瀕死の魔王(※美女)、全てを浄化する伝説級の酒造り職人にお持ち帰りされる&その後

黒星★チーコ

前編・思い出話

 魔王は、がくりと冷たい石床に倒れ臥した。

 その命は風前の灯。だがまだ確かにちろちろと燃え燻っている。


「魔王、覚悟……!」


 襤褸襤褸ぼろぼろに傷ついた魔王にとどめを差そうと振りかぶった勇者の剣は、結界により一度は阻まれた。

 その結界は、やはり瀕死でありながら最期の力を振り絞った魔王の側近が咄嗟に張ったものである。


「魔王様、お逃げくだされ!!」


 残った魔族が決死の殿しんがりをつとめ、どうにか主を逃がす事に成功した。

 しかし主を失った魔王城は陥落。人間側の勝利である。


「おのれ勇者どもめ……! この恨み、はらさで置くべきか!」


 おちのびた魔王は唯々ただただ、あてもなく山道を走り、時に力無く歩む。

 かつて魔王の身体を包んでいた膨大な闇の魔力は、勇者パーティが滅茶苦茶に投げつけた大量の聖水によって全てが浄化され塵と消えていた。今の彼女は寄る辺もなく本来の姿をあらわにしている。


 剥き出しの柔らかい足は、踏みしめる度に草や小石で傷つき血が滲む。

 魔物の毛皮を着込む事で隠していた青白い肌と顔とは太陽の光をもろに浴び、ジリジリとけていく。

 最早、魔王は傍目にはそうとはわからぬ。唯、その頭に二本の角を持つ美しく弱々しげな女性にょしょうであった。


「はぁ……はぁ…………あ」


 魔王は漸く足を止めた。目の前に在るのは美しい水をたたえた泉。鏡のような清水に手を突っ込むとそれは太陽で灼けた肌をひんやりと冷ましてくれた。彼女は両の手で掬った水を、ぐく、ぐくと喉を鳴らし飲み下す。


「ふう……」


 先刻から追手の気配は無い。少しだけここで休んでも良かろうと魔王は考えた。

 既に胸の辺りが袈裟斬りに斬られている上衣をこれ以上は破れぬよう注意して脱ぐと、痛々しい刀傷がはっきりと現れた。


 彼女は傷口を水で漱ぐ。この傷をつけた勇者への復讐を誓う呪詛の言葉を吐きながら。

 その怨念は泉の水を濁らせそうなほどであったが、闇の魔力を全て浄化されてしまった為か、泉は何も変わらないままだった。


 一息ついたあと、魔王は後ろで束ねていた金髪をほどき髪にこびりついた血や泥を洗い流す。

 水で清められ、白く細い指先で梳かされた髪は陽光と水滴とを弾き、本物の金の糸で作られたかのような美しさを放っていた。角さえ無ければまるで天女の水浴びである。

 ……と。それを見た一人の男が木々の合間から現れた。


「おめぇさ、なにしてるだ!」

「!?」


 魔王が胸元を隠し振り向くと、そこには作務衣を身に付けねじり鉢巻を頭に巻いた男が仁王立ちで居た。

 男は険しい顔をしていたが、魔王が蒼白な顔のままなにも言えず固まって居るのを見て、困ったように眉尻を下げた。


「ああ~外国人げぇこくじんの人だべか~。こりゃしまったぁ。次から看板に外国語も書かねばなんべ」


 男はそう言って泉の端に眼をやる。魔王もつられて視線の先を追うと、確かにそこには手書きの看板らしきものが拵えてあった。


『この泉の水を下流にて酒造りに利用しています。水を汚して下流に流さないで下さい』


 よく見るとその横には小さな手桶まで紐で繋いである。成る程、水浴びや洗い物をするなら手桶で水を汲み、汚れた水は脇の木の根元辺りに撒いてくれという意味か、と今更ながらに彼女は理解した。


「なあ、お前さ、文字はわかんねぐとも、話すこともできねぇのか?」


 魔王は瞬きのうちに考える。どうやらこの男は自分をただの人間だと思っているらしい。自分の力を誇示するものは全て勇者一行に浄化され、奪われたのだから無理もない。

 この恥を甘んじて受け入れ魔王としての矜持はかなぐり捨ててでも、ここは生き延びて勇者への復讐を果たすべきである。闇の魔力が回復するまでは男に誤解させたままでいよう、と結論付けた。


