修学旅行

試される大地

 高校時代というのは、三年もあるというよりは三年しかないと言った方がいいのかもしれない。


 ついこの間だと思っていた新学年の始業式から、風を切り駆け抜けるような早さで文化祭や夏休みが終了し、気がつけばもう二学期も中盤にもなっていた。

 そして今日、高校生活最大のイベントである修学旅行当日を迎えた俺たちは、既に機上の人となり遥か北の大地を目指していた。


「……俺が死んだら部屋のグッピーの餌やりを頼む……」

 真っ青な顔で隣の座席に座る聖の遺言は、その切実な表情とは裏腹に随分と可愛らしい内容だった。

「お前が死ぬ時は十中八九俺も死んでるだろうから、それは家族にメールか何かで頼んだ方がいいと思うよ」

 彼は離陸前からずっとこんな感じで、座席のベルトもガッチリと締めたままで身体を細かく震わせていた。

 飛行機が墜落する可能性の低さを宝くじの当選確率にたとえて気を紛らわしてやろうとしたが、元より恐怖の根源が理論や論理から離れた場所にあった彼の耳には、俺の発する言葉など一切届くことすらないまま徒労に終わった。


 通路を挟んで反対側にいる舞と南海に関しては、ここが雲の上であろうが海の底であろうが気にしている様子はなく、まるで仲の良い姉妹のように互いに話題を持ち寄ると、絶え間のないお喋りに没頭しているようだった。

(俺もあっちの席がよかったな)

 そんなことを考えていると、隣からはついに念仏のような囁きまで聞こえ始め、縁起が悪いことこの上ない。

「――聖、そういえばさ。お前の班に西尾さんって子いるじゃん? 舞に聞いたんだけど、彼女お前のこと『面白い人だよね』って言ってたらしいよ」

「……え!? マジで!?」

「マジマジ」

 もっともそのあとに『でも顔がね』と続いていたのだが、それはあえて言わないでおいた。

「っしゃ!」

 聖は往年のプロレスラーのような雄叫びを上げると勢いよく立ち上がろうとする。

 だが、彼を拘束しているシートベルトがそれを許すことはせず、座面からわずかに尻を浮かせた途端に強制着席させられていた。


 無駄に元気になった聖とどうでもいい話をしていると、機内の放送設備から着席とベルトの着用を促すアナウンスが流れてくる。

「いよいよだな! 来たな北海道! でっかいどう!」

 これならまだ般若心経が聞こえてくる方がマシだったかもしれない。

「そういえばさ、飛行機って着陸する時が一番事故率が高いって知ってた?」

「――え?」

 とんでもないスピードでベルトを装着した彼は、再びブツブツと題目を唱え始める。

 俺はといえば、帰りの便では誰かと座席を替わってもらうことを密かに決意していた。


『本日は当機をご利用くださいまして誠に――』


 二時間弱のフライトは快適なものとは言えなかったが、なにはともあれ無事に北海道の土を踏むことが出来た。

 先入観から十月の北海道はもう寒い時期なのかと思っていた。

 だが少なくとも日中は程よい気温と湿度で、用意していた上着を開閉に面倒が伴うキャリーバッグから出さずに済みそうだ。

 今日はこのあとバスで宿泊先のホテルへ移動し、そこで夕食を取ってからクラス毎の団体行動で旧跡見学が予定されている。


 バスの席順は事前に決められており、概ねで前半分にかしましい女子たち、そして後ろはむさ苦しい男子たちという並びだったのだが、クラス委員長の俺と舞のそれは最前列に用意されていた。

 手荷物を座席の上の棚に収めてから着席すると、すぐに舞が俺の手に細く長い指を絡めてくる。

 最前列であるが故その行為を誰に知られる心配もないのだが、言ってしまえば完全に抜け駆けのようなそれに、俺は強い背徳感と若干の優越感を覚えた。


 眼前の車窓に広がる風景は、道の脇に生える樹種や道路に付帯する設備などが違うからなのか、同じ日本なのにひと目でここが遠い土地であることを意識させた。

 そのことで旅行気分が益々励起れいきされる。

 俺と彼女のすぐ前では、バスガイドのお姉さんがこれから向かう先の観光案内をしてくれていたのだが、まともに聞いているのはバスの前半分だけで、後ろの方はまるで喧嘩神輿でも担いでいるかのような騒々しさだった。


 やがてバスがバイパスに入るとガイドさんも休憩タイムに入るようで、運転席脇の座席へと腰を下ろした。

 入れ替わるように腰を浮かせた舞が彼女の耳元で何かを囁き、その後一言二言言葉を交わしてから互いに笑顔で会釈をし、再び俺の横に戻ってくる。

「どうしたの?」

「うん? 『男の子たちが騒がしくしてすいません』って言っただけだよ」

 この舞という子は本当に大したものだった。


 バス移動が開始してから一時間も経っただろうか。

 先ほどからスマホで目的地の観光名所や名産品などを調べていた舞であったが、突然こちらを向くと突拍子もないことを尋ねてきた。

「ね、イツキ。新婚旅行ってどこに行きたい?」

「すぁっ!? えっと……熱海とか?」

 てっきり今後のプランの話題でも振られるのかと思っていたせいで、ほとんど脊髄反射で返答をした俺たちの新婚旅行の行き先は、随分とまたお手頃な場所になってしまった。

「私は北海道がいいなって思ってたんだけど、結婚する前に来られちゃったから。じゃあ、熱海にしよっと」

 彼女は本気で言っているのか、それとも俺のツッコミを待っているのか。

 もう半年の付き合いになるにもかかわらず、そこは未だによくわかっていなかったが、とりあえず今回は前者を採用することにした。

「俺は舞と一緒ならどこでもい――」

「あ! ねえあそこ! あれヒグマじゃない!?」

「……俺には工事現場の看板に見えるけど」

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