第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。

第29話:優秀な『新人』

『スパイさんの晩ごはん。』

第三章:ツーク・ツワンクの老人たち。

第一話:優秀な『新人』


あらすじ:老将軍怖い。

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裏路地の裏の裏の裏。薄暗い室内に湯の沸く音がぽこぽこと響くと、オックスは珈琲豆を入れたガラスの容器を、手際よく下の容器に挿して組み立てる。下の容器に入った湯が熱せられるとコポコポとガラスの管を通って上の容器へと移っていく。珈琲は相変わらず美味いと感じないのだが、作る様子は何度見ても楽しい。


「へえ、サイフォンを利用しているんですか。」


「ほう、ターキィは知っているのか。」


「ふたつの容器の間に通した管を使って空気の力で液体を移動する方法でしたっけ?蒸気で圧力を変えて液体を持ち上げるのは初めて見ましたけど。」


新しく『千鳥足の牡牛亭』に来た男、ターキィは私がオックスに聞いて知ったことを、さも常識のように言い当てた。


私が知っていたのはサイフォンには管という意味があると言うことと、同じ高さにある2点の容器の液体を管と空気の力を使って移動させるというものだ。確かに目の前の器具も管を使っているのだが、蒸気の圧力を利用したものまでサイフォンと呼ぶとは思わなかった。彼はかなり柔軟な思考の持ち主のようだ。


ターキィは一昨日にこの王都に着き、今日初めて紹介された男だが、こうして3人で集まっているのには訳がある。


この男が私の後任になるのだ。


とは言っても、私がすぐに故国に帰れると言うわけではない。私がボケナース子爵の紹介状で入るはずだった王宮の物流局に、この男を私の故郷の知り合いという体で押し込もうという魂胆なのだ。


公爵閣下の下での情報も貴重だが、物流局では税収にも関与しているし、戦争に直接関わる武器や兵站の流れも知る事ができる。


ボケナース子爵は経緯はともあれ私を目的の物資局に入れられなかったという貸しがある。それに物資局の局長も入る予定だった私を閣下に人手を取られて困っていた。


多少の諍いはあったようだが、なんとか子爵にもう一通の紹介状を書かせることに成功した。


送られてきたターキィは礼儀正しく人当りも良い。私と違って正式な情報部の人間で知識も十分にあるようだし、柔軟な思考も持ち合わせている。


話に違わず、かなり優秀なようだ。


老将軍の情報もロクに集められていない普通の文官の私よりもよっぽど適任だろう。このまま老将軍の件もこの男に任せれば良いかも知れない。ちょうど、得体の知れない彼に会いたくない気分だったし、危険な目に遭ってまで手柄を欲しいとも思わない。私は臆病なのだ。


「理屈はいいから、まあ飲んでみろ。」


「ええ、いただきます。」


少し顔が強張らせたオックスがターキィに珈琲を勧める。ちなみに私は遠慮して、自分で勝手に紅茶を淹れて飲んでいる。珈琲はオリゴリダだ。


「初めて飲む味ですけど、いい香りで…。ふう、味も酸味が効いてスッキリとしているのに口当たりは柔らかい。美味しいですね。」


ターキィは水の魔法で口を濯いでから黒い液体の入ったカップを回して香りを楽しみ、口に含んだ珈琲を舌で転がして味わった。まるでワインの試飲のようではあるが、香りや味を正確に把握するには最適なのかもしれない。


一方、オックスは口をパクパクさせて声を絞り出すのが精一杯のようだ。


「お、おう。最初からコイツの味が解るヤツがいるとは思わなかったぜ。」


オックスは私に言ったように、ターキィにも『それがここの味だ』と決め台詞を言いたかったのだろうが、彼が珈琲を楽しんでしまった事で、その目論見は脆くも崩れてしまったようだ。


戦争の始まる何年も前からこの街に潜んでいるオックスでさえ、珈琲を美味いと感じて常用するまで長い時間がかかったと、先日、ぬか漬けを食べに来た時にクエイルがからかっていたのを聞いているので知っている。


慣れない土地で長い時間を苦労したオックスにとって、言葉通りに珈琲の苦みこそがこの街の象徴なのだろう。


「でも、せっかくここは酒場ですし、できればお酒が良いですね。私の土産は珈琲よりお酒に合いますし、もっと先輩方と仲良くなりたいですから。」


ターキィは屈託の無い笑顔だった。楽しい酒に悲しい酒、笑い上戸に泣き上戸、絡み酒に管巻き酒。酒の席にも色々あるが、酔って多少のタガを外した方が人の口は回りやすくなる。笑ってくれれば楽しくなるし、泣かれれば同情したくなる。はずみとは言え本音を聞かされれば気を許したくもなる。


なので、交流の手始めとして酒の席を設けることは良くあることだが、オックスの前に置かれたターキィの土産は、お世辞にも酒のツマミに見えなかった。


「これは何だ?」


カウンターテーブルに置かれた木の皮に根の付いたようなものを見てオックスは眉をひそめた。


「スルメといって、干したイカだそうです。」


オックスは知らなかったようだが、カンカンに干されたスルメは海の物ではあるが日持ちが効くので、山しかないフォージ王国でも私は見かけたことがある。


だが、その見た目からか買っている人を見たことはない。そもそも私は木の皮たと思っていて、先日まで食べ物だと認識していなかったくらいだ。


スルメが食べ物だと知ったのはこの街に来る途中の港町でだ。船酔いに疲れた体を癒やすために生臭い風に当たっていた時、天日に干されてるスルメを見てそこに居た漁師に聞いたのだ。これは酔い止めの薬を作っているのかと。