「……ああ、わかるぞ」

「やー、えがった。ここはオラが管理してる泉だべ。この水を汚されるとオラの仕事になんねえだよ」

「ああ……それはすまぬ」

「血やら泥やらがいきなり流れて来たから傷ついた動物が水を飲みに来たのかと思ったら、お前さみたいな別嬪さんがいるからたまげたべ~」

「えっ……」


 魔王は男の「別嬪さん」という言葉に再度固まるが、男は気にした様子もなく呵呵かかと笑っている。揶揄われたか、と感じた彼女は恥と怒りでその白い肌を朱く染めた。


「ありゃ、お前さ、裸足でねぇか!……それにその傷!」

「……」

「何か知らねぇが、事情があんだべか。可哀想に」

「……かわいそう……?」

「うちで手当てすんべ」


 そう言うと男は即座に魔王を肩に担ぐ。


「なっ、何を……降ろせ!」

「暴れると危ねぇだよ。じっとしてろ」


 この様な扱いを受けたのは幼少期に先代魔王が遊んでくれた時以来である。成人し魔王を継いだ彼女が見知らぬ男に担がれるなど有ってはならぬ。

 先程『魔王としての矜持はかなぐり捨ててでも』と決意した魔王だったが、流石にこの扱いには耐えられず、叫びながら両の拳でぽくぽくと男の背中を叩いた。


「わっ、我を誰と心得る!」

「ははは、お前さ、その言葉遣いおもしれぇなぁ。誰に習っただべか」


 男はまた呵呵と笑い、背中を叩き続ける魔王を気にすることもなく山道を下った。

 程なく、泉の水を引き込んでいる一軒の建物が見えてくる。男は扉を開け中に入ると、上がりかまちに魔王をそっと降ろし、自身は土間続きで繋がる奥の建物に消えた。


(くっ、今の我にはあの男を倒す力すら無い……このままあの男を騙してやり過ごすしか無いのか!? なんという屈辱だ! それもこれもあの忌々しき聖水のせいで……)


 魔王がギリギリと歯噛みしていると、男が一升瓶を抱えて戻ってきた。魔王はそれを見て呆然とする。ラベルには「魔王の涙」と書いてあった為だ。


「こ、これは……」

「ああ、うちで作ってる中で一番アルコール度数の高い酒だべ。消毒にはこれが効くだ」


 男は瓶の封を切ると惜しげもなく魔王の傷にかける。


「ううっ……!」

「しみただべか? そんならやっぱりバイ菌が入っとったべ。ちょーっとだけ耐えろ」

(しみたなんてモノではない! これは……!!)


 その透けて見えそうな透明度。華やかな中にもキリリとした香り。そして魔王の傷口から入り込み、今まさに回復しようとしていた闇の魔力を次々と消していく力。忘れる筈もない。これは。


「これは、勇者が」


 勇者が魔王城内で手当たり次第に投げつけ、闇の魔力を全て浄化していた聖水と同じものだったのだ。


「ん? 勇者って言ったべか? お前さ、外国人さんなのに勇者と知り合いだったか?」

「あ、ああ……勇者がこれを持っていた……」

「勇者はうちのお得意さんだべ! うちの酒を殆ど買い取ってくれるだ! この酒の名前を『これを飲めば魔王も涙するだろう』と言って名付けてくれたのも勇者だべ!」

(飲んだのではなく、かけられて涙したんだがな……ッ!!)


 今また、その事を思いだし泣き出しそうな魔王であったが、はたと思い当たる。その考えに涙が急速に引いていく。


(ちょっと待て、この男……まさか)


「おい、この酒、うちで作ったと言ったな。お主が作っているのか?」

「んだんだ。こんな山奥で一人で作ってるから知名度はないが、自分では良い出来だと思ってるだよ。それに勇者っつう固定ファンもいるしな!」


 自慢げに胸を張る男。そのねじり鉢巻を巻いた頭にほんの僅か後光が射す。おそらく本人は何も気がついていないのだろう。

 魔王は自分の考えが的中したことと事態の恐ろしさに身体が震えかけたが、男に気取られぬよう必死でそれを抑え込んだ。


(こやつ、女神の加護を受けておる。それも伝説級のやつをだ……。一所懸命に作った酒が聖水化する程の!)


