第5話 愛の天使

「ギサール様の従者の方ですね」

 魔法学院の敷地内に入ると俺よりは若そうな女性が近づいてきて声をかけてくる。

 マーティンは気を利かせたのか、口早に別れの挨拶をすると去っていった。

「はい。そうですが、何か御用ですか?」

「こちらをギサール様にお渡しください」


 ですよね。やっぱり俺に用があるわけじゃなかったか。

 毎回のことながら万が一ぐらいはあるかもと思っていた期待を打ち砕かれる。

 名門のコーネリアス家に仕えているということは、使用人たちの中ではある種のステータスであった。


 俺個人の容姿その他の資質はこの際脇に置いておいて、コーネリアス家の使用人ということだけを目当てに声をかけてくる女性がいる可能性があるという話はマーティンから聞いている。

 まあ、あれだ。

 合コンでは有名企業や華やかな業界に身を置いているとモテるというのに似ているのかもしれない。


 ちなみに俺にギサール様の従者の枠が回ってきたのも、前任者がそうやって知り合った女性と結婚して仕事をやめたからだった。

 聞いた話では貯めた金で故郷に農地を買ったらしい。

 自給自足のスローライフというわけだ。

 根っからの町育ちで農作業などはからきし駄目な俺だが、素敵な響きにはちょっとだけ憧れる。


 俺もこちらの世界に慣れつつあった。

 そうなると、日本で社畜だった頃には難しかった女性とのお付き合いをしたいなあ、などという余裕が生まれている。

 そのため、何度か声をかけられてその度に期待をしては落胆するを繰り返していた。

 優良企業に勤めているのに合コンで連戦連敗している残念な社員のようである。

 魔導銀適性欠格者というのはコーネリアス家の使用人というアドバンテージを帳消しにしてなお余りあるのだった。


 俺に用事がないのに声をかけられる理由は、ギサール様へのお手紙の仲立ちである。

 ギサール様は貴族なので、思いを寄せた女の子がいたとしても直接好き好きなどという告白をしたりはしない。

 実際のところ、カッコ良くて優秀で性格もいいギサール様は魔法学院に通っている女の子たちのほとんどから好意を寄せられていた。


 ではどうやってその思いを伝えるかというとお手紙を書く。

 しかも本人に手渡ししたり、ロッカーに忍ばせておいたりするようなはしたないことはしない。

 自分に仕えている従者から相手の従者を経由して届けてもらうのだった。


 この奥ゆかしい慣習のお陰で、三十路のおっさんが愛のキューピッドを務めるわけである。

 今までそういう経験が一度もない身の上としては悲しくて仕方がない。

 火をつけて消してやりたいというしょーもない妄想が頭に浮かんだ。

 なにしろ、俺は指を鳴らして呪文を唱えれば手紙に火をつけることができる。


 この魔法は射程はゼロ、つまり手にしているものにしか対象とすることができず、持続時間も3秒程度しかない。

 効果としてもライターの火にかざす代わりというだけである。

 でも、水質浄化よりもいっそう魔法を使えるという実感が得られ、俺は実際に使ってみた際にはひどく感動した。

 ただ、この着火の魔法は生活するのに必要不可欠なので、文字通り誰にでも使えるものである。

 なにしろ、マーティンですら使えるという代物だった。


 覚えたばかりの魔法というのは使いたくなる。

 この手紙は練習にも丁度いいのではないかという誘惑が俺の心を捕らえて離さなかった。

 ぐ、鎮まれ俺の力よ。

 自分の世界に浸っていると他の従者たちが校舎に入っていくのが目に入った。

 ヤバイ。出遅れないようにしなきゃ。


 慌てて皆を追いかけていき廊下で待機する。

 教師たちが部屋から出てくると略式礼を施した。

 後ろの扉から教室に入りロッカーの扉に手をかけて開ける。

 鍵がかかっているが、俺が触れると開錠されるようにギサール様はあらかじめ設定していた。

 

 通常であれば主が施錠したときのキーワードを組み込んだ開錠の魔法を使う必要がある。

 俺の魔力が少ないことをギサール様が気を遣ってくれているのだった。

 実は人生2周目なんじゃないかと思ってしまう。

 惚れてしまうだろ。

 

 ギサール様はクラスメートと笑いさざめきながら帰宅の途につく。

 お調子者っぽいのと、見るからにツッコミ役ですという頭の良さそうな男子二人に挟まれていた。

 そのまわりを女子生徒がつかず離れずの距離で囲んでいる。


 う、何という陽の者の輝かしさだろう。

 青春時代を正しく謳歌している眩しさに危うく目を焼かれるところだった。

 同年代のときにこれをみたら羨ましさのあまりに卒倒したかもしれない。

 でも、俺はもう大人だ。


 舞台の中央に立つ人間に対して無いものねだりの憎悪を向ける無意味さを知っている。

 ブラック企業に勤めていた頃に望んでいた十分な睡眠時間、生活に不安を覚えない収入、パワハラしない上司の3点セットが揃っている。

 幸せを噛みしめていると名前を呼ばれた。


「コーイチ、コーイチ」

 はっ。しまった。

 ご学友と別れたギサール様が俺のことを心配そうに見ている。

「なんでしょうか。お坊ちゃま」


「心ここにあらずって感じだったからさ。ひょっとして以前の生活を思い出していた? やっぱり心細いよねえ」

 く。これで本当に子供かよ。

 魔法か変な薬で子供の姿を変えられたりしているんじゃねえか。


 いや、大人でもこれだけ気配りできる人間はそうそういないだろう。

 めっちゃ感動した。

 もし、俺が三国志に出てくる趙雲だったら、地面に身を投げ出して「たとえ肝脳地に塗れるともこの恩忘れまじ」とか言っちゃう場面である。

 感動に身を震わせているとギサール様の秀麗な顔が不安に曇った。

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