漁師は笑いながら答えてくれた、ぐったりと柔らかい生のイカを持って。私は見ただけで食欲を無くし、あの時は口にしなかったが。


「炙ると良いツマミになるんですよ。」


「ツマミなら味噌とか、味噌とか、味噌とか無いのか?」


せっかく味噌のある故国フォージから来たのだから、土産には味噌を持ってくれば良かったのだ。面倒も多い酒は無くとも、豊かな味わいのある味噌さえあれば人間関係は全て円滑になる。


「申し訳ないです。そんなありふれた調味料が土産になるとは思っていなくて。」


戦場を挟んだこの王都では故郷の品が一番、手に入り難い。


「マートン先輩は土産も持って来なかっただろ。後輩にばかり無茶は言うなよ。」


「くっ。」


これから世話になる組織に土産を持って行く事は当たり前の話で、いちおう私も故国を出る時は土産の用意はしていた。


だが、最初の山登りで荷物を減らすために嵩張る土産は早々に退場願って、道中で買った土産も長雨で足止めされた宿で食いつぶした。20日を過ぎても目途の立たない道中で新しく荷物を増やす気も起きなかったし、最後は財布を掏られて土産ところでは無かったのだ。


「苛酷な旅をしたマートン先輩を責められないですよ。土産に最適な品を見つけられたから、ボクは持って来られたんです。」


スルメは干してあるので水分が無く長持ちする。おまけに木の皮のように軽くて薄いので荷物にならない。私のようにカバンひとつしか持って無くても邪魔にならないし、見た目は悪いが本当に美味いのなら、土産として持っていくにはこれ以上ない品だろう。


「ふん、後輩に助けられたな。」


「ああ。」


不貞腐れる私を尻目にオックスがコンロに炭を入れ網を乗せる。この上に切りもせずに、そのままスルメを乗せた。


「酒は何が合う?」


「熱燗が良いのですが置いていますか?」


熱燗はオヨネ様が伝えた米から作る酒を温めたもので、小麦を主食とするこの辺りでは見当たらない。もう少し北の寒い地方では盛んに作られているのだそうだが、遠方から運んで来るので高値になる。


「悪いな。ここはそんなに上等な酒場じゃない。」


「それじゃあ、焼酎のお湯割りを。」


スルメに火が通って来たのか、ぷうんと海の匂いがしてきたのだが、私は海にあまり良い感情を持っていない。


なにしろ初めて見た海は鈍色に曇って荒れていた。やっと船に乗り込んでも嵐に遭って酷い目に遭った。嵐が去った後のキラキラと輝く姿は綺麗だったが、船酔いが酷くてどちらかというと天国に着いたと感じたものだ。


スルメがくるくると丸くなるのが不思議だったが、根のような足が丸まって気味が悪い。ひっくり返すと戻るのだが、その光景がより一層生きているように見えて怖くなった。


だが、後輩からの贈り物を口にしないわけにはいかないだろう、乾燥する前のグロテスクな姿を知っていると今も食欲が湧かないが。


海の生臭さが凝縮して焦げた香りに鼻を摘み、グロテスクな見た目に躊躇しながら、引きちぎったスルメを咥える。


食べてみれば予想に反して旨味を凝縮したような塩気と少し効かせた唐辛子が調和する。歯ごたえは本当に木の皮を食べているのかと思うほど硬いが、噛めば噛むほど味が出てきて夢中になれる。


口の中に広がった海を、強い酒の嵐のような力で押し流す。


美味い。


苦しめられた海を制したような気分になって心地が良くなった。


だが、正直これはどうなんだろうか。


スルメを噛むことに気をとられて、せっかくの交流の席なのに、会話がまったく弾まない。大の大人が三人頭を寄せてもぐもぐと終わり無く口を動かしているのだ。


噛んでも噛んでも口の中にスルメが残り、飲み込むタイミングが判らない。それに、いくら噛んでも腹は膨れない。


噛むのに飽きて酒でスルメを流し込んだ私は舌を必死に動かして歯の間に挟まったスルメと格闘を始めた。取れそうで取れない感覚がものすごくもどかしい。故郷の気の短いクソジジイ共はなら癇癪を起すのではないだろうか。


「ああ、そういえばこの前の情報が役に立ったと連絡があったぜ。」


「そうか…。」


スルメの感想を考えるのを放棄したのか、オックスは全く違う話題を私には投げかけた。私は歯に挟まったスルメを押し流すために、簡単に返事をするとまた酒を呷った。だが、挟まったスルメの欠片はコロコロと口の中を泳ぐだけだった。



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次回:迷子の『引っ越し』



【ご連絡】申し訳ありませんが、これにて連続投稿は終わりです。今後は他サイトの投稿に合わせて、週二回程度の更新を考えています(一回分先行しているので飛びますが)。

先月にパソコンが壊れたので、慣れないスマホで書いているので予定通りに行くか判りませんが、がんばりますので、よろしくお願いします。

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