 おかしいとは思っていた。本来聖水とは大変貴重なもの。女神の加護を持つ聖都の大司祭が一年間付きっきりで念を込めても手桶一杯分を作れるのがやっとだと聞いている。

 勿論その聖水を手に入れるには多額の金が必要だろう。勇者といえども、あんなにバッシャバッシャ撒ける訳がなかったのだ。


「……この酒、幾らで買えるのか?」

「ああ、これだべか?」


 酒のごく一般的な……なんなら相場より少し安い金額を提示され、魔王はがくりと冷たい床に倒れ臥した。


「おい、どうしたべか?」

(ゆっ、勇者ァァァァーーー!!)


 今回の勇者による魔族と魔王討伐の功績は、ほぼこの男の作った酒に依るものだ。男がこの酒の効能聖水化に気づかないのを良いことに、唯の酒として大量に買い締め、利用していたのならば……勇者、中々に悪どい。

 更に言うならば、男はこの酒の味が勇者に評価されていると信じ込み嬉しそうにしているのだ。まさか飲まずに撒き散らしたなど夢にも思うまい。最早勇者の行いは悪魔の所業。魔族レベルの悪しき者と言ってよい。


 魔王はその長い爪を床の板目に突き立てガリガリとやっていたが、ふと気づく。


(…………いや待て! つまり、この男が聖水を作れなくなれば勇者を倒し、今一度魔王軍を復興できるのでは!?)


 今の魔王には男を倒す力は無い。だが殺さずとも方法はある。


「……おい、お主。我をここに置いてはくれぬか」

「うん?」

「我には行くところが無い。ここに置いてくれれば役に立ってみせよう。その酒造りを是非手伝わせて欲しい」

「ああ……そうか。何か事情があんだべな。贅沢はできねぇが飯と寝床は用意してやんべ」

(よっしゃァァァァーーー!!)


 内心でガッツポーズしそうな気持ちを顔には出さず、魔王は静かに頭を下げた。男は部屋に引っ込むと着替えとさらしを持って戻ってくる。


「オラの服だが、とりあえずこれを着ろ。その……襤褸襤褸になった服よりはましだべ」


 男が初めてかすかな照れを見せたのを、魔王は自分の胸元が露になっている為か、と気づいた。


「あっ……その、感謝する」

「気にすんな、そっちの部屋で着替えろ」


 彼女は出来るだけ恥じらった素振りを見せつつ礼を言い、部屋に入り襖を閉じ……そしてほくそ笑む。


(くくくく……これは都合がいい)


 聖水をこれ以上作らせない為に男を殺さずとも、酒造りを邪魔するなり、男を悪の道に堕として女神の加護を失わせるなりすれば充分なのだ。都合の良いことに男は彼女の美しさに惑わされかけている。

 後はゆっくり闇の魔力を回復してから勇者に逆襲するのみ。


 魔王は小躍りしたい気持ちを堪えながら服を脱ぎ、包帯代わりにさらしを巻く。男の服は大きかったが何とか着付ける事ができた。

 これからどうやって彼を堕とそうかと考えつつ部屋を出る。と、その鼻先を良い匂いがくすぐった。

 男は竈で料理をしていた。魔王は彼に更に気に入られようと楚々とした振る舞いで近づくと、男は明るい笑顔で言った。


「腹減ってねえか? 飯にするべ」


 米に焼いた魚。野菜が沢山入った味噌汁。山奥で独り暮らす男が可能な限り精一杯のもてなしをしているのだろう。

 魔王が味噌汁の椀を口にした時、男が照れたように言い訳をした。


「こんな物しか無ぐてわりぃなあ。でもべ……」


 半日の間飲まず食わずで逃げていた魔王は味噌汁を凄い勢いで飲み干した後、その言葉の意味するものに気づいたがもう遅い。


「ああ~!! 浄化の音が聞こえるぅぅぅーーーー!!」



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