第38話 勇者と魔王

 レナードに送り出されたリーンは、声が聞こえた方向に向かって一心不乱に走り続けた。



(どこ……!? 確かこの辺で……)



 五感を研ぎ澄ませながら、周囲の音や声に耳を澄ませると「ぐえっ」と奇妙な声を発するものが聞こえた。



(今の声……、アニー……?)



 似ているような気もしたが、一体何が――? と思いながら、音の聞こえた方へと足を向ける。



 家屋の角を曲がって。

 たどり着いたその先には。

 リーンがずっと焦がれていた、探し求めていた人物がそこに立っていた。



 ――アニーだったモノらしき魔物の、首を絞めながら。



「………………ノア?」



 相変わらず、優美ですらりとした隙のない立ち姿で、こちらに背を向けるように立っていたノアが、リーンの言葉を受けて、ふいと顔だけをこちらに向けて振り返る。



「ああ、リーン」



 そう言うと、ノアはにこりとリーンに向かって笑いかけてくる。

 ――まるで、何事も起きていないかのように。



「……それは」

「ああこれ? ちょっとうるさかったから黙らせただけだよ」



 リーンの問いかけにこともなげに答えると、ノアは掴んでいた首から手を離し、掴んでいた魔物の体がずしゃりと地面に落ちる。



「……殺したの?」

「いや? 殺して欲しかった?」



 まあ、ずっとわずらわしかったしね、とノアは道端の雑草でも見るような目で足元に転がるアニーだったものに視線を落とす。



「……惚れ薬で、好きになってたんじゃ」

「あんなのすぐに解けたよ。格下の術は効かないんだ。でも、リーンがどんな反応をするのか見たくって」



 ノアは悠然とした笑みを湛えながら。

 しばらくかかっているフリをしようと思ったんだ――と。

 何事もなかったかのようにリーンに言葉をかけてくる。


 

 そうして――。

 その目が獲物をとらえた獣のように、リーンを見据えてきらりと瞬き。

 仕留めるかのごとく、こちらにむかって、ゆっくりと近づいてくる。



「俺がいなくなって打ちひしがれてるリーンを見るの、最高に楽しかったよ。ものすごく可愛くて、邪魔が入らなければもう少し見ていたかったんだけど」



 一体どこから見ていたのだろう――と思う余裕は、今のリーンにはなかった。



 実際には、もともと魔族だったノアは意識と肉体の分離に長けており、そのため体を動かしながらでも意識体を切り離して自由に行動することができた。

 アニーに連れ去られたフリをしながら、意識体だけはリーンのところに残し、ノアがいなくなって落ち込んでいるリーンを見て喜ぶと言う非常に性格のよろしくないことをしていたわけだが、それが魔族の起こした人間の魔族化によって中断されてしまったと言うわけだ。



「本当に――とんでもないよリーンは。これも勇者の権能のひとつなのかな? 楽しく遊ぶだけのつもりだったのに、この俺がこんなにも執着させられて振り回されるなんてね。ミイラ取りがミイラとはよく言ったもんだ」

「……」

 


 ノアが近づくたびに、好きで――会えて嬉しいという気持ちと、何か言い知れない不安がリーンの胸中を激しく吹き荒れる。



「ねえ、リーン」



 ざり、と。

 眼前まで近づいたノアが、リーンの頬に優しく触れる。



 そのまま、ゆっくりと顔を近づけようとしてくるノアに。

 流れに身を任せてしまいたいと思う自分と、頭のどこかで鳴り響く警鐘に挟まれながら、それでも目を伏せてしまいそうになった瞬間。



 ずがあああああん!!



 ――何かが激突し、壁が崩れたような音が聞こえた。



「……っ!」



 一瞬で、飲み込まれそうだった意識が現実に引き戻される。



 そうして、もくもくと立ち込める砂煙の中から、むくりと立ち上がったソレは――。




「……グレイブ」



 すっかり姿が変わり果てた、かつての幼馴染の姿だった。



 シャアァアァァアアア……!



 鋭い牙を剥きながら、かつてのグレイブは、人であったものとは思えない咆哮を上げる。



「――”代償”か」



 ノアがぽつりとつぶやいたその瞬間。

 グレイブがリーンに向かって、異様な脚力を発揮して飛び掛かってくる!



 ガギン! と、その鋭く尖った鉤爪を、リーンはすんでのところで剣で受けとめた。



 そのまま、剣を弾き飛ばして二撃、三撃と鉤爪を繰り出してくるグレイブを、リーンは至近距離で交わし続ける。



「仕留めないの? 別にたいしてそんなに強くもないのに」

「だって……っ! グレイブなのに……!」



 飄々と声をかけてくるノアに、リーンは必死になりながら言葉を返す。



 ノアのいう通り、仕留めるだけならそんなに難しいことではない。

 だけどそれで――、グレイブを死なせることになってしまったら?



 脳裏に浮かんだ、死に倒れたグレイブの姿にぶるりと震えながら、リーンは猛攻を交わし続ける。



「相変わらず……、リーンはお優しいねえ」

「……っ! なんとか! ならないの!?」



 どうやら、傍観する姿勢をとると決めたらしいノアは、必死に足掻くリーンに向かって我関せずといったていで話しかけてくる。



「俺には無理だね、残念だけど。――なんとかしたいの?」

「当たり前でしょう……!!」



 ちょっかいをかけてくるだけで全く手助けをしてこようともしてこないノアの姿勢に苛立ちを覚えながら、珍しくリーンは言葉を荒げる。



「……もうわかってるよね? 願い事には対価が必要だって。それでもリーンは、俺に願うの?」



 意味深に問いかけてくるノアは、どこか艶然えんぜんとして怪しげで――。

 しかしそれどころではないリーンは、回りくどいやり方にとうとう怒りも頂点に達し、もう我慢の限界だとばかりに大きく口を開いた。



「願ってるんじゃない! !」



 いいから、四の五の言わずにやりやがれ――!と。



 怒髪天を衝く勢いで、リーンがノアに向かって怒鳴りつける。



 ――その瞬間。



 どくん、と、ノアの何かを変える作用が生じたことを。

 生じさせた当人のリーンは知らぬまま――。



「……ふっ」



 苦笑にも似たその乾いた笑いの意味が、リーンに対するものなのか、ノア自身に対するものなのかはわからなかったが、確かにその瞬間、それまで剣呑さをはらんでいたノアの雰囲気ががらりと変わった。



「……わかったよ。言われた通り教えてやるよ。どうすればいいか」



 その代わり、対価はちゃんともらうからな――と、ちゃっかり言質を取りながら。

 リーンの眼前に迫っていたグレイブを、ノアが転移で家屋の屋上へと移動させる。



「言っとくけど。俺の求める対価は、お前リーン自身だからな」



 そう言って、ノアはリーンの顎をくい、と持ち上げ。

 そのまま、奪い取るように――リーンの唇に自分のそれを深く重ねた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る