どうして私は、あなたに『アズサ』って名前を付けたと思う?」

「……」


「起きてるんでしょう? まあ良いわ。目をつむったままでいいから、聞きなさい」

 僕の狸寝入りは、お母さんには通じなかった。

「実はね。アズサっていうのは、玉国ぎょくこくにある樹木の名前なのよ」


「そうなの?」

 つい、返事をしてしまう。

「あら、寝てたんじゃないの?」


 そのいたずらっぽい声色に、僕は恥ずかしくなって掛け布団を上からかぶる。

「その木はとても綺麗……というわけでもなくて、とてもいい匂いがする……わけでもないの」


「じゃ、じゃあ、どうして僕にその名前を?」

 良いところがない、まるで僕みたいだ。


「その木からは独特なにおいがして、その香りが悪鬼をはらうという伝説があるの」

 お母さんは目を閉じ、ゆっくりと息を吸い込んだ。


 それはまるで、かつて見た木の見た目やにおいを思い起こしているようだった。

「玉国の人たちはそれを使って『梓弓あずさゆみ』という名前の弓を作る。その弓はか弱い赤子に与えられ、小さな命を奪わんとする悪鬼から赤子の身を守ってくれたそうよ」


「……じゃあお母さんは、僕にその『梓弓』みたいになって欲しかったの?」

 弱き者を守れるような、強い男になって欲しかったのかな。

 でも僕は、そうはなれない。そんな弓のように、強くはなれない。


「それも一つではあるけど、もっと大切な理由があるわ」

 お母さんは、僕をベッドに入るように手招きした。

「もっと大切な理由って、なに?」


 それに素直に従うと、お母さんは僕をぎゅっと抱きしめた。

「それはね」

 ――貴方が大好きだから。


 ◇◇◇◇◇


「お母さんの言葉の意味は分からなかったけど、僕はお母さんの愛情に勇気をもらったんです。でも、なぜか、お母さんの顔が思い出せない――っ」


 俺は、アズサが一筋の涙を流していることに気が付いた。

「……思い出したいのか?」

「分からないんです。思い出したいのに、思い出してはいけないような気もする」


 やはり、呪法がアズサの記憶を奪っている。そして、アズサは無意識的にその記憶を避けようとしている。

「アズサ」


「は、はい」

「強くなれ。過去に負けないように。過去に囚われなくなるように」

 人は過去が形作る。その過去に打ち勝つことができれば、アズサはもっと強くなれる。


「――はい!」

 アズサらしくない明るい笑顔。だが、とても似合う笑顔だった。

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